3話 牙を剥くポチ

 曲がりくねった細長い坂道を、それなりの時間をかけて上ると、やがて開けた場所へと辿り着いた。

 そこには意外なほどに大きな池があり、澄んだ水を湛えた水面が静かに揺れている。

 杉田から説明は受けていたが、柳崎たちが考えていたよりも、広くて美しい場所だ。


「ここだ」


 立ち止まった杉田は水面の中心付近を指さして鋭い眼差しを向けた。


「ここ?」


 鉄奈が首を傾げ、それに倣うように柳崎と鋼も不思議そうにしている。周囲の茂みならともかく杉田はどう見ても池の水面を見ている。まさか犬が水中に棲んでいるはずもあるまいと、三人が思ったときだった。

 突然、静かだった水面が波打ち、大きな泡がブクブクと浮き上がってきた。


「うおっ!?」

「なにこれ!?」


 柳崎と鉄奈が驚きの声を上げる横で、杉田はさらに表情を険しくしながら、一同に告げた。


「来るぞ!」

「――て、何がだよ!?」


 状況が呑み込めず焦る柳崎の眼前で、池はとうとう渦を巻き、その中心から灰色の身体をした巨大な何かが顔を出そうとしている。

 最初に見えたのは平べったい口だ。ただし巨大であるため厚みもかなりのものだ。隙間から凶悪な牙がずらりと生えそろっているのが見て取れる。


「で、でっかい口!」


 動物に詳しくないと言うよりも、ほとんど無知な鉄奈には、その生物がなんなのかピンと来なかったが、扁平な身体を持つことで知られた有名すぎる動物のことを柳崎は当然知っていた。


「ワ、ワニィィィ~~~!?」

「ワニですねえ」


 思わず絶叫する柳崎の隣で口調こそいつもどおりだが、鋼も目を丸くしている。

 そんな彼らの隣で眉間にしわを寄せていた杉田は、その表情に相応しい重々しい口調で言った。


「そう、ポチはワニなのだ」

「最初に言えよ!」

「バカを言うな。それではネタバレになってしまう」


 至極真面目に言う杉田。柳崎は頭を抱えた。


「依頼相手にネタを隠してどうすんだ~~~っ!」


 叫ぶ柳崎の眼前でポチは巨体を完全に浮かび上がらせると、今度は派手な水しぶきを上げながら陸地に向かって突進してきた。


「うげぇぇぇっ!」


 慌てて水際から後退する柳崎。杉田もまたそれに倣って柳崎の隣に並ぶと、ポチの姿を見て、しみじみと言った。


「ポチの奴、また少し大きくなったな」

「大きすぎだろ!? 本当にワニかこれ!?」

「目算ですが、体長は15メートルほどでしょうか?」


 鋼の分析を聞いて柳崎はますます混乱した。


「それは絶対ワニの大きさじゃねえ! つーか、世界でいちばん長い爬虫類でも体長は10メートルぐらいだって、この前テレビで言ってやがったぞ!」

「落ち着け、柳崎。俺が思うにポチはサルコスクスの生き残りなんだ」

「サルコクスクス?」

「サルコスクスだ」


 杉田が語るのは柳崎が聞いたことの無い名前だ。

 解説するように鋼が語る。


「サルコスクスは白亜紀に絶滅したとされる巨大ワニですね。それでもせいぜい12メートルぐらいらしいので、この子はやはり大きすぎですが」


 話している間にもポチは完全に陸上に這い上がり、柳崎たちに視線を向けて大きく息を吸い込んだ。なんとなく巨大な掃除機を連想させる大口に大気が吸い込まれ、柳崎たちも微妙に引っ張られている気がしたが、本当に引きずり込まれるほどの力はない。

 だが、杉田はますます表情を険しくして叫ぶ。


「まずい! よけろ、みんな!」


 言うが早いか杉田はポチの正面を避けるように駈け出したが、事情の判らない柳崎は反応が遅れた。

 ポチはそこに向けて凶悪な牙の並んだ大口を向ける。普通に考えれば影になってるはずの喉の奥に光が迸ると、次の瞬間には大気を震わせるような轟音とともに灼熱の炎を吐き出した。

 足下の草木は燃えさかることすらなく、一瞬で消し炭と化し、破壊的な威力を伴っ炎のカタマリが柳崎へと襲いかかる。

 その彼を庇うように横合いから躍り出た鉄奈は、迫り来る炎を阻まんとするかのように両手を突き出した。

 瞬間、そこに光が生じ、文字どおりの壁となって炎の進行を妨げる。

 杉田は驚愕の声を上げた。


「なにぃぃぃっ!? まさか、本当にホンモノの超能力だとぉぉぉっ!?」


 受け入れがたい現実を目の当たりにしたかのように首を振って続ける。


「そんなバカな! 超能力なんてオカルトめいたものが、本当にこの世に実在するというのか!?」

「超能力以前に、どう考えてもポチのほうがオカルトだろ! 大きさもアレだが、それ以前に火を吐くワニがいるか!」


 柳崎は言ったが、杉田は真顔で抗弁してくる。


「柳崎、確かにそれは驚きだが、事実ポチは火を吐くんだ。いかに自分の常識とズレがあるとはいえ、目の前の現実は受け入れるしかない」

「だったろ、超能力も受け入れろよ! 目の前にあるだろうが!」

「いや、ポチのこの力はきっと遺伝子操作の産物だ。子供のワニが悪の組織に捕まって、いろいろ改造されたものの、隙を見て逃げ出したと考えれば科学的な説明はつく」

「それで説明がつくって言うなら、こっちの超能力姉妹だって異世界で造られた人造人間だって言えば納得するのか!?

「なるほど、それならばなんの不思議もないな」


 いともあっさり杉田は納得してみせた。柳崎はガクッと肩を落とし、鋼は嘆息する。


「最初は常識人かと思ったのですが……」

「いや、こいつはたぶん怪異だ。怪異は人の思考や認識を狂わせるからな」


 柳崎の呟きに杉田がまたもや反応する。


「いま思いっきりオカルトめいたことを言わなかったか?」


 それに対して鋼が真顔で応じる。


「いえ、超自然科学です」

「なるほど、科学か。それならばおかしくはないな」


 鋼の適当な誤魔化しに杉田は納得した。自分がいかにおかしなことを言っていたかを彼が悟るのは、すべてが終わってからだ。

 とりあえず納得したようなので鋼はそのまま説明をつづける。


「怪異は、その多くが観測困難なアイテールと呼ばれるエネルギーが、何かを核にして結晶化し、様々な現象を起こすものです。彼の場合は、おそらく生物を核にして生じたものでしょう。未確認生物クリプティッドの多くは眉唾ですが、中には実在するものもいて、そのほとんどが彼同様の怪異と考えられます」

「なるほど、科学的だ」

「そうか?」


 疑問符を浮かべる柳崎だが、それ以上のツッコミは控えた。今はそちらに構っている暇はない。


「いろいろ予定が狂っちまったが、さすがにこいつをそのままにはできねえな」


 人間など容易く殺傷する能力があるのは、まったく疑いがない。むしろ、これまでよく家畜の被害だけですんだものだ。

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