流行り病(2)

 そこへやってきたのは、日野大内蔵おおくらである。鳴海より三歳年上で、家老日野源太左衛門の嫡子であり、現在は二番組を率いる番頭を務めていた。日野家は家老の家格であるから、いずれは彼も家老への道を歩むのだろう。剛毅さと冷静さを併せ持ち、組内の者たちからもその人柄は慕われている。

「邪魔したかな」

 鳴海は首を横に振った。

「ちょうど、衛守が長考に入っていたところだったので」

 大内蔵は微かに笑った。

「衛守殿の長考は、本当に長いと言うからな」

 そう言うと、大内蔵は濡縁に腰を下ろした。来客の気配を察した妻が、茶を三人分運んでくると、大内蔵は軽く頭を下げ、うまそうにそれを飲み干した。

「いい御内儀だな、鳴海殿」

 妻を褒められて悪い気はしないが、鳴海は照れ性である。顔を微かに上気させ、口の中でもごもごと言葉を転がすに留めた。

「ところで、今日はどのような御用向きで?」

 言葉数の少ない鳴海に代わって、衛守が大内蔵に尋ねた。

「もうすぐうちの番組に富津在番が回ってくるので、出発するからな。縫殿助に富津の様子をご教示願おうと思ってお訪ねした」

 今は八月で、確かに富津在番の期限はもうすぐ交代の時期を迎えるのだった。現在は、成田弥左衛門が在番に当たっている。

「なるほど。物頭はどなたが?」

「青山伊右衛門と水野九右衛門。大目付が広瀬七郎右衛門。不足はあるまい」

 鳴海と衛守は、その言葉に肯いた。皆ベテランであり、力量不足ということはないはずだ。

 それは、大内蔵も承知しているだろう。となれば、「富津の様子を尋ねる」というのは、単に彦十郎家に遊びに来る口実なのかもしれなかった。

「そういえば、丹波殿がまた勤王党の動きを探っておられるようだが……」

 大内蔵の言葉に、鳴海は顔を顰めた。鳴海はその身分の軽さからか、時折丹波から便利使いされることがある。「主命である」と言われれば是非もないが、お世辞にも好ましい上司とは言い難かった。この分だと、鳴海はまた何か用事を言いつけられるかもしれない。

 丹波は家老座上であり、いわば二本松藩の代表者でもある。祖父の貴明たかあきの代に五〇〇石から急に身を立て、今では三一五〇石と二本松藩随一の大身であるが、質素倹約を謳う二本松藩らしくない生活を送っており、反感を持つ者も少なくない。

「あの方は、番頭を自分の手駒と勘違いされておらぬところがある」

 鳴海も、丹波に対しては好意的だとは言い難い。だが、仕事と私情は別物だ。家中の乱れは藩の乱れにつながる。そう思えばこそ、渋々ながらも丹波に協力をしているのだった。

「今年の二月に三浦の倅殿が殿に諫言をされた。そのことが丹波殿は気に入らなかったのだろう」

 大内蔵も肩をすくめてみせる。大内蔵の父である源太左衛門は、丹波と義理の兄弟だが、それはそれとして割り切っているらしい。

 鳴海が聞いているのは、今年二月、藩内の若手の一人である三浦権太夫ごんだゆう義彰よしあきが、藩公である長国公に対して、領主が度々農村に遊びに行くと農民の迷惑になると、諫言したというものだった。藩主が農村に遊びに行く際には、農民は農作業の手を止めて家の中に引っ込まなければならない。不遜であるというのがその理由だが、そもそも、病気がちな藩主の気晴らしにと農村への漫遊を勧めたのは、丹波ら側近であった。

 あろうことか三浦は、諫言する際に首を斬られても見苦しくないようにと、三日三晩絶食した上で、藩公の来訪を待ち構えていたというパフォーマンスを披露した。おまけに、長国公は三浦の諫言を嘉したというのだから、丹波にしてみれば面白くないだろう。

「あれは、三浦がやりすぎました。ですが、理としては、三浦の言葉も筋が通っておりましょう」

 すっかり将棋から気を逸した衛守が、苦笑を浮かべた。三浦権太夫と衛守は歳が一つしか変わらない。藩校である敬学館けいがくかんで机を並べていた時期が重なっていたこともあり、彼の性格については衛守の方が詳しい。

「ただ、恐れを知らない性格というか……。もう少し、立場をわきまえるべきだとは思っていますがね」

 衛守もため息をついた。

「そもそも三浦家は、丹波様のお父上が十右衛門じゅうえもん殿を大層可愛がられた。その縁戚に手を噛まれたとあっては、丹波殿のことです、神経を尖らせるのも無理はないでしょう」

 衛守の言葉に、大内蔵も肯いた。

 三浦権太夫の叔父である十右衛門は、先代の丹羽富訓とみのりに目を掛けてもらって立身を果たした。だがその十右衛門も、富訓の息子である丹波とはしっくりと行っていないらしい。

 鳴海はその点については言及を避けた。丹波には報告してあるが、三浦権太夫と同じように増長している者が、もう一人いる。鳴海は、その者の方があからさまに思いの丈を口に出す権太夫よりも、よほど危険だと感じていた。

「権太夫は、そもそも何で尊皇思想に染まったものか……」

 大内蔵は、それが腑に落ちないらしい。

「どうも、水戸の烈公の『愛民謝農』の思想が、きっかけだったようです。頭は良いですし、情が深い男ですからね。また、権太夫の祖父君が嶽山だけやま崩れの際に郡代として復旧の指揮を取ったでしょう?そのためか、権太夫の農民に寄せる心は人一倍深い」

 衛守が、解説してみせた。

 ふむ、と大内蔵が肯く。確かに、二本松の国力はこのところ落ちている。数年おきに発生する出水や天候の異変、そして幕府からのさまざまな無理難題。それらを支えているのは平民からの上納金だった。

「だが、幕府が開国を決めた以上、今更尊王攘夷でもあるまい。幕府に睨まれれば、封土削減。事と次第によっては公の引退を命じられる。水戸藩のようにな。公のご子息がまだ嬰児である現在、そんなことをされれば二本松の将来は危うい。だとすれば、甘いことを言ってはおられまい。それこそ、先祖伝来の藩是に逆らうというもの。権太夫はその未来が見えておらぬ」

 大内蔵が首をすくめた。

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