二度目の「台風」
「まいったなぁ……」
中年ぐらいであろうか。牛の獣人が鼻を鳴らして呟いた。彼の瞳が見るのは、普段の半分の量しかない、乳の輸送容器。乳そのものも、以前より匂いも味も薄くなっているというのに。
「ニョッキさん、すまない。うちのをかき集めても、これだけしか確保出来なかったんだ……」
彼らの作業場に容器を運んできた青年が呟く。カナド人と呼ばれる人種の彼の家は、牧畜を営んでおり、その加工をここの作業場に委託している。
「ううむ……とにかくノルマ分は作ってみる。……あんたまでそんなに落ち込まないでくれ。アイツのせいなのは皆も知っとることだ」
「……はい」
項垂れて帰っていく青年と入れ替わりに、獣人の女性が作業場へと戻ってくる。
「パパ、配達終わったよ!」
「おお、ご苦労さん、フリジェーニャ」
彼女は樹脂製のバッグを白塗りのテーブルの上におき、中から顧客の名前と注文の品が書かれた帳簿を取り出した。
「一応、皆も注文は入れてるけど、もし作れなくても大丈夫って言ってくれてた。……ハァー、なんでこんなことに……」
「すまんなぁ、街の方でも色々あったってのに」
「なんでパパが謝るのよ。……それより、傭兵さんは?雇えたの?」
ニョッキは自身の娘の質問に、首を横に振ることでしか応えられなかった。
「そんな……」
「金がな、足りないんだ。アイツの危険度に見合うにはかなりの報酬が必要なんだ」
「……」
力のない父親の言葉に、フリジェーニャは悔しさを感じ、唇を噛んだ。何も彼女は、彼に怒りを感じたのではない。自身の無力さに悔しさを感じたのだ。
(私は力持ちだなんて褒められてきたけど……それは「人」の中でってだけ)
ただ丸太を軽々と担げるだけの筋肉では、大型の魔獣などには敵わない。所詮、人の力など
彼女は「人」の定めを恨んだ。力のままに自分たちを蹂躙する、大いなる存在を憎んだ。しかし、その燃え盛る恨みつらみは、何処へと出すにもいかず、彼女は、ただ己の体にそれを刻むことしかできなかった。
「すいませーん」
通夜の如くに沈んでいた空気をかき消すように、作業場に通じている店に、客らしき声が聞こえた。
「あ、はーい。今出ます」
父の代わりに顔を出したフリジェーニャの顔に、驚きが浮かぶ。無理もない。先日彼女を助けた、男がそこに立っていたのだから。
「あ……あなたは!……チーズ、お気に召したんですね」
「まあ、それもそうだが、知り合いが気に入ってしまってね。彼に殆ど食べられてしまったから、買いに来たんだが……」
「……すみません!今チーズがちょっと置いてなくて。……あっ干しベリーならありますよ!今丁度旬なんです!それと……お守りも」
「魔獣を狩ればいいのか?」
「……へ?」
フリジェーニャは思わず聞き返してしまった。ただの旅人であろう彼が、何処からその噂を聞きつけたのだろう。いいや、村ではその話題で持ち切りであるし、それについて話すのは別におかしい事ではない。
重要なのは、彼が、まるで近所に買い物をするように簡単に、魔獣を狩ると言い出したことだ。
「いや、あの、狩るって言ったって、その、アイツは滅茶苦茶デカくて……」
「悪いね。俺は買ったチーズよりも、狩った魔獣の種類の方が多くてね」
彼女は、何気なしに語る男を見て、呆れて良いのか、それとも期待を寄せるべきか分からなくなってしまった。
その男の方はというと、彼女のそんな様子を気にするでもなく、言葉を続ける。
「所で、お嬢さんは戦闘の心得は?」
「へ!?い……一応グレイブぐらいなら使えますが……少なくともあなたのお役にはたてません……戦闘面では」
「……そうか……いや、何、気にしないでくれ。聞いただけだ」
男は伝えたいことを言い終わったのか、店からフラッと出て行った。その背中に向けられるのは、疑惑の相貌だった。
「……大丈夫かしら……あの人……」
店を出たオーガスタスは、一目散に自分の機兵へと向かった。機兵——この世界において主戦力となる存在——に乗り込むと、彼は樹脂製のピルケースを取り出し、その中の錠剤を手に二粒ほど出す。
先程、店員と話していた際に動機が止まらなかった。ここへ来る途中にも、指が若干に痙攣さえしていた。薬さえ飲めば、それもマシにはなる。しかし、それは一時的なものでしかない。
彼の持病にとっての「治療」とは、所詮は薬によって病を治すのではなく、抑えているのに過ぎないのだ。
それは果たして、「生きている」と呼べるのだろうか?もはや「死んでいる」己を無理やりに動かしているだけではなかろうか?
彼は傭兵という死と隣り合わせの仕事で荒んでいるのもあり、そう考えるようになっていた。
「……残りが少ないな、また調合しにいかねえと……」
彼が口に含んだ大粒を、水筒の茶で無理やりに流し込んでいる時だった。
「あの……傭兵さん?」
「わあっ!?」
大声を出して、操縦槽からあわや転落しそうになっている彼を、やはりフリジェーニャは信用できなかった。
この人が本当に傭兵なのだろうか?ただの暴力が好きなだけのチンピラではなかろうか?自分を助けたのも、ただの気まぐれでしかないのでは?
そういった考えが、彼女の思考の中で、ぐるぐる、ぐるぐる、と渦を巻く。まるで「落としどころ」を見つけられない円周率πの様に。
しかし、その心の片隅では、彼に何故か親近感を覚えていた。
「あ……あの、大丈夫ですか?」
「ああ……取り敢えずはな」
「……すみません、後を付けてきちゃって……」
「かまわねぇよ。大方、俺を信用出来てないってとこだろ?傭兵って仕事はそんなもんだ」
そう言って、オーガスタスは彼女の背負っているものを、ちらと見る。その膨らみの中が食料だけでないのは確かだった。
「……それはなんだ?寝袋か?」
「いえ、グレイブです」
「言っておくが、あいつらはそんなんじゃくたばらんからな」
「……分かってます……ただ力が強いだけじゃ魔獣に傷も付けらんないって。でも、何も出来ずに、あなたにだけ任せて、私たちは指を加えて子供の様に見てるだけ……なんて、耐えられないんです!」
「……まいったな」
目の前の傭兵は、気まずそうに操縦槽の天井を仰いだ。彼がそうするのも無理はないと、フリジェーニャはよく理解していた。
刃物を扱えるとは言え、自分はド素人の田舎娘に過ぎない。そんな人物が、世間知らずの貴族の坊ちゃんのような戯言を言い始め出したのだ。失敗が許されない傭兵に面と向かって言い出したのだから、猶更である。
しかし、彼女はその事実を、そして彼女の村を取り巻く状況を理解できているからこそ、彼に頼んだのだった。
「……ダメといっても、付いていきますから」
「……死ぬ覚悟はあんのか?」
「あります。遺書も書いてありますから」
「……おいガキ!今遺書つったか?お前本当に死にてえのか!?」
彼女の口から「遺書」という言葉が出た瞬間、オーガスタスは自らの髪の毛が逆立つような怒りを感じた。それは言葉だけに反応したのではなく、彼女がそれを発した時、その眼に未練がましい涙を浮かべていたからだった。
彼は、
「……あ、ち、違……」
「……遺書を書いていいのはな、俺みたいな死に損ないのクソ野郎だけだ……お前みたいな、まだ『悪意』も碌に分からねえ奴が書くもんじゃない」
「私!……それでも、付いていきますから!あなたがどう思おうと、知りません!」
オーガスタスは、愛機をガンと殴りつける。癇癪持ちの彼が、苛ついた時に起こす癖だ。
「てめぇこのっ!ク、クソガキ……ッ!自分がやったこと分かってんのか!?自分が愛した相手に対して『私はこれから死にに行きます』と言ったのと同じなんだよ!」
フリジェーニャも、それには怯えず、ずいと一歩踏み込む。
「分かってます、分かってますよ!でも、それ以上に私を愛してくれた、お父さんやお母さんに死んでほしくないんです!」
「じゃあその両親の気分も考えてみやがれ!自分たちが守るべき命に守られて死に損なった奴らの気分もよ!『なんで俺が、私があのとき変わってやれなかったんだ』って死んでも後悔し続けんだ……ッ!」
「ッ……!それは……」
図星であった。彼女も、うすうすとは気づいていたのだ。自分がもし死んだときに、両親はどんな反応をするだろうか、と。だが、それに蓋をしていた。それ以上に『褒められたかった』。己の与えられる愛の内実など、どうでも良くなってしまっていたのかもしれない。
愛は『常識』でしかなく、それ以上でも以下でもないというのに。
「……はぁ……悪いな、怒鳴っちまって。だけども、お前とお前の両親が信頼し合ってる以上、あんたの命はあんただけのもんじゃないんだ。俺にとってもそうだ。勝手に死なれちゃあな」
「……私は、両親を救いたいだけ……なんです!」
「それと同じだよ。ご両親もな。だから死にに行くようなことをされちゃ困るんだ。あんたは死なない、俺が死なせない」
そして、彼は操縦槽から身を乗り出し、目前の護衛対象へと手を伸ばす。
「……付いていっても?」
「そうじゃなけりゃ、こんな説教なんかしてない」
「……精一杯、頑張ります!」
「それでいいんだ」
フリジェーニャの目には、涙ではなく、軽い笑みが浮かんでいた。
台風に包まれ、温厚な牝牛は眠る 遊星ドナドナ @youdonadona
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