第59話 兎狩り 其のニ

 靡いた黒髪、煩わしい客引き。安い化粧品や香水の混ざった甘ったるさ。その中身の無さは身を売る女たちをそのまま表現している。


 ホテルは逃げ場に丁度よい。濡羽には見つかるだろうけれど。


 ぞくぞくとした、歓喜が背筋を走る。最高の、好敵手ライバルに。



 その好敵手━━━━彼女は決して独りでない。


 少女の用意は着々と進む。四凶武具の面々、拳銃、ナイフ、刀、硬糸等。身体中が脅威。


「淋しいなぁ、心に針穴が」


「アリアナみたいに言うな」


 こつん、と頭を小突かれる。凮雅は折角なので見にきてくれるらしい。なんだかんだで相棒は私に甘い。


「淋しさは想いを寄せるひとがいるからこそ感じるものである。それをまず幸福と捉えずして何を想えるだろうか」


 何も言わずに首筋をなぞられた。触られるのは嫌いじゃない。それが友人なら、尚更。


 ぽーっとしていると急に空気がざらついた。肌に感じる、重さ。それは少女にとって久々の楽しみを直接的に示している。


「ふふ、来てくれるのは嬉しいけれどきっとすぐに逃げてしまうわね」


「悪役ここに極まれり」


 凮雅は私の隣でそんなことを言っている。感想がそれはちょっと……と思うが黙って心に留めておく。


「会いたかった」


 黒髪はブラックホールのようだった。周囲を飲み込むほどの存在感。重い。とても。


「こちらこそ会いたかったよ。澪羽」


「嫌な呼び方をするじゃあないか。チビの瑛佗えいたの癖に」


 凬雅にとっては得体も知れぬ、黒髪長髪の人物。名前の雰囲気からして、男性だろう━━━━が薄い唇をにぃっと持ち上げる。


 顔の造形も中性的でありながら整っているため余計に歪んで見える笑み。


「脱走しておいて良いところに拾われた澪羽とは違って最悪な生活だったよ」


 柳眉が、少女の心情に合わせてか動いた。それを見た瑛佗は殊更笑みを深める。嘲笑とも取れる表情は魔の者が持つ人外の美そのもの。


 ━━━━異彩を放っている。


「その目の下の傷は私がつけた…………」


「全くもってその通りだよ。美しい顔に傷があるなんて、と何度なじられたか」


「もしかして、よく来ていた政治家に拾われた? 流石に無いと思うけれど」


 濡羽の顔はみるみる青ざめて、指先はぷるぷる震えていた。


「是、と言いたいが違う。澪羽の師・紗羅の母君━━━━つまり、波涅の元・奥方だ。正確には追放された妾である奥方の姉。ややこしいが義母ということになる」


「なら随分な家じゃない。今更来て何が言いたい訳?」


 凬雅は先程からどうも分の悪い相棒を見やる。何に狼狽え、怯えているのか、と。


 自分の知らない濡羽が抉じ開けられていくのを見ていることしかできない。


は女になるように言われた。生まれ持った性別を否定されて、人殺しを強要されて。紗羅のように、女のように。親も地位も持たない子供が将来と自分を奪われて何が残る」


 そこまで言うと黒髪美人(男)は少女に満面の笑みを向ける。何故だか不気味で酷く冷たい。


 私が孤児院から逃げたことを責めている。直感で悟った。


「決別はした。なのに私が過去以外の、ましてや過去に囚われたお前に縛られることはない」


 少女の声音もまた、冷たいものだった。冬の薄氷うすらひを砕くが如く、他者の精神を砕く"死姫"の風格がある。


 死鬼というのは低級な霊や幽鬼を纏めた総称でもある。それと同じ音を持つ呼称を、高貴なものたらしめているのは少女自身だ。


 好敵手を自称する男は彼女の決意に。


「それでこそ私の澪羽だ」


「いえ、違います。貴方のものになった覚えはありません」

 べー、と舌を出す。


「じゃあ結婚しろ」


「えー、そっちに行くの? マジかぁ」


 濡羽は拍子抜けして、がしゃがしゃと音をたてて武具を落としていく。


 先程まで異彩の美しさを放っていた男は、哀れな求婚者へとジョブチェンジしている。


「結婚おめでとう、濡羽」


 凮雅はクールで無口な人物……なはずだが意外にぽんやりしている。それが長年の相棒・濡羽の評するところである。


「いや、しない! しないから! 彼奴よりは凮雅の方がまだいいから」


「私と結婚するのに何の不満が?」


 滅茶苦茶な求婚から数日、彼はまだ居座り続けている。そろそろ如たちに毒を盛られる頃合いだなぁ、と達観していると椥に言われる。


「無理矢理孕ませて結婚にこじつけるっていうのもあり得ますよ。その前に殺すつもりですが」


「うげぇ」


 潰れた蛙のように呻き、そっと目を閉じる。


「……そこまでやるかな。やらないよね、普通。ね、凮雅もそう思うでしょ?」


「いや、どこを見ても普通じゃないでしょ。現実を受け止めなよ」


 いつもの通りに言われても私のためとわかってしまうのが不思議だ。


「愛を騙り、才能を駆り。恐ろしいねぇ」


 何故か、樋之がここにいる。呼んでもいないのに。新手の恐怖体験だ。


「誰だよ!? 呼んでないのに!」


 如が切れている。ジャキン、ジャキンと大鋏の音が聞こえるのは気のせいだと信じたい。


 久々にバイト先の先輩達も会いたいな、と現実逃避しつつ、耳のロングイヤーカフを撫でた。




 お詫び


 いつも読んでいただきありがとうございます!ご使用のフォントによっては罫線が途切れて見えてしまっているようですが、ご承知ください。


 最後になりましたがこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

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