4話 さらば友よ

 ポチはいま剣呑な目を鉄奈に向けていた。どれほどの知性があるのか定かではないが、自分の炎を受け止めた目の前の少女をあきらかに警戒しているようだ。

 鉄奈は自然体のまま身体を斜めにしてポチと向き合うと、不敵な笑みを浮かべる。


「ダン、こいつはもうやっつけちゃっていいよね?」

「しゃーねーな。ほっとくと、どんな被害をまき散らすか判らねえし――杉田、構わないな?」


 柳崎は結論を出す前に、念のため依頼人に確認を取った。


「なんとか無傷で頼む」


 しれっと言った。


「無茶言うな!」


 柳崎が叫んだ瞬間、それを合図にしたわけでもないだろうがポチが再び炎の吐息ブレスを放つ。今度は吸い込む動作がなかったため、やや意表を突かれたが、それでも鉄奈がバリアを展開するほうが早い。

 火炎と不可視の力がぶつかり合い、なにかがこすれ合うような異音を放つ。強力な神秘的エネルギーアイテール同士がぶつかり合うときに生じる独特の音だ。それは木々の間にこだまして山中に広がっていくようだった。

 こんな騒音を立てていると、人里離れているとはいえ、そのうち野次馬が来ないとも限らない。あまり長引かせたくはないところだ。

 そう考えて鋼は杉田の説得を試みる。


「杉田さん、無傷で捕まえたとしても、さすがにこれは学校では飼えませんよ」

「わかっている。だけど、ポチは友達なんだ。そう、あれは俺が誕生日の……」


 遠い目で語り始める杉田だったが、次の瞬間ポチがうなり声をあげ、鉄奈の慌てたような声が響いた。


「逃げて、そっち行った!」

「は?」


 杉田がそちらに顔を向けるとポチが驚くほどの速さで突っ込んできている。

 これまで彼には、ワニは足が遅そうだというイメージがあったのだが、それはまるで暴走する野牛のごとき勢いだった。


「速っ!」

「そうですね」


 落ち着き払った鋼の声は杉田の隣から聞こえた。彼女は彼の身体に抱きつくと、それを抱えるようにして高々と跳躍する。

 今し方まで自分が居たところをポチが大地を蹂躙しながら通り過ぎていく。もしあのままそこに居たら、杉田はグシャグシャの肉片に変えられてしまっていたことだろう。


「あの怪物の場合は参考にならないにしても、もともとワニは足が速いんですよ。遅い種類でも二十キロ。中には五十キロ以上出る種類のものも居るそうです」


 鋼は重力に逆らうように杉田を抱きかかえたまま空中を漂っていた。やや長身の杉田と鋼では、鋼の方が相手に抱きついているように見える。

 足下では、まさしくポチが競走馬さながらのスピードで走り回り、柳崎と鉄奈に突進をくらわそうとしていた。

 それを見て杉田の目に涙がにじむ。


「ポチ、お前はいま俺を殺そうとしたのか? お前はやっぱり人も襲うバケモノなのか……」

「杉田さん……」


 気遣うように鋼がその横顔を覗き込んでくる。

 彼女から見ても、杉田は変な男だが、それでもその涙に嘘はないと思えた。考えてみれば、これまで彼はひとりでポチに会いに来ており、威嚇されることはあっても襲われたことは一度もなかったのだ。それは彼の言うとおり、ポチもまた杉田に何かを感じていたからかもしれない。

 しかし、ちょうどこの日、何かのタガが外れた。それが何かは判らないがポチはもう戻れないところに足を踏み入れてしまったように見える。

 そう思ったのは他ならぬ彼も同じだったようだ。


「わかったよ、ポチ。今から……楽にしてやる」


 杉田は震える声でつぶやいたあと、今度ははっきりとした声で叫んだ。


「構わねえ、鉄奈! 全力でやっちまってくれ!」

「本当によろしいのですか? なにか凶暴化の原因があるなら、それを取り除ければ、あるいは……」


 気遣う鋼に杉田は泣き顔のまま首を横に振る。


「いや、なんとなく判ってた。最近のあいつは俺に会う度に必至で襲いかかるのを我慢してたんだ。何度も何度も威嚇して……たぶん、あれはもう来るなって言ってたんだと思う」

「杉田さん……」

「けど、このまま放っておいても同じことだ。いつか人を襲って大騒ぎになり、誰かに殺されて、その後は希少な生物として標本扱いされちまうだろう。だから……」


 思いを噛みしめるように一拍おいて杉田は続けた。


「だからせめて君らの手で静かに眠らせてやってくれ」


 しばらくその横顔を無言で見つめていた鋼は、やがて大きく頷くとあらためて妹に指示を出した。


「鉄奈、その子を楽にしてあげて!」


 ポチの突進を避け続けていた鉄奈の耳には、当然姉の声も杉田の声も届いていた。それどころか、ふたりのやりとりも超能力によって正確に聞き取っている。

 だからこそ、迷っていた。

 力任せに消し飛ばすのは、さほど難しくはない。

 しかし、ポチは杉田の友達だ。

 その関係性が本当のところはどんなものだったかはわからないが、純粋な鉄奈としては、そこに友情があったのだと信じてやりたかった。

 だから、退治することは避けられないとしても、できることなら楽に眠らせてやりたい。

 ポチの突進をかわしつつ、どうするべきかを思案する鉄奈の視界に柳崎の姿が飛び込んでくる。いつもどおりの不敵な笑みで拳を掲げて合図を送ってきた。

 超能力を持たない柳崎には上空の会話は聞こえていないはずだ。それでも彼は鉄奈の様子を見て、その心情を察していた。

 胸が熱くなるのを感じながら、鉄奈はフルパワーの念動をポチに放つ。


「止まれぇぇぇっ!」


 土煙を上げながら爆走していたポチは、突如として自身に加わった不可視の力によって動きを封じられた。状況を理解できないながらも怒り狂って身体をよじろうとする。だが、鉄奈の念動はそれすらゆるさない。

 上空から、その光景を見ていた杉田は感嘆の声を上げた。


「サイコキネシスか! なんというパワーだ!」

「でもあの状態では別の超能力を使って攻撃するのは難しいんですよ。力同士が干渉し合うようで」

「では手詰まりなのか?」

「いいえ、部長が居ます」


 鋼の視線を辿るように杉田が顔を向けると、自称ヒーローは金色の虫取り網を高々と掲げた。そいつはどう見ても少々柄の長い普通の虫取り編みで、そんな物ではポチの頭すら入らない。いったい何を考えているのだと戸惑う杉田をよそに柳崎は高らかに叫んだ。


「力を解放せよ! アースセーバー!」


 一瞬、こんな時にまで、ごっこ遊びなのかと思ったが、その虫取り編みは突如として目映い光を放つと、網の部分が突如巨大な投網のように広がり、ポチの全身へと絡みついた。

 ただの布の網だと思っていたそれは展開してみると頑強な鎖で編まれていることが判る。

 しかも網の先端はすべてやじりのようになっており、それぞれの先端は大地に深々と突き刺さっていた。


「あ、あれはなんだ……?」


 今度こそ科学では説明できないものを見た気がして杉田は茫然としている。そんな彼の様子に鋼は笑みを向けて告げる。


「あれは魔法の武器だそうです」

「魔法!?」

「ええ。うちの部に代々伝わる金色の武器アースセーバーのひとつです」

「部に伝わる!? つまり地球防衛部ってのはオカルトを操る部だったのか!?」


 驚愕とともに杉田は先輩との会話を思い出していた。


「本当に困ったことがあったなら地球防衛部に相談することだ」

「地球防衛部?」

「ああ。名前だけ聞けば、おかしな部活だと思うだろうが、実際おかしなことには打って付けの連中なのさ」

「たとえば?」

「そうだな。たとえば、怪物とかエイリアンとかかな」


 いくらなんでもと思いはしたが、それでも今回その言葉に従ったのは、その先輩が杉田の尊敬する人物で、しかもその手の冗談を言うタイプではなかったからだ。

 しかし、まさか言葉どおりの意味だったとは。

 目の前の光景を茫然と見つめる杉田を連れて、鋼はゆっくりと鉄奈の横に降下する。

 鉄奈はポチに向けていた両手を下ろして、こちらに顔を向けた。

 サイコキネシスはすでに使っていないらしく、先ほどまでと異なり、ポチは自分を絡め取った網の中で激しくもがいている。

 それでも黄金の網はびくともせず、大地から抜ける様子もない。


「鉄奈、トドメはわたしがやります」

「お姉ちゃん……」

「やさしいあなたには向いていませんから」


 妹に向かって天使のように微笑むと鋼はポチに向けて、そっと手の平をかざした。

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