その3

 無人の廃工場群は音に乏しく、曲がりなりにも人が住んでいる区域と比較しても静寂に包まれている。小鳥の囀りでもあれば印象も変わるのだろうが、どうしても死の文字が脳裏を掠めた。


「まずはここだ。やたら広い上に余程焦って撤退したのか、備品もそこそこに残ってる。気をつけろよ」


 言い、ジンが指差したのは周囲と比べても一回り大規模な工場であった。螺子が外れた看板は長年の降雨で錆つき、文字を読み取ることすら困難に思えた。

 ベニヤ板の屋根も同様で、雨よけとしての役割は極めて薄い。


「足元に?」


 警告に理解を示さない同行者へ、ジンのかける言葉は辛辣。


「誰かが隠れて奇襲をかけるかもしれないって意味だよ、ボケ」

「そんな襲撃を受ける前提な準備してるもんなの?」

「もんだよ、こういう場所でやる取引はバレたら終わりって相場で決まってんだよ」


 ヒナワを手で制すると、ジンは工場の周囲を旋回。正面入口は間違いなく抑えられていると、他の出入口の散策を始める。

 割れた窓から頭を見せる愚は犯さず、腰を屈めて壁に密着。背後に続く少女もそこは把握しているのか、ジンに倣って後に続く。先の言葉が身に染みているのか、手には拳銃が握られていた。

 右側面で発見した扉の側面に立ち、ヒナワと向き合う。


「工場に入るぞ。絶対に不要な音を立てるなよ」

「分かった」


 改めて確認を取ると、ドアノブを捻る。

 軋む蝶番の音に表情を歪めるが、今更引く訳にもいかず。

 扉の隙間に素早く身を滑らせると、ヒナワも続く。直後に支える者のいなくなった扉から物々しい音が工場内に響き渡った。

 内部はジンが説明した通り、本来は機械の加工に用いる機器が立ち並び、油の匂いが鼻腔を刺激する。長年放置されたことで蓄積した埃が不快な絨毯を敷き、天井からぶら下がる鎖が風に揺れて甲高い音を鳴らす。

 付近の機械に背中を預け、ジンは軽く顔を出す。


「見える範囲に人は……いないな」


 人気はない。

 しかし工場には幾つかの貯蔵庫が隣接しており、そうでなくとも階段経由で二階も存在している。入口付近からでは見えない死角が多い以上、油断は禁物。

 薄く息を吐き、全身から力を抜く。

 そして柄を強く握ると、視線だけでヒナワへ前進を促した。

 首肯で応じる少女を確認し、足を進める。

 機械と機械の間を素早く移動し、合間で周囲の索敵を敢行。姿らしい姿は伺えず、あるのは木漏れ日と微かに零れる靴の反響のみ。

 忙しなく動く視線に怪しい動きはない。

 ハズレだったのか。

 無駄足の可能性が鎌首をもたげた時であった。


「ッ……!」


 背筋の凍る、八年前に味わった喪失の感覚。足元に妹の血が滴り、自らを攻め立てる感覚。

 呼吸を乱して背後へ振り返れば。


「え?」


 突然殺気をぶつけられて間抜けな面を晒す美少女。

 そして、背後で屈折した暗い笑みを浮かべる男性。右手に握られているのは蠍の愛称を持つ短機関銃。

 コンマ数秒もあれば引金が最高速に設定したレートリデューサーを作用させ、ヒナワの肉体を容赦なく粉砕するだろう。

 それよりも、早く。


「頭下げろッ!」

「あッ……!」


 怒声で身体を引きつらせたヒナワは咄嗟にしゃがみ、空いた空白へ抜刀。

 居合の要領で放たれた斬撃が男の右肘を両断し、得物ごと宙を舞う。思考シナプスすらも上回る速度に、男は遅れて驚愕に顔を歪めた。

 間隙を突くように一歩踏み出し、返す刀で男を袈裟に切り裂く。

 遅れて咲き誇る血染め桜を尻目に、ジンは放心するヒナワの腕を掴んで駆け出した。直後、上方から銃声がしたと思えば、彼らがいた地点に無数の穴が穿たれる。


「え、何ッ。何ッ?!」

「ビンゴだよ、馬鹿野郎がッ」


 悪態を一つ。

 近場の階段下まで全速力で駆け抜けると、身体を滑り込ませる。

 銃声は断続的に降り注ぎ、機械やコンクリートの破片が煙を上げた。


「侵入者はどこだッ!」

「フェニックスがやられたッ。あの馬鹿、油断しやがってッ」

「バハムート、レギオンと一緒に下りて敵を捜索しろ!」


 響く怒声は襲撃への困惑よりも、味方が倒された事態への怒りの方が表層化している。あくまで違法武器商人が雇った護衛程度にしては、妙に練度が高い。

 そう時間の経たない内に、敵は階段下に潜った二人を見つけるに違いない。


「笛波娘、とりあえず何でもいいから一、二発撃て」

「どこを、正直もっと近づかないと……」

「何でもいい。気づかせるのが目的なんだからよ」

「はぁ?」



 困惑するヒナワを他所に身を屈めると、ジンは左右へ意識を割きつつ進む。

 納得していない少女を説得する時間も惜しい。日本では入手不可能な短機関銃持ちが湧き出ているということは、目標たる滝飛沫イクサも近い。

 護衛に時間を割いてしまえば、離脱する猶予を与えてしまう。

 無警戒気味に顔を出す敵の内一人へ目標を定めると、周囲を警戒しつつも背後から距離を詰めた。

 絶対的射程の差を埋めるには、自らの間合いに入るまで存在を悟らせないこと。

 数多もの蓄積された経験を下に、ジンは滑るように接近。


「銃声、向こうかッ……!」


 タイミングよく、ヒナワが撃ち鳴らした銃声に男の意識が割かれた直後。

 左手を柄の尻に当て、押し込むように男の心臓を貫く。刃を横にしていたため、肋骨の隙間を的確に貫通した切先が男から突き出る。

 左手を添え、男の肉体を横に動かすと直後に銃弾の嵐が血飛沫を伴って穴を穿つ。


「味方もお構いなし、か」


 冗談めかして口にすると刃を引き抜き、身を潜ませる。

 敵の意識は全てヒナワへ注力している。二階から覗く連中を意識しつつ、一人づつ処理すれば時間は然程かからない。


「ぜってぇそっちへは通さねぇから、それで勘弁な……笛波娘」


 真横を通過した男の首を刎ね、鮮血を背景にジンは駆け出す。

 銃声に引き寄せられたのは後二人。残りは二階から警戒の目を光らせているに違いない。

 ふと、足元に転がっている短機関銃を見つめ、蹴り転がす。攪乱には音を出すのが最も手っ取り早い。

 彼の期待に答えるように、ヒナワへ迫っていた一人が背後へ振り返る。


「誰だ……いや、イクサの話じゃ侵入者は一人じゃないって……!」

「時間が惜しいんでな」

「ッ!」


 時間に余裕があるのならば、今の敵を生け捕りにする策もあった。

 が、何よりも迅速かつ速やかな解決こそが望ましい。

 男の意識が声のした足元へ注がれた直後、掬い上げる刃の一閃が半身を切り裂く。

 しかし、刃が浅い。


「クッ、が……テメェッ……!」


 最期の力を振り絞り、乱雑に照準された蠍が弾丸を解き放つ。炸裂する銃雨が眼前の敵へ秒速三〇〇メートル超過で迫り、相手の肉を抉らんと殺到した。

 死の雨を遮る傘の代替は、ジン自身の身体能力。

 素早いサイドステップで射線から外れると、追撃を嫌って首へ一突き。

 空気が抜けたような断末魔を最後に男の瞳から命の輝きが潰え、刃を引き抜けば役目を失った人形の如く崩れ落ちた。

 しかし銃声まで鳴らしたことで、周囲の意識がジンへと注がれる。

 頭上から迫る銃弾は手早く動けばいい。

 が。


「ハッ、そういうことかッ!」


 残る男が銃口を向け、ジンの呼吸が僅かに乱れる。

 額から焦燥の汗が流れるも、脳内だけは別の手段を模索する中。

 一発の乾いた銃声が、男の身体を不自然に痙攣させた。

 崩れ落ちた背後には、グロック一七を構えたターコイズの瞳を持つ少女の姿。


「言ったよね。近づけば当たるって」

「ッ……もっとネガティブだったろうが、よ!」


 地面を転がれば、直後に穿たれる穴が多数。

 二階から一方的に銃撃を繰り返す狩人達は、間違いなく階段への警戒も深めている。安易に上れば通行料を身体で払うこととなる。

 いったいどうするべきか、思案を深めていると先に提案したのはヒナワの方であった。


「私が援護する。その間に上って、双馬君」

「チッ……それしかねぇのかよッ」


 信を置くには些か以上に足りないが、それでも他の手段は思い当たらない。

 意を決して階段を上るジン。

 当然、彼の昇降を妨げるべく無数の銃口が注がれる。しかし。


「おっと、それは駄目だよ」

「小癪なッ……!」


 足元への跳弾で相手は姿を隠さざるを得ない。

 たかがゴム弾と無視しようにも、当たり所が悪ければ意識を喪失するには充分な威力を有している。そうでなくとも狂信者でもなければ、痛みを無視して戦い続けるなど叶うものか。

 幾つかヒナワが銃撃している間にもジンは上り詰め、階段付近で身を引いていた男を切り裂く。


「侵入者が上ってきたぞッ!」

「撃て、撃てェッ!」


 男達が一斉に照準を合わせ、出鱈目に発砲。

 黄金色の空薬莢が音楽を奏でる中、降り注ぐ弾雨を横に走り抜け、貯蔵タンクの隙間から駆けると一閃。一撃離脱を意識して、即座に別のタンクへ身を潜める。

 高低差という最大のアドバンテージを失った今、点在する障害物が最早彼らに味方することはない。

 直撃弾をタンクが吸い取り、捉えていた獲物が障害物に隠れて距離を詰める。

 それらを嫌って転落防止の柵へと引けば、一階から放たれるヒナワの射撃に晒される始末。

 背中では有効打にはなり難い。

 が、一瞬でも意識を逸らせば、ジンが距離を詰めて絶命の一撃を加える。直後に鳴り渡る黄金色の鎮魂歌は、少年のブレザーを掠める程度。

 高校指定の防弾仕様は対拳銃を想定したもの。

 短機関銃が相手では裸よりもマシといった様子で、掠めた肩からは血が滲み出してる。


「クッ……フゥ……フゥ……!」


 呼吸が乱れる。

 銃弾を掠めたという事実が、心臓に早鐘を打たせる。刀を握る手を震えさせ、精密性に支障をきたす。


「ッ……アァァァッッッ!!!」


 恐怖を吐き出し、一筋の閃光が恐怖の根源を切り裂く。

 乱反射する声音に一階の少女が身体をビクつかせたことなど知る由もなく、貯蔵タンクを背にして周囲を警戒する。

 敵は全滅したのか、足音はない。

 尤も、想定外に時間をかけ過ぎたのは紛れもない事実。

 本来ならより時間をかけて警戒網を敷くべきなのだろうが、足早に別の部屋へ続く扉を探る。


「……笛波娘、二階に上がってドア探せッ。武器商人見つけるぞ!」

「分かったから」


 怒鳴るような口調に不満があったのか、透き通る声音には明瞭な不快感が混じっていた。

 彼女が二階に上がる時間を待つつもりはない。ジンは一人で工場の奥を目指す。

 ベレー帽を掴み、ゆっくりと呼吸を整える。帽子を意識すれば、身体に纏わりつく恐怖心は薄れていく。

 言い聞かせるように、言葉を呟く。


「悪かったって、そんなに怖がらないでよ……」


 程なくして、一際大きなシャッターを発見。本来はフォークリフトの通過を前提とした人感センサーが作用していたのだろうが、遥か過去に電気を落とした現状では機能する訳がない。

 丁度、紫の髪をたなびかせてヒナワも合流。


「ごめん、遅くなった」

「構わねぇよ。もう想像以上に役立ってる」


 軽く言葉を交わし、シャッターの横にある扉を掴む。


「開けてもすぐには顔出すなよ?」


 警告にヒナワが首肯で応じたのを確認すると、ドアノブを引く。

 途端、室内からは撃鉄を叩く音が鳴り響き、激しい発砲炎が硝煙を伴って弾丸を射出。

 しかし、射線上に誰も立ってないことは確認済みにも関わらず、嫌に発砲音が続く。地面を蹴る空薬莢にも特別なものを感じず、やがて弾切れを示すように音が止む。

 一瞬顔を出すも、銃声は続かず。

 意を決して身体を滑り込ませれば、貯蔵庫内部には二人の男がいた。


「おいおい、今時ゲームでも無限弾薬なんてレアだろ。ちゃんと目で見て撃てよ」

「そ、そんなこと言われても……!」


 一人は特筆する要素のない平凡な男性。大方、短機関銃を求めて武器商人と接触した者であろう。嫌に長い斉射時間も初めての短機関銃でトリガーハッピーに陥ったと考えれば辻褄が合う。

 問題はもう一人。

 薄紫のロングコートを翻す濃い緑髪の男。快活な語り口調は友人と接するかのようであるが、緑の瞳に笑みの色はない。

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