その3
『ねぇ、今日の建設記念どうすんの?』
『今日は不味いから絶対に不撓の塔には近づかないで』
『何それ、なんかあるの?』
イクサへ宣戦布告した翌日。土曜、不撓の塔建設三周年記念日。
朝の陽光から身を隠す鉄塔の影、壁に背を預けながらヒナワは携帯端末を素早くタップする。キリコと連絡を取り合い、彼女が万に一つでも現場周辺へ赴く事態を防ぐために。
祭日ということもあり、不撓の塔の周りでは屋台が幾つも立ち並び、さながら祭の様相を呈していた。
イクサの思惑など知らぬ大衆は、盛況する記念日を楽しむ。平穏な日常はこれからも続くと信じて疑わず。薄氷の上に立たされているという自覚すらも持てず。
「お願い、来ないで……!」
『ちょっと賞金稼ぎ関連で』
祈るように念じ、ヒナワは額に持ち上げた端末を握り締める。
待ち侘びた返信は十数秒後。しかし時間が惜しい少女は、数時間は経過したような錯覚に陥った。
『分かった。その代わり、明日話してよ』
「キリコ……!」
意地の悪い笑顔を浮かべたスタンプと共に載せられたメッセージは、友人へ思いが通じたことを意味する。ヒナワは素早く液晶を叩いて感謝を伝えた。
そして携帯をブレザーの内ポケットへ収納すると、鉄塔から背を離す。
示し合わせたように彼女へ近づくのは、制服に身を包んだ二人の男性であった。
「ご協力に感謝します。笛波ヒナワさん」
「こちらこそ、急な連絡になってすみません」
感謝を述べる若い警察官に対し、ヒナワは頭を下げて謝罪を口にする。
イクサの一派に監視されている可能性を危惧し、警察への連絡が遅れてしまった。そのせいで避難勧告や祭の中止といった手段が取れず、警備の増員が精々といった状況を招いている。
塔周辺ではパトカーがいつでも銃撃戦に対応できるよう巡回し、人波に紛れる私服警官も数多い。休日返上で頭数を揃えこそすれども、事が起これば民間の被害も皆無とはなり得ない。
ヒナワは奥歯を噛み締め、自然と目つきが鋭くなる。
忸怩たる思いが漏れ出ていたか、警察官はヒナワを慰めるべく手を頭に乗せた。
「君が気にすることじゃない。ここから後は警察の仕事だ」
優しい言葉を告げる警官の視線は、平和を脅かすテロリストへ注ぐべき鋭利さ。側に立つ警官もまた、穏やかな眼差しの奥で使命感の炎を燃やす。
引取係の汚名を返上すべく、警察側の士気は高い。
元より警察の不甲斐なさが国民の大部分に拳銃を握らせる結果に繋がっているためか、労働環境が改善されるに従って彼らの精神性はより高潔なものへと高まっている。
「危険な役目は警察……大人の役目だ」
「最悪の場合には頼りにさせてもらいます」
「そうならないようにすることこそ、僕らの仕事だ」
彼らの宣言に偽りはない。
警察は威信を賭けて事件の未然解決を目論むだろう。しかしイクサの暴挙を妨げることは叶わないと、ヒナワは心の奥深くで冷めた見解を見せていた。
わざわざ犯行予告をしたのだ。警察に通報する可能性程度は考慮しているはず。
そして国家戦力を相手にしても拮抗し得る手段もまた、準備しているに違いない。
「奴の真の目的は警察でも私でもなく、双馬君……何が物語だ」
所詮警察は舞台を盛り上げるためのモブで自分は精々囚われのヒロイン。全ては主人公到来を最大のカタルシスを以って迎えるための舞台装置に過ぎない。
誰が奴の思い通りになってたまるか。
心中に呼応してか、ヒナワの視線は鋭利に研ぎ澄まされる。
『本日は不撓の塔建設三周年記念ッ。地上五五〇メートル上空から覗く眼下では、今日という日を記念して盛大な祭が行われております!』
一定間隔で取りつけられたスピーカーが心地よい音色を届ける。
ヒナワ達の立つ塔の真下からでは分からないが、入口の一角に設置された大型街頭モニターには地上波を通じて放送されているテレビ番組が映されていた。
特注の液晶画面に映し出されているのは、桜のスーツに身を包んだ女性。背後では展望台からの光景を一目見ようと集まった人々が眼下を覗き、どこまでも広がる青空を拝んでいる。
女性リポーターは訓練の賜物たる聞き取りやすい声色を画面の向こうへ届けた。
『そして塔内部でも、今日までの日本がどのように歴史を紡いできたのかの特別企画を開催中です。そこでクイズです……!』
マイクは高い集音声を以って、彼女の声と共に周囲の喧噪を捉える。
最初は純粋な音の集合体であったそれは、やがて困惑の声音へと姿を変えた。
『すみません、今は撮影中でして……!』
『おいおいおいおい、固いこと言うなよ。アドリブ利かそうぜ』
「ッ──!」
咄嗟に身体が動く。背後で声を荒げる警察の人々さえも置き去りにして。
液晶へ意識を注いでいた人が、視界に割り込まれる形になって指摘の声を上げようとする。が、鬼気迫る横顔とヒナワが纏う剣呑な雰囲気に呑まれ、息を殺して自らが移動した。
殺意を滲ませるヒナワの前で薄紫のコートを羽織った男が大仰に腕を広げる。
『だ、誰ですか貴方は……!』
『うっせ』
甲高い銃声が響く。
男がコートの奥に潜ませていた大型拳銃を引き抜くと、素早く女性の頭へ照準を合わせ、引金を引いたのだ。
尾を引く血潮へレンズを合わせようとしたカメラを掴み、男は悲鳴と怒声が溢れる画面を独占する。背後では喧噪の音色が大きく様変わりし、合間に銃声が混じり始めた。
『おいおいおいおい
短い悲鳴は稲穂と呼ばれたカメラマンが漏らしたものか。緑の髪を乱雑に伸ばした男は、醜悪な笑みを浮かべて喉を鳴らす。
『さぁさぁさぁさぁ、紳士諸君淑女諸君ッ。愉しい愉しい物語の始まりさ!
俺は滝飛沫イクサ、素晴らしき脚本家でしがない武器商人だ。そんな俺から今日は特別なプレゼントがある。総理大臣襲撃二〇周年記念に相応しき、な』
イクサはカメラから手を離すと、上機嫌に身体を動かす。
腕を振り、手首をスナップさせ、踵で一定間隔のリズムを刻む。創作ダンスと呼ぶにも値しない素人の舞だが、前座にも丁度いいのか。
『突撃銃に短機関銃、狙撃銃は素人には外れかな……それらを不撓の塔周辺へランダムに配置した。数は、秘密だ。
ハハッ。みーんな童心に帰ってよぉ、宝探しと行こうぜ。ちゃんと弾も込めてるし、ボンドなんざ仕込んじゃねぇからよ。そしてもう一つ、プレゼントがある』
もう一つのプレゼント。
その正体を告げるかの如く、爆発音が断続的に響く。
音に反応して振り返れば、青空を穢す黒煙が各所から上がっていた。更に断続的な銃声でスピーカーの音を掻き消す。
右手を固く握るヒナワの背後で、イクサは破顔大笑。
『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァッ!!!
赤信号、皆で渡れば怖くないってなぁッ。銃に自信がねぇ奴は先輩方からご教授願いなッ!』
邪悪な声音を最後に、液晶の画面がしばらくお待ちくださいとテロップに描かれた穏やかなものへと差し変わった。尤も、しばらくの続きが放送されることはないだろう。
目の奥に熱いものが込み上がり、ヒナワの足は自然と地上と展望台を繋ぐエレベーターへと向かう。
視線を横へ向ければ、警察も無線を通じた大量の報告で次の手に逡巡しているように見えた。引っ切り無しに鳴り渡る携帯端末の音は、突然の出来事に混乱する大衆の危機感を煽る。
奥歯を噛み、紫の髪を揺らしてヒナワは叫んだ。
「私が塔を上りますッ。皆さんは外をッ!」
「そんな、しかし……!」
「私はライセンサーですよッ」
言いたいことだけを口にすると、ヒナワは視線を前へ戻して速度を上げる。
しかし閉ざされた扉を前にして、少女は足を止めるのみならず思案した。
電力供給を断てばエレベーターは単なる棺桶となり果てる。そしてスピーカーから伝わる銃声は、イクサのみならず彼が率いる集団をも塔内に潜伏することを意味する。
「階段の方が安全……!」
言うが早いとヒナワは方向転換し、階段へと進む。
イクサの下らない物語とやらを終わらせるべく。そして招かれざる少年が訪れる前に、全てを終わらせるべく。
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