流行り病(2)
そこへやってきたのは、日野
「邪魔したかな」
鳴海は首を横に振った。
「ちょうど、衛守が長考に入っていたところだったので」
大内蔵は微かに笑った。
「衛守殿の長考は、本当に長いと言うからな」
そう言うと、大内蔵は濡縁に腰を下ろした。来客の気配を察した妻が、茶を三人分運んでくると、大内蔵は軽く頭を下げ、うまそうにそれを飲み干した。
「いい御内儀だな、鳴海殿」
妻を褒められて悪い気はしないが、鳴海は照れ性である。顔を微かに上気させ、口の中でもごもごと言葉を転がすに留めた。
「ところで、今日はどのような御用向きで?」
言葉数の少ない鳴海に代わって、衛守が大内蔵に尋ねた。
「もうすぐうちの番組に富津在番が回ってくるので、出発するからな。縫殿助に富津の様子をご教示願おうと思ってお訪ねした」
今は八月で、確かに富津在番の期限はもうすぐ交代の時期を迎えるのだった。現在は、成田弥左衛門が在番に当たっている。
「なるほど。物頭はどなたが?」
「青山伊右衛門と水野九右衛門。大目付が広瀬七郎右衛門。不足はあるまい」
鳴海と衛守は、その言葉に肯いた。皆ベテランであり、力量不足ということはないはずだ。
それは、大内蔵も承知しているだろう。となれば、「富津の様子を尋ねる」というのは、単に彦十郎家に遊びに来る口実なのかもしれなかった。
「そういえば、丹波殿がまた勤王党の動きを探っておられるようだが……」
大内蔵の言葉に、鳴海は顔を顰めた。鳴海はその身分の軽さからか、時折丹波から便利使いされることがある。「主命である」と言われれば是非もないが、お世辞にも好ましい上司とは言い難かった。この分だと、鳴海はまた何か用事を言いつけられるかもしれない。
丹波は家老座上であり、いわば二本松藩の代表者でもある。祖父の
「あの方は、番頭を自分の手駒と勘違いされておらぬところがある」
鳴海も、丹波に対しては好意的だとは言い難い。だが、仕事と私情は別物だ。家中の乱れは藩の乱れにつながる。そう思えばこそ、渋々ながらも丹波に協力をしているのだった。
「今年の二月に三浦の倅殿が殿に諫言をされた。そのことが丹波殿は気に入らなかったのだろう」
大内蔵も肩をすくめてみせる。大内蔵の父である源太左衛門は、丹波と義理の兄弟だが、それはそれとして割り切っているらしい。
鳴海が聞いているのは、今年二月、藩内の若手の一人である三浦
あろうことか三浦は、諫言する際に首を斬られても見苦しくないようにと、三日三晩絶食した上で、藩公の来訪を待ち構えていたというパフォーマンスを披露した。おまけに、長国公は三浦の諫言を嘉したというのだから、丹波にしてみれば面白くないだろう。
「あれは、三浦がやりすぎました。ですが、理としては、三浦の言葉も筋が通っておりましょう」
すっかり将棋から気を逸した衛守が、苦笑を浮かべた。三浦権太夫と衛守は歳が一つしか変わらない。藩校である
「ただ、恐れを知らない性格というか……。もう少し、立場を
衛守もため息をついた。
「そもそも三浦家は、丹波様のお父上が
衛守の言葉に、大内蔵も肯いた。
三浦権太夫の叔父である十右衛門は、先代の丹羽
鳴海はその点については言及を避けた。丹波には報告してあるが、三浦権太夫と同じように増長している者が、もう一人いる。鳴海は、その者の方があからさまに思いの丈を口に出す権太夫よりも、よほど危険だと感じていた。
「権太夫は、そもそも何で尊皇思想に染まったものか……」
大内蔵は、それが腑に落ちないらしい。
「どうも、水戸の烈公の『愛民謝農』の思想が、きっかけだったようです。頭は良いですし、情が深い男ですからね。また、権太夫の祖父君が
衛守が、解説してみせた。
ふむ、と大内蔵が肯く。確かに、二本松の国力はこのところ落ちている。数年おきに発生する出水や天候の異変、そして幕府からのさまざまな無理難題。それらを支えているのは平民からの上納金だった。
「だが、幕府が開国を決めた以上、今更尊王攘夷でもあるまい。幕府に睨まれれば、封土削減。事と次第によっては公の引退を命じられる。水戸藩のようにな。公のご子息がまだ嬰児である現在、そんなことをされれば二本松の将来は危うい。だとすれば、甘いことを言ってはおられまい。それこそ、先祖伝来の藩是に逆らうというもの。権太夫はその未来が見えておらぬ」
大内蔵が首をすくめた。
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