第25話 赤毛執事の焦り
浴槽につかりながらメルデルはぼんやりしていた。
部屋に戻ってきたサラサンに背中くらい流してあげましょうかと軽口をたたかれ、またしても動揺してしまった。
ーー私が落ち込んでるのがわかったのかもしれないな。だから、冗談で……。冗談だよな。いや、違う。頷いたら絶対に一緒に湯浴みをしてくれそうだ。二度入るのも楽しいとかいいながら、きっと。
彼の優しさ、そして妖しさに先ほどまでの暗い気持ちが少し浮上する。けれども、また思考は迷い込む。
ーー気づくべきだった。ジャミンの気持ちに早く、それなら……。それなら?何かできたのか?私に。あの時はカイゼルが成長するのをまって領主の座を譲るつもりだった。そして、領地を出ていくと。そんな私が彼の気持ちに答えられたのか。
結局考え込んでしまって、すっかり体を冷やしてしまった。
髪だけはきれいに拭いて、メルデルは早足で湯浴み室から出る。
すると出会いがしらにジャミンに遭遇した。
「メルデル様!」
彼は珍しく焦っていたらしく、直前までメルデルに気が付かなかったようだった。少し驚いたように目を見開いていた。
「ジャミン、急いでるみたいだが、何かあったのか?」
驚きと、どこか焦りが見える彼に思わずそう問いかける。
「何も、ご心配なく」
「メルデル、遅いから心配したわ」
作り笑いを浮かべた彼の言葉を遮るようにサラサンの声が背後から聞こえた。
「殿下」
「帰りが遅いなあと思って様子を見に来たの。ジャミンが何かちょっかいを出している、と思ったけど違うみたいね」
「ちょっかいなど恐ろしいことをおっしゃらないでください。首が飛びます」
「ふーん。ドサクサ紛れに手の甲に口づけようとした子がよく言うわね」
「それは」
ーーそういえば、そんなことが。
うっかり忘れていたが、二人がそんなやり取りをしていたことをメルデルは思い出した。
「まあ、いいわ。私は懐がおっきいの。メルデルに好きって言ってもらったのでもう無敵よ」
「殿下!」
突然そんなこと言われてしまい、羞恥心が先にきて思わず声をあげてしまう。
「……ごちそうさまです」
「どういたしまして。とりあえず失恋の特効薬は新しい恋よ。頑張って!」
サラサンはジャミンの肩をたたき、痛かったようで一瞬顔をしかめたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。それではお二人ともお早めにお休みください。よい夢を」
「え、ええ。素直なあなたはちょっと不気味だけどそうさせてもらうわ」
--不気味ってたしかに。いつもならもう少し何か言いそうなのに。
彼は余裕がない表情にすぐ戻り、頭を下げると踵を返す。
「ジャミン。やっぱり何かあったのか?」
気になってしまい、その背中にメルデルは再度問いかけた。
振り向いた彼の顔に焦りと迷いが見て取れる。
「何か、あったのね?」
サラサンも同様に感じたらしく、確認するように尋ねた。
「まだ話さないほうがいいかもしれないと思いましたが、ケリーの力も借りてしまったので雇い主には報告すべきですね」
自分に言い聞かせるような言い方でジャミンは返す。
--ケリー?雇い主?やっぱり、ケリーは殿下の間者か。
予測していたことだがメルデルは少しショックを受ける。ジャミンが知っていたことがそれをさらに重くした。
「ジャミン、おしゃべりね。本当」
彼女の感情の動きに気が付いたらしく、サラサンはジャミンを睨みつけてから、メルデルへ顔を向けた。
「あとでちゃんと説明するわ。今ジャミンに確認したいことがあるの。ごめんなさいね。メルデル」
「……了解しました」
一人だけ知らされていない、そんな疎外感を感じつつも、今は話の先を折るべきではないと頷く。
「メルデル様。私からも後で説明いたします」
「あなたはいいの。それよりも、ケリーの力を借りたって?」
ジャミンはサラサンに抗議しようとしたのか、一瞬だけ眉をひそめた。けれども表情を改めて彼を見つめる。
「ベッヘンの帰りが遅いので、ケリーに確認してもらうことになっております」
「あ、そうなの。で、まだ戻ってきてないから焦ってる?」
「はい」
ーーベッヘンがまだ戻ってきてないのか?ケリーに捜索を頼む。無謀じゃないのか?
メルデルは使用人の姿のケリーしかしらないので、思わず顔をしかめてしまった。
「メルデル。ケリーは優秀な子よ。だから大丈夫。ベッヘンのことをちゃんと調べてきてくれるはず。事故か、もしくは」
ーーどちらも考えたくないが、この時間まで戻ってこないことは。この時間?ジャミンはまだ屋敷にいていいのか?ジュリアは?
「ジャミン。もしかしてベッヘンが家に戻っている可能性もある。ジュリアのこともあるし、帰ったほうがいい」
「メルデル様。報告前に家に戻るなどベッヘンがありえません」
「それでもよ。女の子をこの時間まで一人で家に待たせるなんてありえないでしょう?帰ってあげなさい」
「……畏まりました。ご心配おかけして申し訳ありません」
サラサンの言葉に少し冷静さを取り戻した彼が頭を垂れた。
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