台風に包まれ、温厚な牝牛は眠る

遊星ドナドナ

「台風一過」



 ――—男は、嵐の如く突然やってきた。彼は悪人を電光石火の勢いで打ちのめし、その者らが二度と悪事を働こうなどと思わないよう、強風が巨木が切り株すら意地汚く残すことをも見過ごさず、確実に薙ぎ殺すように、その悪意を丹念にへし折っていったのだった。

だが、例えどんなに猛り、暴れ狂う強大な嵐にも「目」はある。その嵐の「目」の中にいたのは、ただ一人の女性だった。



 アマルーナ。ここは冒険者や傭兵、王国や帝国、種族やイデオロギー問わずに人が偏在する街。

 「自由」がある。「活気」がある。「人の匂い」がする。ここは、聖華世界でも素晴らしい街の一つであろう。


だが、致命的な弱点が一つある。身の程をしらない、蛆虫以下の悪党が紛れ込んでしまうことだ。彼らは、「自由」を、己が生きるため、正確には己「のみ」が生きるための「道具」程度にしか考えていない。


こんな悪党どもには、魔族のように呪われつつも誉のある血も流れない。帝国や聖王国のような極端ではあるが規律に生きる真摯さも、彼らからすれば冷笑の的でしかない。そのくせに、ゴブリンのような適応力や強かさすらも持ち合わせていない。


彼らには、職に就くための「手」もない。「立って歩く」ための「足」すらない。ただ、唾液と罵詈雑言を汚らしく垂れ流すだけの口と排泄孔しか持たない、文字通りの「蛆虫」だ。


そんなゲボカスにも、他者を嬲り喰うことしかプログラムされておらず、糞と小便ほどの価値も大きさもない、醜悪極まりない出来損ないの脳と生殖器を「付けてもらっている」のが、天のせめてもの「お情け」であろう。だが、彼らはそれでも天を、神を、「ケチなやつ」と糞よりも汚れた口で今日も罵るのである。


そんなウジから健気さを掠め取ったようなクソどもでも、徒党を組めば、それなりの脅威となる。だが、一人一人はクソ以下なのだから、「強き者」に敵うはずがない。そのために、それらは、「弱き者」を狙うのだ。

それが自分たちにできる、精一杯かつ最後の生物らしい思考とも知らずに。


そのゴミ共が、今日もまた、罪を重ねようとしている。

「いやっ放してください……!」


「放せ言うてもなぁ、姉ちゃん?ここはワシらの“縄張り”なんやで」


「せやせや。通りたけりゃ通行料の一つでも払ってもらおうかぁ?」


勿論そんな訳がない。“自由都市同盟”に加入しているアマルーナは議会によって治められている。ましてや、こいつらが縄張りと称するこの道は、多少治安が悪かろうとも、この国のものだ。

だが悲しいかな。人の形をしただけの“蟲”にそんなルールなど理解できない。例え理解できていたとしても、同じセリフを一言一句違わずに吐くだろうが。


 「そ……そんな!私ここに来た事なくて……ルールも詳しくなくて……」

 

 「知らんで済んだらケーサツや要らんのじゃい!さっさと払わんかいガキっ!」


 「う……うええ……」


 自分よりも体格が優れた相手、しかも「亜人」(軽い蔑称として使われる呼び名)に対して、一方的に罵倒し、自身の優位性を主張する。

獣にすら唾棄されそうなその行為を、彼らは目の前の女性に対して恥ずかしげもなく、嬉々として行っていた。彼らには“恥”などないのだ。


「姉ちゃん、よく見るとええオッパイしとるやないか。揉ませてくれたら考えてやらんこともないでぇ」


「え……いっ嫌そんなダメっお金なら払いますから!」


「お~それはナイスアイディーアやのう、ヤッサン!」


 調子に乗ったオスのゴミどもは、震える彼女を脅すばかりか、その体にまで毒牙を伸ばそうとしていた。特にヤッサンと呼ばれた方のクソ虫の男は、目やにがアイラインのようにこびり付いた目で、獲物をいやらしく、観察する。

 そうして、片割れの男が手を伸ばした瞬間だった。


「ぎゃっ」と害獣が腸を貫かれたような声が、表から聞こえてきた。


「なんじゃあ、チョビ!ええ所邪魔すんなっていっつも言いよ……る……」


 部下に灸をすえてやろうと、飛び出したヤッサンは、流石に口を閉ざした。無理もない。目の前で、チョビのブクブクと肥えた腹が裂かれていたのだから。

解体された家畜の様に滑らかに裂かれた穴の断面からは、リンパ液や血、油などの混ざった汁が、垂れ流しになっている。


「え……は……な……なんじゃあっ?チョビぃっお前息しとんかぁ?」


 胃からの逆流物と共に、現実をやっとの思いで飲み込んだ彼は、未だくたばり損ねていたチョビを問い詰める。その腹からでた薄汚い肉片を、砂と共に腹に詰め込みながら。


「あ……だ……だめでヤンスっヤッサンの兄貴ィっ!逃げるでヤンス!」


「なに言うてんねん!お前おいて逃げれるかぁ」


「あ……あいつは……あいつはっ!……あいつが……」


「ほう……蛆虫とは言えども、一応は人間なんだな」


 無駄な努力を続ける彼の背後に、音もなく忍び寄ってきたのか、男が立っていた。逆光で顔は見えないが、自身の身内ではないのが、彼にでも理解できた。


「感心したぜ。まぁ、今から一族郎党ごと嬲り殺すから関係ないがなハハハ」


「お前が、や……やったんけ?チョビを?幼子も幼妻もおるコイツを?」


「そうだ、だからどうした?」


 やはり顔は見えないままだが、男の声には冷たさが滲んでいた。それは、悪漢共にとっては我慢ならない冷たさ。軍人が見せる明らかな侮蔑。警察から掛けられる呆れの声。冒険者どもから向けられる哀れみの目。

 彼らから、悪漢に向けられる“冷たさ”が、そこにはあった。

 「ナメられたくない。」それだけを胸に生きてきたヤッサンにとって、それは我慢ならないものであった。


「ふざけんなよ……っ、ボケがぁっ!お前らはいつもそうや!ワシらからなんもかんも奪いやがって!その上チョビまで奪おうって言うんか!?」


「当たり前だ。そいつの妻は大方、冒険者から寝取ったってとこだろ?それもまだ青二才のやつをリンチして。その冒険者の遺族から依頼を受けただけだ。俺はな」


「それの何が悪いんや!あいつが見せびらかすように歩き回ってたんが悪いんや!」


「はあ……どうやら本当にダメなんだな、お前ら」


 男のため息が、ヤッサンを苛つかせる。何故こんなところまで来て俺たちを罵倒するのか!?その怒りが、彼の小さな脳みそを支配していた。

 その感情から発せられた熱は、チョビの身体がとうに冷たくなったのを、感情の主に気取らせないのには十分であった。


「~~゛っ!ごの野郎っ!ぶっ殺したるっ!」


「ふうん、ああそうか……お前は見逃してもいいかと考えていたんだがな……」


 ヤッサンが抜いたナイフが、男が動くより早く、その腕へと食い込む。やったぜ。チョビと俺の友情の勝利だ!

 そんな抜けたことを考え、油断しているから、彼は所詮クズなのだった。


「バカが、手甲に食い込んだだけじゃねぇか」


 男は吐き捨てるように言いながら、ヤッサンが握ったままのナイフを、自分の腕から引きはがす。見ると、成程、確かにサビかけの刃は手甲の合皮部分、それも表面を軽く裂いただけであった。


「刃物ってのはなぁ」


 ポカンとした彼の手から、まともに手入れのされてない果物ナイフが、ひったくられた。


「こう使うんだっ!」


 男は、奪ったナイフを、実演でもするかのように捌き、ヤッサンの手に食い込ませる。


「なにっ」


 やっと我に返った彼が見たのは、自分の手の肉が、刃に食われるように、こそぎ落とされ、中指と薬指の間をモーセの如く、ナイフが二つに裂いていた光景だった。


「こんなんじゃ済ませねえぞ今日は」


 男……格闘アマチュアのような体系をした青年は、呪文を詠唱しながら、空いた手を流水のように動かして、涙をこぼし始めている、目前の惨めな悪漢に叩き込んだ。


〈居ねよ この世に巣食う糞蟲どもよ 人の血肉を喰らう醜き悪蟲どもよ 貴様に相応しき この濁流をもって くたばるがよい〉


「ゴミ蟲らしくもがいて死にやがれぇっ!『冠・舞理亜流 濁り漸気(ざけ)』!」


「うぎあっ……あれ、な……なんともないやん」


 確かに、脇腹を両手の親指で刺されたはずなのに、ヤッサンは平気だった。寧ろ、血も流れず、キズすらも付いていない。


「な……なんやあ、自分脅かしおってからに……」


「……しくじったな……」


 へっ、とヤッサンは鼻で笑った。なんだ所詮はガキか。よく見たら顔も威厳のない、若々しい顔だ。

こんなトロそうなガキなんかに俺が殺されるわけないんだ。よしっ家に帰ったらチョビの嫁とガキどもを使って酒池肉林のセックスカーニバルだ。


「……なんて考えているんだろ?」


「へ?」


 彼が気の抜けた返事をした瞬間、その腹部が弾けた。


「うわああああああっ!?な、なんだぁ?水だぁっ、腹ン中から水が出て来とるぅっ」


 その濁流の勢いは凄まじく、ため込んでいた糞と、それを包んでいた糞袋やら胃やら膵臓やらの臓物どもが、まるで産卵を終えた川魚の如く、ひたすら無情に流されてゆく。


「こいつは遅効性でな。何秒か時間を置かないと殺せないんだ。だから走馬灯的な時間を提供してやったつもりなんだが。」


「く……くそがっ。くそあああっ!」


「最後の最後で自己紹介か。なんとまあ、天井知らずの自己顕示欲だな」


 頭領が見ると、男がせせら笑った後には、文字通りボロボロのズタ袋のようになった、悪漢の汚らしい死体が地面にへばり付いているだけだった。それはまるで、存在すら気付かれずに踏みつぶされた芋虫のようで、見ていて気分が悪くなる絵面だった。


「さて、最後はお前だな」


「ひぃっ!い……命だけは……命だけはぁっ!」


「おいおい、それじゃ四肢を捥いで蛆虫にしてくださいと言ってるようなもんだぜ」


 男は意地悪気な笑みを受かべ、頭領の頭を地面へと蹴りつける。砂土で覆われた大地は、舗装された道路よりは衝撃を吸収してくれるものの、それでも彼の顔面をにするには十分だった。


「もっとクズ人間らしく、意地汚く媚びへつらえよ」


「……わ……私だけはぁっ勘弁してくだせぇっ!ほ……他のヤツは煮るなり焼くなり好きにしてくださって、け……結構ですぅっ!」


「そうだな……それじゃあ、まずはお前がさっき連れ込んだ子を返してもらおうか」


 哀れにも震え切った悪漢の頭領は、同じく腰の引けた亜人の女性を連れてきた。


「よし……よくできました。偉いぞ。じゃあ、トリッパさん、このまま真っすぐ言って、この通りを出て行ってくれ」


「は……はい……ありがとうございます……」


「迎えなら、君の親戚がいるからな。そこの心配はいらない。とにかく、あんたがやるべきことは、このまま真っすぐにこの地域を離れることだけだ」


 言うか早いか、トリッパは男が喋り終えた途端に、一目散に駆け出して行った。火事場泥棒にあずかろうとする者らを、その巨体で弾き飛ばす彼女の耳には、頭領の大の男とは思えぬ断末魔が嫌でも響いた。

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