第58話 兎狩り 其の一
殺気を感じる。視線を感じる。それは別に少女にとって珍しいことではない。そう、
流石に何ヵ月も感じ続ければ鬱陶しく思う。尻尾ひとつ掴ませない、これらは異常だ。━━複数か単数かは知らないけど。
ちょっとだけ、挑発してやろう。
あえて、路地にきた。女を襲う男を殺すため、誘い出すため。案の定、男はすぐに殺すことができた。
見られているなぁ、私。ホワイトデーは山ほど貰ったモテる女だもの、仕方がないね。
路地をまっすぐに進んで後方に跳ぶ。追跡者は追い詰められたようだった。
「やあ、愛しの追跡者。ストーカー染みた真似は止めたらどう?」
「…………」
返事はない。どことなく覚えのある立ち姿に鎌を抜く。火衣爛の刃は紅く煌めいている。
「ヒィッ」
思わず零れ出た悲鳴を、少女は決して聞き逃さない。幼さが残る、少年の。少しばかり高い声音は耳に痛い。
「弥桜のところの少年か。ご無沙汰~」
言いつつ、くるくると巻き取る。拘束したあと重しを乗せていく。とても重そうだが仕方ない。
「んで? 私を売って何をする気?」
にぃっと唇の両端を持ち上げて笑う。ぷるぷる震えて怯えられると流石に可哀想に思う。狡兎三窟、上手いこと使ったに違いない。
「弥、弥桜さんを助けたくて…………」
「何から?」
「あの街から」
「自由を求めているの? 彼奴は」
「ひとりで立ちたいと、自由に生きたいと言っていました」
「なら、私が君を
目を見開いて、爪をじっと見つめている。所々黒ずんだ爪は何を表しているのだろうか。
「裏切るかもしれませんよ」
少年は私にそう告げた。
「なら、弥桜は私が回収する。お金は徐々に返したらいい」
「はい」
身体に刻まれた言葉は、きっともう離れない。
名もなき美しい少年を米俵のように背負うと、すたすた自宅へ歩き出す。
少年は背負われたまま、物思いに耽る。銀糸の長髪が頬を撫でる。首筋は白く、傷ひとつない。男娼を求める客とは違って欲を持たない死の姫。
彼女の下には数えきれぬほどの死体が積み重なっていることだろう。それでも、愛し愛される。この
だから、欺く。
背負われた少年の手。確かに包丁が月光の煌めいた粒を纏っていた。首筋に鮮血が飛ぶと思われるその時。
突如として身体が吹っ飛んだ。陶磁器の肌には浅く一筋、血紅が走っただけ。恐れおののくことも忘れてその姿に魅入られる。
「骨、外したくなかったんだけどなぁ」
ぶらん、と自身の手が垂れ下がるのを見て呆然とする。
「今度こそついておいで。私は"死姫"。その名に恥じぬ実力を自負しているよ」
抱えあげられると自宅、もとい診療所に投げ込まれた。室内で見たのは見慣れた檜田。
━━━━弥桜さん。
彼は望んでいない。自分がこんなことをするなんて。それがわかってしまうから、どうしようもない罪悪感に苛まれる。
銀髪を括り上げた少女の唇は形ひとつ作らずに引き結ばれるだけである。弥桜は悲しげに眉尻を下げた。
「差し出がましいことをしました。すみません」
「お前が俺のためを想ってくれたのは知ってる」
かちゃり、とティーカップが置かれた。確か、深如さん。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
少年は俯いて、弥桜は読めない顔をして。深如に礼を述べる。
「事情はどうでも良いのだけれど、黒幕がわからないのは問題じゃない?」
「会ったことは、あります。でも壁越しなのでよくわかりません。声からも性別はわからなくて」
ちらりと見えたのは、驚くほどに黒い髪。周囲のものまで染めてしまいそうな雰囲気の腰まで伸びた髪だった。
「男……じゃないとも言えないね」
少女は懐から取り出したエジプトガラスの瓶をカタリ、倒す。細工が施された瓶に毒々しさはない筈だが、殺意すら感じさせられる。
「え、何なのそれ」
弥桜は動揺しながらもブレない男だ。瓶を倒し、ガラスをなぞっていた指に手を絡めようとしてくる。
「灰塵。私の知る限りで最も強い蟲毒」
伸びてきた手を叩き落としながら傾ける。ぽたり、と垂れた液体は大理石の机にすら煙を上げさせる。
「私の持ちうる
死姫としての矜持と、自信。この、一言のみに込められていた。
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