第一章~義士
流行り病(1)
「面倒だ」
「面倒だって、何がです?」
「番頭が、常に戦に備えておかなければならない、その制度がだ」
鳴海の言葉に、衛守は苦笑するだけだった。
「兄上。そう仰らずに。将たる者、常に戦を想定しなければならないものでしょう?」
次男の衛守は、そう言って鳴海をなだめた。
鳴海は、二本松家中でも大身の大谷彦十郎家の一員である。その立ち位置は、少々複雑だった。
実父である信吉は長いこと男児に恵まれず、また、早くに妻を亡くした。そんなわけで、家老格の家柄の一つである江口家から、養子を取った。これが、先代彦十郎である信義である。だが、その後信吉が新たに妻を娶ったところ、この女性がひょっこりと息子を生んだ。それが鳴海である。建前上は、いざというときには彦十郎家の嫡子ともなるべき立場には変わりがないのだが、信義が先に彦十郎家を継いだ以上、鳴海は自分にお鉢が回ってくるとは考えていなかった。
先に養子となった信義の実子である長子信成(
鳴海は、ときに広間番として登城することもあるが、藩の中においては六人扶持という中途半端な待遇である。さして懐が豊かなわけでもない。
それにも関わらず、衛守は鳴海を「兄」として立ててくれる。幼い頃より共に育ってきたからだろう。育ちのせいかやや面倒な鳴海の性格をよく把握しており、鳴海も衛守の前では素直になれる。そんな二人は、傍目には十分兄弟で通用した。
二人は先程まで、二本松の富津在番の意味について、語り合っていたのだった。幕府の意向を受けて安政年間に始まったもので、彦十郎家でも一昨年、その役目を言いつけられた。名誉と言えば名誉な職だが、鳴海にとってはあまり有り難いことではない。
二本松藩士は、成人すると八つの組のいずれかに兵士として割り振られる。これを、二本松では番入りと呼んでいる。各組を束ねる長が、
八年前、大谷彦十郎家の家督は縫殿助が番入りと同時に継いだ。だが、番頭の出兵は概ね自費である。安政五年以来、二本松の八番まである各組は、持ち回りで富津在番の任務に当たっているのだった。その数、およそ四百人から五百人。番頭を筆頭に、
万延元年の九月から文久元年の九月にかけては、大谷彦十郎家がこの番に当たり、現当主である縫殿助は、一年間二本松を留守居にしていたのである。大身なればこそ総大将役を任せられるのだが、その分、彦十郎家の台所から出ていく金額も半端ではない。おまけに、信義の上の娘である志津も内藤四郎への嫁入りが決まり、その費用の捻出で頭を捻っている最中なのだった。
幕府の言い分を守るのも大切だが、幕府の都合に一々煩わされて金策を講じなければならないのが面倒なのだと、鳴海は言いたいのである。
「大体、攘夷を今更叫んだところで時勢が元に戻るわけがあるまい。帝が異人を嫌うからといって、それに諂っていては幕府の威というものがないではないか。帝を敬うのと、幕府が異国と付き合うは、また別物」
鳴海は、飛車をすっと進めた。飛車は真っ直ぐにしか進めない。鳴海の性格によく合っており、衛守と将棋を指す時はよく飛車を使うのだった。
「……というのが、丹波様らの理屈ですよね。それで納得しない御仁も多いようですけれど」
衛守は、腕組みをしながら将棋盤に視線を落とし、しばし長考の体制に入った。
「あれだろう。最近流行りの尊皇攘夷」
鳴海の言葉に、衛守が肯いた。
「元は、水戸から流れてきた考えらしいのですけれどね。何でも、水戸の烈公(徳川斉昭)は、自藩の沖に異国船が現れて以来、警戒を緩めず国防の備えを強化していたとか」
弟の言葉に、鳴海は眉を顰めた。それは、幕府に睨まれるのに十分な動機ではないか。御三家自ら国防を強化し、幕府を蔑ろにしてどうするのか。
「で、兄上はその水戸や朝廷の言い分に汲々として従って、二本松藩が兵を動かすことはない、とお考えなのでしょう?」
衛守はくすりと笑った。鳴海も、それに肯いてみせる。全く、尊皇攘夷の思想に振り回され、国防が唱えられるたびに、本来沿岸防衛に縁のないはずの二本松の懐が痛んでいくではないか。
「何と言っても、水戸は御三家ですからね。発言力は大きいですよ。それに加えて、十四代将軍擁立の際に、大老の井伊直弼殿とやりあったでしょう?さらに、都におわす帝から、直に攘夷の詔勅を受け取った。それを返すの返さないので、藩内が真っ二つに割れている」
さすが衛守だ。よく見ている。安政五年に公用で半年以上江戸に出府し、その目で時勢を見てきたというのも、大きいのだろう。
衛守の言う通り、十四代将軍の擁立を巡って、水戸藩は時の大老井伊直弼と対立した。水戸藩からは現在の水戸藩公の弟、慶喜公が将軍の候補に挙がったが、結局敗れた。また、水戸藩は勤皇の風潮が強い藩である。あくまでも武士は京の帝の配下であり、帝を第一に尊ばなければならないというのが、水戸の藩是だった。それは、将軍家一族の御三家でありながら、江戸本家の在り方を否定するという矛盾を孕んでいたが、当の水戸藩はそれに気づいていないようだった。
「お前はちょうどあの時、江戸にいたものな」
「江戸の藩邸でも、随分と人の口の端に登っていましたからねえ」
そう言いながらも、衛守は鳴海の出方を伺うように、歩の駒に人差し指を置いた。庭では、ようやく夏の暑さが和らいできたからなのか、まだ日が高いのに、かなかなと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます