4 魔素に負けたりなんてしません
「大丈夫です。変な感じなんて、まったくしていません。ちゃんと、加護の魔石も持っていますから」
ほら、とジレンから贈られたペンダントを襟元から引っ張り出してみせる。
絹糸を編んだ紐の先につけられているのは、ジレンの魔角と同じ黒色の宝玉だ。
「ジレン様に加護の魔法もかけていただいていますから、魔素に負けたりなんてしません」
にっこりと笑って告げる。
表裏になっている世界で何よりも異なっているのは、『魔素』の存在だ。
そしてそれが、二つの世界で戦争が起こらなかった最大の理由でもある。
魔素が薄い――百五十年前からは『
その代わり、水車や風車を利用した脱穀機や粉ひき機、火薬、機械式の時計など、魔法に頼らない技術が発達している。
一方、ジレンが生まれた魔素が濃い『
だが、魔法がある分、技術はあまり進んでおらず、また、魔素の薄い薄界では無尽蔵に魔法を使えるわけではない。
魔角族の角には魔素が凝縮されているため、角に蓄えられている魔素を使えば魔法が使えるが、魔素の供給がなければ、早晩打ち止めになってしまう。ちなみに、魔角族は角の色で魔法の強さがわかると言われており、角の色が濃ければ濃いほど多くの魔素を角に宿していることになる。
だが、魔角族にとってなくてはならぬ魔素は、薄界人にとっては、毒に等しい。薄界人が何の防御手段もなしに濃界に入ると、身体にどんどん魔素を吸収してしまい、魔素に順応できなかった身体が発熱、衰弱してしまい、最悪、死に至ることもあるのだ。
そのため、濃界で暮らす薄界人はひとりもいない。
また、濃界人は薄界で暮らしても身体に支障はないものの、魔法を使えぬ生活を嫌い、暮らす者は数少ない。暮らしていたとしても、すぐに故郷で魔素を補給できるように、『大穴』のあるラグシャスト領で暮らす者ばかりだ。
結果、薄界と濃界は、『大穴』を通じて互いの世界の特産品を交易する関係に落ち着いている。そして。
「不謹慎かもしれませんけど……。わたくし、わくわくしているんですっ! だって、魔石が生み出されるところをこの目で見られるんですものっ!」
ジレンの心配を吹き飛ばそうと、エルシャは明るい声を上げる。
魔道具。
薄界の技術と濃界の魔法が出会ったことで、ここ百五十年の間に、急速に発達した技術だ。
魔素を凝縮させた魔石という動力源を得たことで、それまで水力や風力、人力にしか頼れなかった道具は一気に用途を広げて発展した。
その技術の
「きみが魔道具に夢中なのは知っているけれどね……。本当に、そんなところは叔父上そっくりだ。誰が何と言おうと、エルシャが一番弟子だね」
ジレンが白皙の美貌に呆れ混じりの苦笑を浮かべる。
ローニンは、ジレンの叔父であり珍しい魔角族の魔道具師でもある。自ら魔法が使えるのに、魔道具師となる魔角族は珍しいのだ。
だが、若い頃から魔道具に関心があったローニンは薄界で熱心に学び、故障の多かった旧式の昇降機に代わって新しい昇降機の設計を行ったり、いくつもの新しい魔道具を開発するほどの超一流の魔道具師となった。また、エルシャが幼い頃から師事しているお師匠様でもある。
今回、エルシャがジレンに加護の魔法をかけてもらってまで、濃界に赴く理由は、ローニンが作った魔道具の修理をするためだ。
作った本人であるローニンは、新しい魔道具を求めてどこへともわからぬ長旅に出ており、魔角族で腕のよい魔道具師は皆無。
何より、修理が必要な魔道具は巨大なものなので現地で修理するほかなく、結局、ローニンの一番弟子であるエルシャが濃界へ赴くことになったのだ。
「魔石を作るところが見たいのなら、わたしが作るところを見せよう。だから、必要以上に屋敷から出歩かないように。もちろん、どこへ行く時もわたしが一緒に行くけれどね」
濃界にいる間、エルシャはジレンの実家であるハイリーン領の領主の館に滞在させてもらうことになっている。それはありがたいことこの上ないのだが。
「……どうしたんだい?」
無意識に不満が顔に出てしまっていたらしい。エルシャの表情を敏感に読んだジレンが、隣に座るエルシャに身を乗り出す。
「禁止事項ばかりで嫌気がさしたかい? それともやはり魔素が――っ!」
「ち、違いますっ! 体調は何ともありませんっ! そ、その……っ」
端整な面輪を強張らせたジレンに、あわててかぶりを振る。
本当に、魔素の影響など感じていないのだ。
ただでさえ過敏になっているジレンにこれ以上の心配をかけたくない。
「では、どうしたんだい?」
だが、ジレンは追及をゆるめてくれる気はないらしい。
吸い込まれそうに深い色をした黒曜石の瞳に間近から覗き込まれ、エルシャは仕方なく、隠していた望みを口にした。
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