「有限」を選んだ者

 宿屋。悪党の染みついた血を洗い流す男。拳に少量ながらも血をこびり付かせた男は体の震えを抑えられないでいた。

 彼の名はオーガスタス・ドラゴン。先程獣人の女性を救ってきた男だ。


「やりすぎたんじゃないか」


 そんな彼に、酒の入った声を掛ける者がいた。彼はぐでんぐでんに酔いながらも、その声には、兄弟を慰める兄のような温もりが込められていた。


「いいや、“仕置き“ってのはね、悪人に対してはしてもし足りないんだ。リパーさん」


 「汚れ」が落ち切ったのを見届けながら、彼はデスクの上の酒瓶を開け、リパーの向かいに鎮座する。


「潔癖だねえ。二重の意味で。そんなんじゃいつか壊れちゃうよ」


「半端が嫌なだけさ……それに殺してはいない!臨死体験をしてもらってるんだよ。奴らにはもったいないぐらい、貴重な体験さ」


「『死ぬような思いをすれば誰でも変われる』……か。師匠も言ってたよな」


 リパーは赤ら顔に反してよく回るで、そんなことを呟きながら、既にカラになっている小皿に楊枝を突き立てる。


「ああ、俺が切るよ」


 オーガスタスは酔っ払いに刃物は渡せないと、部屋の隅に置いていたバックパックからチーズの塊を取り出し、器用につまみ用の欠片に切り分けていく。

 保存が効くように表面が乾燥加工がされてはいるが、カットされた断面からはつややかな面が覗き、独特な臭味、しかし決して悪臭ではない―寧ろ芳醇な香り―を漂わせていた。


「あの子が作ったのか?」


「正確には、あの娘の家族が、だな。」


「ふうん。牧畜をやるのか。彼らはその手のはやらないと聞いていたんだが」


「いいや、加工だけだな。あくまでも原料の乳は同じ村でヤギを育てているカナド人から買っているらしい」


 チーズが切り分けられ、小皿に盛られるそばからリパーの口に消えていく。葡萄酒の御供にはチーズだ、というのが、彼の酒を飲むときの口癖だった。


「へえ、いいじゃないか。」


「何がだ?」


「君が『聖華世界』における食品の文化を一つ守ったということさ」


 彼の話を話半分で聞くオーガスタスは、チーズにはあまり手を付けず、酒ばかり飲んでいた。


「大げさなんじゃないか?」


「いいや、しかしそうだとしても、だよ。君。君のような『悪人』の積んだ善行としては十分すぎるじゃないか。も蜘蛛の糸どころか吊り篭を垂らしてくれるだろうよ」


 その言葉を聞いて苦笑した。「善行」だって?馬鹿馬鹿しい。俺はただにやっただけさ。オーガスタスは心の中で何処か自嘲気味にせせら笑った。


「オシャカサマ?」


「うん。旧人類の文献でよく見る単語でね。彼らの信仰していた神の呼び名の内の一つらしいよ」


「神…か」


 オーガスタスはそれを聞いて、彼らに少しだけ親近感を覚えた。機械に甘んじ、自ら滅ぶこととなった愚かな存在。そんな彼らにも「神頼み」という文化があったのだから。

 例え滅んでも「有限」という存在でしかいられなかった彼らは、その審判の時、超越的な存在に、少しでも自分たちが「無限」に近づけるよう必死に頼んだのだろうか?

 あるいは、ただ「有限」である「寿命」を、無駄だと知っていながらも、少しでも延ばしてもらえるように命乞いをしたのだろうか。


 どちらにせよ、彼はその行為に嫌でも「親しみ」を感じずにはいられなかった。彼自身もその決断で「有限」であることを選んだ、惨めな人間なのだから。


「神妙な顔つきだね」


「考え事ぐらいするぜ、俺は」


「そうかい」


 リパーはとくに含みも無くそう言うと、殆ど残っていない葡萄酒瓶を持ち、席を立った。


「君も、そうやってるといつかは”プッツン”となるよ」


「プッツンだって?操り人形じゃあるまいし」


「いいや、君はどちらかと言えば”絡繰からくり人形”だよ。ま、どちらにせよ、早くパートナーでも見つけた方がいい。取り返しがつかなくなる前に、ね」


 そんなことを言ってふらりと出ていく兄弟子。彼の後ろ姿を見ながら、オーガスタスは、ただ、


「あんた以外に、相棒パートナー、ねぇ……」


 とだけ呟いて、皿に残されたチーズの欠片を口に放り込んだ。

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