その4

『赤信号、皆で渡れば怖くないってなぁッ。銃に自信がねぇ奴は先輩方からご教授願いなッ!』


 イクサの狂的な宣言は公共の電波を通じ、広範に渡って伝わっていく。

 その中には無論、彼が主人公と定義した少年、双馬ジンも含まれている。むしろ大々的かつ劇的な開幕を告げた何割かは、僅か数日では連絡手段を掴むことの叶わなかった彼を確実に舞台へ上げるためである。

 賞金稼ぎの集う大規模な事件。

 武器商人としての情報源。

 そして、事前に情報を流しておいた笛波ヒナワヒロイン

 イクサの視点特有のズレた認識こそあれども、ジンが解決に乗り出すには充分な理由が揃えられていた。

 事実、少年は目の奥を熱くしてテレビの放送を目撃し、画面が差し変わった直後には自宅を飛び出していた。電気を切り損ねたのは普段通りであるものの、鍵を閉める手間を惜しんだのは平時とは異なる。


「滝飛沫……イクサ……」


 道路を駆ける最中、目を据わらせて呟いた名は、殺意を込めし怨敵のもの。

 廃工場で捕らえ損ねたのが今回の事件へと繋がっている。

 机上の空論、理想論の類と分かっていても想像せずにはいられない。あの時もっと上手く立ち回れば、イクサを捕縛して事件を未然に防ぐことができたのではないかと。

 遥か遠方で立ち上る黒煙が青空を浸食する様も、目の当たりにすることもなかったのではないかと。


「滝飛沫……イクサッ……」


 奥歯を噛み締め、顔を顰める。

 不撓の塔へ近づくに従い、道路には乗用車が散見された。

 主に乗り捨てられ、空の中身を晒すもの。そして渋滞に伴ってクラクションを繰り返し鳴らすもの。

 二通りの自動車に分かれるが、いずれにせよイクサの宣言による混乱が原因であることはいうに及ばず。交通整理に駆り出される警官の姿が見えないのは、それ以上に巻き起こる犯罪の嵐に対処するためか。


「滝飛沫ッ、イクサァッ!」


 少年は声を荒げて咆哮する。

 飢えた獣を彷彿とさせる叫びが大気を揺らし、乗り捨てられた乗用車の窓を震撼させた。

 状況に便乗して車両荒らしに興じようとした男が身体を竦め、通過するジンを前にして戦意を喪失させる。

 双眸に灯る漆黒の炎が彼の心を人知れずに引き裂き、犯罪へ走りかけていた身体を諫めたのだ。

 十数分は走り続けただろうか。

 沸々と乗用車から下りて立ち往生する運転手や、同乗者の姿が増えていく。もしくは車の中で空調を利かせる者もいるが、行く宛もなく足止めを喰らっているのは同様である。

 道路の先では警官が交通規制を敷き、不撓の塔へと続く道を通行止めにしていた。


「退け、俺はライセンサーだぞッ!」

「あぁ、せめて免許証をッ?!」


 尤も、火事場が稼ぎ時と同義の賞金稼ぎにとっては足早に赴くべき現場。警備の隙を突いて強引に突破する者が後を経たない。

 あれでは警戒地域を広げる必要が生まれるのも時間の問題だと嘆息すると、警官の一人の前で一旦静止。懐から免許証を取り出す。


「さっさと確認しろ」

「は、はいッ。双馬ジン様ですね……し、シルバ―免許ッ。危険ですよ」

「うっせぇ、さっさと通……!」

「お願いです、通して下さいッ!!!」


 ジンが胸倉を掴みかかる寸前、聞き覚えのある声が横から響く。

 金切り声を思わせる懇願の下へ向かえば、そこでは三人の警官に捕らえられている男性の姿があった。


「コラッ、向こうは危険なんですよッ。引き返して下さいッ」

「お願いですッ。娘がッ、娘がいるんですッ!」

「トツビ……さん?」


 三人がかりで四肢を地面に押しつける強引なやり口は犯罪者に対する確保術を連想させる。が、ジンの記憶が正しければ彼が犯罪行為に走るはずがなかった。

 笛波トツビ。

 ジンはしゃがむと、取り押さえられた男性と目線をある程度合わせた。


「何やってん……ですか?」

「双馬君か、丁度良かったッ。彼らを説得してくれッ、今すぐ塔に行かなきゃいけないんだッ!」

「いや……いやいや、状況分かってます、アンタ?」


 トツビの突拍子もない発言に、ジンは顔を顰める。

 現在不撓の塔及び周辺が危険な状況であることは、各報道局が矢継ぎ早に伝えている。仮に情報全般を遮断していても、散発的な銃声を聞けば足を翻して帰宅するのが最善。

 彼の娘ならばいざ知らず、父親まで死に急ぐのは流石に笑えない。


「今は不撓の塔がヤバいんですって。こっちも先を急いでるんですよ」

「ッ! 双馬君も不撓の塔へ行くのかいッ。だったら僕も連れてってくれッ!」

「だからそれは……」

「ヒナワが塔にいるんだッ!」

「──」


 放心。

 突然の発言は、衝撃的な言葉は、ジンの先を急ぐ心中に冷や水を投げつける。

 少年が思考を手放す間にも、父親は娘の身を案じる言葉を続けた。


「言ってたんだよッ、今日は塔の祭に行くからってッ。夜帰るか分からないってッ!」

「気持ちは分かりますがねぇ……」


 警官とて人の心を介さない訳ではない。

 銃弾が飛び交う戦場にあって、一市民にできることなどたかが知れているというだけの話。トツビが無理に首を突っ込んだが最後、他人を巻き添えにする可能性すらあるのだ。

 殆んど絶叫に近い彼を黙らせる手段に逡巡していると、警官を手で制してジンが口を開く。


「トツビさん。笛波むす……ヒナワ……さんは俺が連れて帰りますから。だから安心して、あー……豚カツでも準備してあげて、下さい?」


 慎重に言葉を選び、努めて穏やかな口調で諭すように。

 ジンはトツビを説得する。照れ隠しか、頬を掻きながら。


「双馬君……」


 彼の瞳に何を見たのか。

 ジンの言葉を受け、トツビは抵抗を止めて大人しく項垂れた。

 やがて抵抗の意志はないと警官も拘束を緩めたのを確認すると、ジンはパトカーの横をすり抜けて再度疾走した。

 目的地はまだ遠く、立ち込める黒煙ばかりが近づいていた。

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