その2

 昼休み後の授業に集中できる学生は少数に限られる。増して、翌日が休日ともなれば影響力は強まる。

 それはヒナワにしても同様の話。

 否。脳内でジンへの謝罪文をしたためていた彼女に、授業へ正しい姿勢で挑むことを求めるなど不可能。ノートに候補を幾つも羅列しなかっただけ上等、とすら主張できた。

 そしてホームルームも済むと、ヒナワはいの一番に教室を飛び出し、一年の教室を目指す。

 校舎を慌てて跨ぐと、ちょうど一年もホームルームを終えたのか。教室から学生が帰路へつく最中であった。


「双馬君は……」


 首を左右に振って黒髪の少年を探すも、該当する髪色の生徒は多い。

 数日会った程度の関係では、三〇名近い生徒の中から該当する個人を見出すのは困難。

 せめて室内でもお構いなしにベレー帽を被る感性ならば捜索も楽だというのに。ヒナワの苦悩など知らず、学生は終業の流れに乗って一階玄関を目指して歩を進める。

 いよいよ姿が見当たらない、と諦めかけた時。


「あ……」


 いた。

 黒髪に白を一束加えた、赤い瞳の少年。切れ長の目で世界を鋭利に見つめる彼が仏教面で廊下を歩いていた。

 ヒナワは声をかけようと手を上げ。


「双……」


 いったいどう声をかければいいのか。

 今までの態度をどう謝罪するのがいいのか。果たして、口先だけの言葉に何か意味があるのか。

 足を引っ張る沈殿した感情が、彼女に一歩踏み出す選択肢を躊躇させた。

 授業への集中を疎かにしてまで考えていた内容は呆気なく霧散し、言葉に詰まる。上げられた腕は力なく下され、直前まで輝いていた瞳を濁らせる。

 そしてジンはヒナワに気づくこともなく真横を素通りし、帰路につく。

 振り返って声をかければまだ間に合う。

 頭では理解していても、少女は別の部分へ思考を割いてしまう。


「謝るのは来週でも……できるよね」



 夕焼けに包まれた空は、眼下の街を茜色に染め上げる。

 それは街を行き交う人々も同様であり、ヒナワの艶のある紫髪にも同色の輝きが乗った。

 近代的なコンクリート造りのビルに挟まれた道は、明日に控えた不撓の塔建設記念に備えて飾りつけやポスター、看板が盛んに設置されている。熱に当てられているのか、人々もどこか浮足立っているように思えた。

 一方でヒナワの内面は登校時よりはマシといった程度で、周囲と比較するまでもなく暗い。

 結局怖気づき、礼と謝罪を来週に見送ってしまった。


「はぁ……」


 果たして今日だけでどれ程の幸福を手放しただろうか。

 それでも、零れる溜め息を抑える意志は低い。


「明日か、記念日……」


 ふと視線を向けると、母が契約している洋服ブランド『サバト』協賛の建設記念日ポスター。朝日に照らされた不撓の塔を背景に、長身の女性が長い髪とロングコートをはためかせる一枚絵。

 女性の姿は影の中にいても目を引く存在感があり、アルファベット表記の社名で囲った魔法陣の存在も相まって現代を生きる魔女を連想させた。

 思えばサバトのキャッチコピーも、弾丸でも穿てぬ魔法の衣であったか。


「お母さん……」


 心細く呟き、写真の中にいる母親に助けを求める。

 カソウとは仕事の忙しさやヒナワ自身の配信関連も重なり、最近ではマトモに顔を合わせていない。彼女の活動方針も、母からの脱却という側面があることも事実。

 それでも、彼女はカソウのことが好きであった。

 自分が環境や容姿を含めて恵まれている側という認識も、両親への感謝に繋がっている。それに彼らは確かな愛情を注ぎ、一人娘を育て上げたのだ。

 そんな彼女に思わず腕を伸ばしてしまうのは、仕方ないことであった。


「お客様、展示物に触れられては困りますね」


 横から静止の声をかけられ初めて、ヒナワは自分が腕を伸ばしていることを知る。

 頭を下げて腕を引っ込めると、声の方角へと顔を向け。


「──!」

「おやおやおやおや、奇遇ですね」


 歯を剥き出しにしたわざとらしい笑みを浮かべる、違法武器商人と遭遇した。

 咄嗟に腰のホルスターへ手を伸ばす。が。


「早撃ちは止めた方がいい」


 男は右手に握るスイッチをこれ見よがしに晒す。

 陽の光に晒されたそれは工場の一角を吹き飛ばした時よりも大型で、有効範囲が広いと誇示するようにも思える。

 脳裏に過った炎熱と黒煙の記憶が、彼女の手を拳銃から離した。


「懸命な判断だ。こいつを押せば、ジャンルが世紀末ガンアクションになっちまう」


 喉を鳴らし、薄紫のロングコートを翻す男を睨み、ヒナワは苦虫を噛み潰す。


滝飛沫たきしぶき、イクサ……!」

「場所を移そうか、お嬢さん?」


 従わなければどうなるか。半ば脅迫にも似た響きを以って鼓膜を震わすイクサの主張に、ヒナワは追従する他にない。

 端から見れば、彼についていく構図はどのように解釈されているのか。

 羽振りの良さそうなイクサの姿から金目的の接触か。

 もしくは母親似の娘と歩く父親か。

 イクサが右手をポケットの中へ入れていたため、誰も真の目的に気づくことがないのは幸いに違いない。下手に騒がれてスイッチを押されるよりは、遥かにマシなのだから。


「お前のことを調べるのは簡単だったぜ。顔出し配信の上、母親が有名人とあっちゃな」

「ストーカー気質なのね」

「几帳面と言って欲しいな。せっかくの演者がスキャンダル起こして台無しになったらたまんねぇからな。

 それにストーカーってのは、目に映った部屋の様子だけで自宅を特定できる奴のことを言うんだ」

「最低……」


 薄紫の後ろ姿を蔑視するヒナワであったが、かといって後方から撃つ無茶を敢行する気にはなれない。万が一の失敗を想定すれば、リスクが大き過ぎる。

 一方で後方から注がれる殺気を知ってか知らずか、男は先程までと同様に言葉を紡ぐ。


「おいおいおいおい、俺は脚本家だ。親を人質に目的を果たそうなんて、そんな絵にならん三流シナリオを世に出すつもりはない」


 そんなので客が喜ぶかよ、大仰に肩を竦めるイクサはさながら本当の脚本家。

 労力が真に人が楽しめる方向へ注がれているならば文句はないが、彼は違法武器商人。彼の提供した娯楽が、別の誰かへ痛苦を強制する。

 二人が歩くに連れ、徐々に喧噪は激しさを増す。

 道程と太陽も沈みつつある時間帯になお活気づく周辺に、ヒナワは一つの可能性へと行きつき、悪寒に身体を震わせる。


「……ふー」

「風邪だっていうなら今日は温めて寝ろよ、クライマックスは万全で行うのが定石だ」

「……」


 ヒナワは不快感に奥歯を噛み締める。

 幾つか会話を交わしている間に、二人は塔の真下に到達した。

 四方をエレベーター内蔵の鉄骨に支えられた一つの建造物。途中に円形の展望台を挟んだ施設は、日本が世界に誇る全長七三五メートルもの巨大タワー。

 総理大臣襲撃事件跡地に建設された再建と復興の証、不撓の塔。

 その膝元で今、緑の髪を乱雑に生やした男性が喉を鳴らす。


「二〇年前、時の首相がこの地で殺害されたことから、物語は始まった」


 両腕を広げたイクサが身体を回す。ナレーションの裏で行われる意味深なダンスや光の演舞を兼任するように。

 塔の真下で催しを行う予定はないのか、彼の奇行に対する観客はヒナワ一人。


「日本を変革させた一発の銃弾は世界各国に特需を生み出し、一五年前の銃刀法改正によって改悪されるまでダークウェブ越しに多額の利益を生み出した」


 饒舌に語る日本の恥部は、武器商人にとっての祝福。

 しかし、イクサの目的は単なる需要と供給の話ではない。


「そして明日ッ。全ての始まりたるこの不撓の塔を舞台に、全世界待望の物語第二部の開幕を宣言するッ!

 最っ高に盛り上がるとは思わないかッ?!」

「第二部って……ふざけてるの?」


 感情を高ぶらせるイクサとは対照的に、ヒナワの感想は冷ややか。

 日本全国の治安が中南米に匹敵するレベルで悪化した時期を賞賛し、犯罪撃退率などという事後処理の数値を上昇させることで仮初の平穏を享受している現在の崩壊を第二部と称するなど正気ではない。

 唾棄すべき危険思想、爆弾という制約さえなければ十度は拳銃を引き抜いている。


「だ・が、物語上の計画は一方的に成功してもつまらない。だからこそ、主人公は俺以外が担当することが望ましい。

 たとえば、女子高生すら拳銃を握る時代に白鞘を握って戦う侍。たとえば、一人の女子高生と交流を重ねる孤独な少年。

 たとえば、過去に両親と妹を殺害され、その復讐を目論む少年」

「ッ……!」


 ヒナワの表情に現れた動揺に、イクサは醜悪に口角を吊り上げた。

 前二つに該当する人物には心当たりがある。

 そしてイクサの口調は同一人物を指し示しているとみて間違いない。ならば最後の一つもまた、当て嵌まると考えられる。

 しかし、しかしである。


「おっと、こんな妙なタイミングで驚愕の事実発覚となってしまったか。知らないんだったら、もっと劇的なタイミングで暴露したんだがなぁ」

「そんな、話……なんでお前が……」

「現代で刀を使うのは珍しい。ってのはさっきも言ったが、そんなのが外聞も気にせず拳銃の情報を集めたら、そら目立つってもんよ。そこに見事なまでに主人公な前日譚があれば……」

「うるさいッ!」


 イクサの言葉を遮り、少女は声を荒げた。

 どこまで言っても人をキャラクターと解釈する。幼少期に家族を殺害されたという過去ですら、物語を盛り上げるためのアクセントとしか認識しない彼の物言いを断として否定するために。


「人は……双馬君はお前の脚本を盛り上げるための道具じゃないッ!」

「ハッ。気に食わないんだったら、明日俺を止めてみろよ。主人公が遅れて来る前に物語が打ち切りになれば、それこそ終わりなんだからなぁ!」

「上等よッ!」


 力強く宣言すると、腰のホルスターからグロック一七を引き抜き、ヒナワはイクサの胸元へと照準を合わせる。

 それに合わせて男も懐からスイッチを引き抜き、わざとらしく構えた。


「早撃ち勝負は止めた方がいい、といったはずだが?」

「……これは宣戦布告。お前の思い通りになんて、絶対させない」


 少女の口調にイクサは好戦的な笑みで応じ、満足したように踵を返す。右腕を誇らしげに掲げる様は、彼女がスイッチのみを的確に射抜く精密性など持ち合わせる訳がないと確信するが故に。

 既に目的を完遂したからか、少女には見えない場所で歓喜に顔を歪める。

 悠々と歩く薄紫のロングコートを、ヒナワは声の一つも漏らすことなく凝視した。

 自分にとって原点とも言える景色。煌びやかさに彩られた光景を愚かな脚本家気取りに塗り潰されてなるものか。

 胸の内に沸々と湧き上がる感情が、右腕を乱暴に振り下ろさせた。


「お前の思い通りにさせるか。滝飛沫イクサ……!」


 内に秘めた感情を吐き出すと、乱れた呼吸を整えるべく深呼吸。

 大きく息を吸い、吐き出す度に身体から不要な熱が排出される。冷静さを取り戻すと、次に思い出すのはジンの事。

 彼はかつて、奇妙な形状をした拳銃を探す旨を伝える際に、報いという表現を用いた。

 報いの内容が家族を奪った事実に対するものとすれば、疑問符の浮かんだ幾つかへの回答ともなる。

 拳銃を扱えないのは、家族を奪われたトラウマから。

 刀を使用してまで戦うのは、仄暗い復讐心から。

 自分も父親や母親を理不尽に奪われれば、似た行動に出るだろう。だが彼と同じ成果を弾き出せるかと問われれば、首を縦に触れるとは限らない。


「いったいどれだけのことをやれば、あれだけの……」


 自分よりも年下の少年が費やした月日を思えば、確かに配信のネタ探しなどに使おうとした浅慮さは怒髪天を突くというもの。


「謝ること、一つ増えたな……」


 少女の呟きは暗闇に染まる大空に吸い込まれ、誰の鼓膜をも揺さぶらない。

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