その2
雲一つない快晴そのものな青空。遍く陽の光は、たとえ国から半ば見捨てられた開発放棄区域にも平等に届けられる。
平日、午前一一時。
学生がいるべきではない時間帯に、
防弾仕様に優れるからとはいえ、高校指定のブレザーを脱ぐような偽装工作も行わない様は潔いとも開き直りとも取れる。
腰に携えた白鞘と鋭利に研ぎ澄まされた赤い瞳が、彼の剣呑な雰囲気を助長した。
壁に背を預け、ジンは携帯端末を操作する。液晶に表示されたのは、
「滝飛沫イクサ……違法武器商人として多数の短機関銃や狙撃銃を売買し、国内で発生した多くの事件に裏から絡んでいる。脅威度を鑑みてかけられた懸賞金額は八〇〇〇万……」
八〇〇〇万ともなれば、現状の懸賞金制度に於ける上限額。国家防衛省から見た脅威度も最上級であることを意味する。
銃刀法改正に伴って、当時幅を利かせていた違法武器商人は一掃に成功している。イクサはその後、空白地帯となった日本で改めて商売を始めた口である。活動期間は八年と短いが、足を掴ませぬやり方に政府も手を焼いているということか。
「殺ったとしても六四〇〇万……当面の生活を工面するには充分だな」
拳銃の整備や銃弾の定期的な確保といった、メンテナンス面での苦労が多少マシなジンではあるものの、切れ味を維持するためには為すべきことが幾つか存在する。
それに自宅の維持費や生活費、各種情報を集めるための経費など金に余裕のある生活では断じてない。
故に上限金額の賞金首は胸躍る内容であり、ジンの私的な目的にも合致していた。
「付近の廃工場に居を構えているが、これまでの足取りの掴めなさから不定期に動いている可能性がある、か……」
「で、誰を追ってるの?」
「ッ!」
反射で一歩横に跳び、右手で柄を握る。
正面から鼓膜を揺さぶる透き通った声にまさか、という動揺を滲ませながら、視線を上げる。が、そこに立つのは声の印象から寸分違わぬ容姿であった。
紫の長髪にターコイズの瞳、校内で羨望の視線を集める美貌に男子物のブレザー。チェック柄のスカートに左右で長さの異なる靴下、そして歩くのに不便がないのか疑問に思う厚底ブーツの少女など、該当する人物は一人しか思い浮かばない。
即ち、笛波ヒナワ。
「どうしたの、そんなに警戒して。そんなに私が怖い、双馬君?」
「……どうやって俺の居場所に気づいたのか次第では、ドン引きしてやんよ。笛波娘」
イクサの情報を誰かに漏らした覚えはない。
他の信頼できる賞金稼ぎならばまだしも、先の模擬戦を参考にしても彼女が警察の信頼を勝ち取れるとは到底思えない。
ぎらついた視線に両手を振ると、ヒナワはそのカラクリを披露した。
「そんなに怖がらないでよ。私はあくまで推理とカンだけだから」
「カン?」
「そ。
まず君が通学してなかった時点で、学業よりも優先すべき事情を通したのは明らか。そして私達が初めて出会ったのは、廃工場ないし開発放棄区域。他に頼る根拠がない以上、そこに何かあると思ってヤマを張ったんだ」
まさか、いきなりビンゴとは思わなかったけどね。と冗談めかして語るヒナワの口調は、昨日負け惜しみを吐いて逃走した人物と同一とは俄かに信じ難い。
いや、むしろ能力がないなりに考えて行動していたのは模擬戦でも見せていたか。
結果が振るわなかっただけで。
「で、どうするつもりだ。悪いが、今日の仕事は取材NGだぞ」
冷たく、鋭利に、ジンは突き放すように言う。
イクサが活動を開始したのは八年前。
ジンの家族を奪われた事件と同時期に活動していたということは、彼の追う復讐相手に関しても何か知っているかもしれない。何なら、直接取引している可能性も。
所詮は理論上の話。机上の空論にも等しく、違法武器商人は毎年摘発されてるだけでも三〇〇〇から四〇〇〇の間を推移している。
だが、それでも可能性があるならば度外視することはできない。
「どうして。侍一人よりは安全だと思うけど」
「お前の存在のどこで安心すりゃいいんだ? 八〇戦連敗するような奴が、相手は短機関銃に突撃銃となんでもアリだぞ?」
武器商人が純粋に単独で活動するということは稀であり、多くの場合で護衛を雇って身を固めている。犯罪者が警察に訴えることなどできないと、強気に出る客を未然に牽制するために。
そして彼らの握る得物は往々にして商品を貸し与えるか、報酬に初めから短機関銃などが加えられている。
「死体を彩るような奇特な趣味に付き合う気はねぇんだ。さっさと学校へ帰れ」
冷淡に言い放ち、ジンはヒナワを横切る。
彼女は指摘に言い返すことも叶わないのか、俯いたまま微動だにしない。
それでいい。
心中で呟くと、ジンは足を速める。万が一にも転身した際に手遅れとするために。遅れて自身を追おうと考えても、その背中すら見えなくするために。
「双馬ジンッ!」
それでも、振り切ろうとしても。
大声で呼ばれると思わず足を止めて振り返ってしまうのは何故か。
そして、その先で繰り広げられていた光景に言葉を失う。
「なッ……!」
「言うこと聞かないんだったら、私はここで手首を切る。本気だよ」
ヒナワは左腕を掲げ、手首には右手に握ったカッターナイフを近づけていた。
淡々とした声音から本心を読み取ることは叶わない。
が、冗談と切り捨てるには彼女自身の引きつった表情がノイズに過ぎる。怯えて切らないことはあっても、根本的に切る気のない虚仮脅しなどでは断じてない。
ナイフの腹で手首を叩く様は、ジンに回答を促すように。
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ……もっと考えて脅せよな……!」
震える手を誤魔化すべく、ジンはベレー帽を鷲掴みにする。僅かに乱れた呼吸は、声に震えを付与した。
一方で言ったからには後には引けぬと、ヒナワは徐々に引きつった表情を平時へと引き戻していた。手首を叩くテンポが早まっているのも、余裕を取り戻している証左か。
「本気だよ。それとも、血が流れないと信じないタイプ?」
「そ、そういうのは……やらねぇ奴が言っても意味ねぇぞ……?」
「やらない奴が、ね」
震えるジンの声に失望の声音で返し、ヒナワは刃を立たせる。
わざとらしく手首をスナップし、陽光が反射する。紛うことなきタングステンの輝きは、血管など容易に切り裂くことを証明した。
殊更ゆっくりと、意見を翻すのを待ち侘びるかのようにナイフの刃を手首へと近づける。
ジンの視線が手首へ釘付けとなり、呼吸が乱れる。
見開かれた赤い瞳は一点を見つめ、暑さとは無縁の汗が額に滲む。
やがて口が震え、恐怖に歪む。
なおも進む刃は、後数ミリもしない内に皮膚を割く。
「分かったッ、分かったッ。分かったから止めろッ!!!」
限界を迎えたジンは声を張り上げ、ヒナワの蛮行を制した。
気づけば鷲掴みにしていたベレー帽は頭から離れ、左手に収まっている。大きく深呼吸を繰り返す様は、過呼吸寸前だったのではと見る者を不安にさせた。
肝心のヒナワは薄く口元に笑みを作ると、右手をスナップさせて手首から離す。
「……良かった」
零した声には万感の思いが込められ、少なくとも本気の感謝なのだろうとは理解できる。
しかし、度を越した蛮行を考え無しに肯定する訳にはいかない。
深呼吸を一つ。乱れに乱れた思考を鮮明にする。
ジンはせめて念を押すべく、幾つかの条件を提示した。
「ただしだ、ついて来るからには俺の指示に従え。勝手な行動は取るな」
「勿論、そっちの方が判断はいいだろうし」
「次に、さっきのようなふざけた事をしようもんならすぐに帰る。いいな?」
「まさか、君以外にあんな脅しが通じるとは考えないよ」
「もう一つ。あんなのはもう絶対に止めろ、いいな?」
「親かな。別に構わないけど」
語気が強くなるジンに対し、ヒナワは事の重大性を理解しないかのような口調で応じる。無論、彼女が指示を無視することはないだろうが、不信を拭えないのもまた事実。
渋い視線を向ける少年は、苦虫を噛み潰して少女の慣れない微笑みを見つめていた。
「で、どこに用事があるの?」
ジンの抱く感情など知らぬと、ヒナワは一歩踏み出して問いかける。
推理とカンを総動員して少年の現在地までは絞り出せたものの、用事そのものは未だ不透明。彼に追随する以上は、彼の口から回答が頂きたい所。
少女の思惑に予想がつくのか、渋々といった面持ちでジンは周囲へ手を回す。
「ここら一帯の廃工場のどこか。そこに潜伏してる違法武器商人の逮捕が目的だ」
「ここら一帯って……絞り込みは?」
視界に映り込む廃工場は数が知れず。
工業地帯として発展させる算段だったのか、もしくは開発の過程で必要となる物資を生産する拠点の構想だったのか。当時の判断は不明だが、今見えるだけでも十や二〇では利かない量の工場が見受けられる。
ヒナワの言葉には、ある種の嘆願に似た感情が籠っていた。
が、ジンは無常にも切り捨てる。
「開発放棄区域内って絞り込みだけでも上等だろ、相手の取引相手は世界だ」
「はぁ……そうですか……」
「俺の指示には従えだろ、まずは一つづつ探るぞ」
「はーい……」
ヒナワの語気は明白に弱まっていた。ともすれば、リストカットを脅しに用いてまで強引に追随したことを後悔する程に。
しかし一端ジンが動き出せば、不満を顔に出しつつも背中を追う。ホルスターから愛銃たるグロック一七を引き抜くと、遊底を後退させて安全装置を解除。
敵を発見し次第、引金を引けるように。
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