見鬼の女官は烏の妻となる

白鷺雨月

第1話 黒衣の宦官

 明鈴めいりんは失意と絶望の中にいた。

 彼女は顔も声も知らない親戚がおこした罪により、狭く冷たい石牢に投獄されていた。

 その遠縁の者が犯したのは皇帝暗殺未遂という罪であった。

 竜帝国において、皇帝暗殺の罪は一族皆殺しである。それは未遂であっても同じであった。

 どうして私はそんな見ず知らずの男のために二十歳になる人生を終えないといけないのか。

 そんな疑問が何度も頭をよぎるが、もちろん答えは出ない。

 もう、ため息もでない。

 今日死ぬのか明日死ぬのか、明鈴の知るよしもない。すでにため息も尽きていた。ただただいつ来るかわからない死への恐怖に怯える日々であった。


 そんな死の不安に悩まされている明鈴の元に一人の男があらわれた。正確には元男性といったほうがいいだろう。

 その男は漆黒の衣を身にまとっていた。

 竜帝国において漆黒の衣を着るものは宦官であった。宦官とは特別な手術を受け、男性としての機能を取り除いた者の総称である。

「お前が李明鈴だな。私は大長秋の次元じげんである」

 宦官にしては低い声である。

 そばにいた少女が手に持っていたろうそくで明鈴の顔を照らす。


 明鈴はこくりとうなずいた。

 自分のような囚われの下級女官に宦官が何のようだろうか?

 しかもその宦官、名前を烏次元と名乗ったものは大長秋の地位にあると言った。宦官の最高位である。


「次元様、どうでしょう。似ていませんか?」

 明鈴の顔を照らす少女が言う。

 声の感じから、まだ十代前半の子供のように思える。

 宦官と少女の組み合わせに奇妙な違和感を明鈴は感じた。


「そうだな、小梅シャオメイ。たしかにお前の言う通り、美嶺みれいに瓜二つだ」

 烏次元は牢屋の檻越しに明鈴の顔をじっと見つめる。明鈴もその宦官の顔を見る。


 宦官の顔を見て、明鈴ははっと息を飲んだ。その理由は宦官の烏次元の容姿があまりに美しかったからである。

 髪は豊かで闇のように黒い。烏という姓は頷けると明鈴は思った。濡れた烏の羽のようなとは彼のためにある言葉だと思われた。瞳は切れ長でどこか冷たさが感じられるがそこも美しいと明鈴は思った。

 肌は雪色で日の光にあたったことがないように思えた。宦官といえば中性的で小太りな印象があるが彼は掛け値なしの美丈夫であった。


「おまえはここから出たいか?」

 烏次元は耳に心地よく残る声で聞く。


 出たいか?

 と宦官は聞いた。

 そんなの決まっているじゃない。

 出たいに決まっているじゃないか。

「そんなの出たいに決まってるじゃないの」

 明鈴は心に思ったことをそのまま言う。

 自分が何かしらの罪を犯したのならばいざ知らず、顔も見たこともない遠縁の者の罪で自分が死罪になるなんて、こんなに馬鹿げた理由はない。


「ふふっ、正直な女だな。顔は美嶺に瓜二つだが性格はまるでちがうな」

 目を細めて、烏次元は言う。


 この男が誰と自分を比べているか知らないが、私は私だと明鈴は思った。


「聞けばおまえは見鬼の能力ちからがあるということだな?」

 じっと烏次元は明鈴の瞳を見つめる。見つめられ、相手が宦官だというのに明鈴は胸が熱く、苦しくなるのを覚えた。


「ええ…… 見えます」

 明鈴はこくりと頷く。

 見鬼の能力とはこの世のものではない物を見る力のことを言う。

 明鈴は物に宿る思いを見ることができた。下級女官をしていたときは、その能力を使いよく他人のなくし物を見つけてあげたりしたものだ。


「ではこれを読んでもらおうか」

 烏次元は懐から古いかんざしを取り出し、明鈴に手渡す。

 明鈴はそれを受け取り、両手で挟む。そっと目を閉じ、意識を集中させる。

 明鈴の脳裏には烏次元によく似た女性が浮かぶ。


「何が見えた?」

 烏次元は短くきく。


「あなたによく似た女性が見えます」

 明鈴は答える。

「その人はなんと言っている。私のことをどう思っている?」

 烏次元はじっと明鈴をみつめる。


「それをお答えしていいのですか?」

 明鈴はためらった。脳裏に浮かぶ女性がなんと言っているのか彼女には手にとるようにわかった。ただその女の言葉を口にすれば烏次元は機嫌は損ねるように思えた。

 もし、機嫌を損ねて牢屋から出られなくなるのは出来ればさけたい。それにきっとその言葉はこの美しい宦官を傷つけるだろう。


「かまわない。言ってみろ」

 烏次元が強く促すので仕方なく明鈴は答える。


「では、お答えします。その人は宇文うぶん家の面汚し。我が一族から宦官を出したことはとてつもないく不名誉なことである。二度と宇文の姓を名乗るなと言っています」

 それはきっと目の前の美しい宦官には辛い言葉だと明鈴には思えた。

 烏次元の機嫌を損なうのはもちろんだが、恐らくは母親であろうこの女性の言葉はきっと彼を傷つけるだろう。明鈴はその事にあまり気がすすまなかったのも事実であった。


「そうか、あの女の言いそうな言葉だ。わかった、おまえの能力は本物のようだ。では、提案だ。明鈴めいりん、おまえが私の妻になるのならばこの石牢からだしてやろう」

 烏次元はそう言った。

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