かんかんのう
増田朋美
かんかんのう
その日も暑い日であった。本当に暑い日であった。こんな日には、外へ出ようなんていう気持ちもまず起こらないが、こんな暑い気候であるからこそ、騒動が起きてしまうのかもしれない。
杉ちゃんとジョチさんは、新しい製鉄所の手伝い人がやってきたというので、その青年の相手をしていた。
「えーと、佐藤昭雄さんですね。今日は、製鉄所をお手伝いさせてもらいたいということで、来たんですね。」
ジョチさんはそう言うが、その青年、佐藤昭雄さんは、確かにとても小さい人であった。ジョチさんが書かせた利用者名簿には、27歳と表記されていたのだが、とても27歳にはありえない身長である。本人に、身長はいくつか聞いてみたところ、四尺二寸、つまるところ、126センチであった。杉ちゃんが思わず、
「お前さんはドワーフかい?それとも、タロン族とかそういうのか?」
なんて聞いてしまったほどである。
「いえ、違います。子供のころに患ったムコ多糖症が原因です。」
としっかり答える彼に、
「その割にはちゃんと答えられるんですね。確かに、ムコ多糖症には、背が低くなる症状がありますよね。」
と、ジョチさんが言った。
「それで、ここを利用してどうするんだよ。」
杉ちゃんがそういうと、
「単に、こちらを利用させてもらいたいだけですが、お手伝いができれば、どんなことでもします。」
と、昭雄さんは答えた。
「ま、まあ、そうだけど、、、。」
杉ちゃんがいうと、
「できるとしたら雑巾がけくらいですかね。彼は竹箒よりも小さいんですよ。」
と、ジョチさんは言った。
「まあ、とりあえず雑巾がけをしてもらうか。やれれ、役に立つのかたたないか。」
「そんなこといってはいけませんよ。せっかくお手伝いさん募集に応募してくれたんですから、できることをしてもらいましょう。」
ジョチさんはそういうのだけど、昭雄さんにできることは、ほんの少しだと思われた。本当は、植木の世話もしてもらいたいと思われたが、植木の枝にも届かないのだ。仕方なく、彼に雑巾を渡して、床に雑巾がけをしてもらうことにした。二人は一生懸命雑巾をかけている昭雄さんを眺めて、なんだかとんでもないお手伝いが来てしまったと、手伝い人募集の張り紙をしてしまったことを後悔した。確かにムコ多糖症になると、身長が四尺あたりでストップしてしまうことはよくあることであるらしい。タイプにより、知能は正常な人もいるし、知的障害を持ってしまう人もいるようであるが、多分昭雄さんは正常な知能の人なのだと思われた。
昭雄さんは、普通の人の倍かかってしまったが、それでも頑張って雑巾がけをしてくれた。それと同時に水穂さんがピアノを弾いている音がした。弾いていたのは、ベートーベンのト調のメヌエットなのであるが、昭雄さんは、それを羨ましそうに聞いていた。
「何か、ピアノに憧れの気持ちがあるんか?」
と、杉ちゃんに言われて昭雄さんは、びっくりしてしまったようだ。
「いやあ、僕も普通の身長だったら、ピアノか何か習ってみたかったんです。残念ながら、いまの僕では、足がペダルにつかないので、全く弾けませんが。」
昭雄さんは羨ましそうに言った。
「何か、習いたい楽器でもあったんですか?」
ピアノを弾き終わった水穂さんが、杉ちゃんと昭雄さんの前に現れて、そういった。
「いやあ、楽器を習いたいといっても、こんなに体の小さい僕では、無理だということはちゃんと知っています。」
と、昭雄さんは言ったのだったが、その目は、本当は音楽というものに憧れがあるのだということを示していた。それは、身長が低いせいだろうか?隠すことは、できなさそうだった。
「そういうことなら、ペダルを使わなくても良い楽器を習って見たらどうかな?」
不意に杉ちゃんがそう言った。
「バイオリンやビオラでは、大きすぎますよ。」
と、昭雄さんは言うのであるが、
「西洋楽器にこだわらなくてもいいよ。まあ、要弓楽器が好きなら、胡琴を習ってみたらどうだ?」
杉ちゃんは直ぐに言った。
「胡琴?それなんですか?」
昭雄さんが聞くと、
「はい。長崎で明清楽という音楽に使う楽器ですよ。棹も胴も竹製で、二胡より小さな楽器ですから、あなたのような小さな方でも、十分にひきこなせます。」
水穂さんがにこやかに笑って説明してくれた。
「素朴な音色で良いと思うぜ。きっとネットで調べれば、楽器も入手できるし、教室も少ないながらあるんじゃないかな?そこでかんかんのうでも弾けば、みんなと、合奏もできるよ。」
杉ちゃんに言われて、佐藤昭雄さんは、
「こんな僕にも弾くことができる楽器があるとは驚きました。ぜひ、ならいにいきたいです。」
というのだった。そこで話は決まった。確かに杉ちゃんの言う通り、楽器はヤフーのオークションなどですぐに入手できた。こういう音楽はやる人が少ないから、必要のないものとして、遺品整理などで楽器を手放す人が多く、楽器はすぐに手に入るものなのである。佐藤昭雄さんは、製鉄所の掃除をしたあと、インターネットで見つけた、五井という料理屋にならいに行くことになった。何でもそこの女将さんが、明清楽の楽器である、提琴や胡琴をひきこなすことが、できるらしいのである。
昭雄さんは車の運転ができないので、小薗さんが、彼をその店まで連れて行くことになった。その店は、富士駅からかなり遠く離れた店で、小料理屋五井という小さな看板があるだけで、あとは何も用意していない、普通の家と変わらない作りの店だった。
「こんにちは。」
昭雄さんが楽器を持って店の中に入ると、店は、たしかにとても小さな店である。カウンター席が五席と、小さな四人がけのテーブル席が2つあるのみ。本当に小さな店であった。
「はい。いらっしゃいませ。今日は確か、お教室で来られたのですよね?」
と、きれいな女性が、昭雄さんを出迎えた。この人が、楽器を教えてくれる女将さんだろうか。とてもきれいな人で、なんだか女郎さんみたいな雰囲気がある女性だ。確かに、民謡とかそういうものが似合いそうな顔をしている。
「はい、よろしくお願いします。」
昭雄さんが言うと、女将さんは胡琴を戸棚から取り出して、
「じゃあ、早速レッスンを始めましょうね。まず弓の持ち方から行こうかな。この椅子に座ってください。ああ、それから私は、五井ゆかりです。あなたのお名前は?」
と、言いながら、近くにあった椅子に座った。昭雄さんにもこちらに座ってと言ったのであるが、昭雄さんが、床に足がつかないのを見て思わず吹き出してしまったようである。
「ああ、ごめんなさい。まさか、」
「こんなにも小さい人だとは思わなかった。ですよね?」
昭雄さんはそういう彼女にちょっとムキになっていうのであるが、
「ええ、正直に言えばそうなるけれど、でも、ちゃんと楽器持って、やろうとしてくれているんだから、そこは嬉しいわ。」
と、五井ゆかりさんは言った。
「じゃあ、早速始めましょうか。胡琴の弓の持ち方はこうね、、、。」
ゆかりさんは、彼に胡琴の弓を持たせて、まず基本的な構え方から教えた。見様見真似で昭雄さんが音を出してみると、割とすんなりと音が出た。ゆかりさんは昭雄さんに勘所の抑え方を教え、簡単な曲、つまりチューリップを弾いてみようと言った。胡琴という楽器は運指はさほど難しくなく、昭雄さんはすぐに弾くことができた。
「お上手よ。初めての方にしては、上等上等。そのうちかんかんのうとか、そういうものが弾けるようになるかも?」
ちなみに、かんかんのうとは、明清楽の九連環を日本人が適当に音を取った、意味不明な歌である。なんでも江戸時代くらいに流行った歌であるらしい。
「ありがとうございます。お上手というか、僕には弾ける楽器はこれしかありませんので、、、。」
昭雄さんが照れくさそうにそう言うと、ゆかりさんは、真面目な顔になって、
「ああごめんなさい。そうか、そういう意味もあるわよね。胡琴で思いっきり音楽が楽しめるといいわね。というか、楽しんでよ。きっとそうなれるようになるわよ。一生懸命やってくれているから、それはとても嬉しいことよね。」
と、彼に言った。
「ありがとうございます。僕もここへ来る楽しみができまして嬉しいです。」
昭雄さんがそう言うと、
「私も、子供が一人増えたみたい。」
ゆかりさんはにこやかな顔でいった。とりあえず次回のレッスンの予約を取り、その日は小薗さんの運転する車で、昭雄さんは製鉄所へ戻っていった。それからも、何回か昭雄さんは胡琴のレッスンに通ったが、彼は胡琴の運指をすぐに覚え、すぐに簡単な曲が弾けるようになった。清楽の楽器は比較的かんたんであり、覚えやすい楽器であることは、日本人でも忘れていることなのだが、それが武家でも町人でも合奏できたという理由でもある。清楽が流行していた頃の長崎では、武士と町人が一緒に合奏していた風景が、日常的にあったのだというから驚きである。
ある時、昭雄さんがいつも通り、胡琴を一生懸命練習していたことがあった。しかし、その曲は、清楽にあるような素朴なメロディーではなく、もっと西洋的な、変わったメロディであった。それを聞いた水穂さんが、
「一体何を練習していらっしゃるんですか?」
と、彼に聞いたくらいである。
「はい、自然に思いついたのです。タイトルを何にしようかはわかりませんが、なんか弾いていて楽しい気分になったので。」
と、彼は答えた。
「そうですか。胡琴もそんな曲にしてもらえて喜ぶだろうな。そのうち伊福部並になるかな?」
杉ちゃんがからかうと、彼は照れくさそうな顔をした。
「でも、素敵なメロディ書かれますね。多分作曲の才能もあるのではないでしょうか。」
「そうそう。それで、なんか打ち込みとかして、動画サイトにアップするといいかも?」
水穂さんと杉ちゃんが相次いでそういう事を言うと、彼はそうですねえと考え込む顔をした。別に本気にしなくてもと杉ちゃんは言おうと思ったが、彼の真剣な顔つきを見て、それ以上は言わないことにした。
その数日後。彼は喜び勇んで、胡琴を持って小料理屋五井にレッスンに向かった。今日のレッスンも順調で、きちんと曲も弾けたし、ゆかりさんもにこやかであった。終始にこやかであるはずだった。のだが、
「実は僕、この曲を、アレンジして動画サイトにアップしようと思うのですが?」
と、佐藤昭雄さんが言った。そして、胡琴をとって、そのメロディを弾き始めた。もうかなりの腕前になっていて、音の間違いもないし、きちんとした演奏になっているから、何も問題は無いのだけれど、
「かんかんのうじゃない!」
とゆかりさんは言った。
「はい、もちろんかんかんのうというか、正確には九連環です。それを、ちょっと、ウェイブエディターとか、そういうものにかけて、リズムセクションをつけたりして、そうすれば、面白くなるんじゃないかなと思って。」
かんかんのうの歌詞は、意味不明であるが、曲は九連環という長崎の民謡から取ったものであった。かんかんのうという歌は全国的に知られているが、九連環という民謡は実はあまり知られていないようである。だけど、清楽に取っては大事なレパートリーで、それを勝手にアレンジしてしまうのはどうかと思われることもあった。
「そうかも知れないけど、私は、そういう姿勢には反対よ。」
ゆかりさんは、そう彼に言った。
「どうしてですか?中国では、清楽の楽器を更に発展させた民族楽器でロック風に演奏するバンドもあるくらいですから、僕たちもやってもいいのではないでしょうか?著作権の問題なら、もう何年も昔に著作権は切れているはずですし、、、。」
昭雄さんがそう言うと、
「だからこそ、むやみにアレンジしないで、次世代の人に伝えて聞くべきなんじゃないかしら。私は、そういう、変なアレンジにしてしまうのは、やめたほうがいいのではないかと思うの。そのままの形で、直接次の人に伝えていくのが大事だと思うの。」
ゆかりさんは、そういうのであった。
「だけど、こういうアレンジにしたら、もっと今の人達は飛びついてくるのではないかと思うんです。そうすれば、もっと提琴とか、胡琴などの楽器を学びに来る人も増えると思うし、ゆかりさんだって、より楽しい人生になるのではないでしょうか?僕は別に悪意があるわけじゃありません。ただ、ゆかりさんに、楽しくなってほしいから、そう思っただけです。」
昭雄さんはそういうのであるが、
「そうなのね。佐藤さん。残念ながら、そういう人生は、楽しくないわよ、何も。」
ゆかりさんは、昭雄さんを慈しむような目で眺めるのであった。
「そういうことができるのは、よほど強運に恵まれた人でなければできないわ。そういう事して幸せになるよりも、伝統は伝統として残しておくべきじゃないかしら?あなたは、他の人と違って、身長がそれだけしか無いから、より純粋に何でも考えられるんでしょうね。だけど、そういうことであれば、しないほうが大体の奏者は幸せになれると思うわよ。」
「いえ、僕はただ、ゆかりさんがこういう店でレッスンするだけではなくて、もっと他の場所でも活躍できたらと思っただけです。」
昭雄さんはそう言うが、ゆかりさんは笑顔でこういった。
「伝統はいつまでも伝統であったほうがいいのよ。かんかんのうを、今風にしてアレンジしようということは、多分、間違ったやり方だと思うわ。」
「ゆかりさん、、、。」
昭雄さんはゆかりさんを見つめた。昭雄さんの顔はなんとも辛そうだった。昭雄さんは確かに他の人と違って、身長が低いと言うことで、全身でいろんな事を表現しているのがよく分かるようなところがあるが、それはなんとなくだけど、小さな子どもが表現しているのと同じように見えてしまう所があるのだ。ゆかりさんは、それを感じ取ったらしい。昭雄さんを優しい顔で眺めている。昭雄さんにしてみれば、自分の事をそうやって見られているということは、ある意味バカにされていると解釈することもできるだろう。
「僕は、決して、そういう意味で言っているわけでは無いのですけどね、、、。」
昭雄さんは涙をこぼしてしまった。
「いいのよ、佐藤さん。私は、曲のアレンジとか、そういうものには興味がない。今はレッスンだけそうしていればそれでいい。かんかんのうも、当たり前の形で、伝統の形で残ってくれればそれでいい。」
ゆかりさんは、昭雄さんにそういうのだった。
「さ、来週のレッスンの予約取りますか。」
ゆかりさんはカレンダーを眺めて言った。
「はい、、、。」
昭雄さんは来週も同じ曜日で予約を取ったが、やはりまだこんな反応しか返ってこなかったのかという顔をしていた。きっと昭雄さんの中には、ゆかりさんをもっと活躍させたいという思いがあったのだろう。
「じゃあ、来週の今日、またレッスンに来てね。よろしくね。」
ゆかりさんはにこやかに笑って昭雄さんに言うが、昭雄さんはとても悲しそうな様子で、わかりましたとだけ言った。そして、ありがとうございましたと言って、昭雄さんにとっては大きな楽器である胡琴を持って製鉄所に帰った。帰ったらすぐに床の水拭きを始めた昭雄さんであったが、それは何処か悲しそうで、なんだか自分の思いが伝えられなかった事を悔やんでいる様な雰囲気だった。水穂さんも杉ちゃんも彼に何も言わなかったが、きっと、外の人から見れば、昭雄さんは失恋したんだということがはっきりわかった。
その数日後のことである。製鉄所へ訃報の手紙が届いた。なんでも、亡くなったのはあの、小料理屋五井の女将さんだという。死因は、自宅内で毒を飲んだことによるもので、電話に出ないのをおかしいと思って店に行った人が、ゆかりさんつまり、小料理屋五井の女将さんが亡くなっているのを発見したということだった。
杉ちゃんたちは、この訃報を昭雄さんに聞かせようか迷ったが、昭雄さんは、製鉄所の利用者が、話しているのを立ち聞きしてしまって、ゆかりさんが亡くなったのを知ってしまった。葬儀は、近親者のみで済ませ、外部の人は入れないという。まあ確かに、そういう葬儀の仕方も今は珍しくないが、昭雄さんは、葬儀に行きたいと心から思ったに違いない。水穂さんが、今はそっとしておいてあげようと言ったので、杉ちゃんたちは昭雄さんに声をかけることはしなかった。昭雄さんは、それでも一生懸命床の水拭きをしている。なんだか小さい人だから、余計に一生懸命耐えているのが、わかるような気がしてしまい、杉ちゃんを始め、利用者みんなもとてもつらかった。それから数日間、つまり、ゆかりさんの初七日が終わったあたりまで、昭雄さんは、誰とも口を聞かずに、製鉄所にやってきては掃除を繰り返すという所作を続けていた。
そして、彼女、ゆかりさんの初七日が終わった日。その日もとても暑い日で、本当に暑く、何処かの県では40度を超えてしまったとか、そういうニュースも騒がれていた日だったのだが、製鉄所に、一人の女性が訪ねてきた。その人は、ゆかりさんとよく似た顔をしているので多分、身内の人なんだろうと思われた。その人は、応答した杉ちゃんに、こちらに、佐藤昭雄という、小さい男性はいるかと尋ねてきた。
「お前さん誰だい?」
と杉ちゃんが言うと、
「五井ゆかりの、姉でございます。ゆかりが、自殺する前に、佐藤昭雄さんという人と交流があったということで、一言、お礼が言いたくて来ました。」
と、その女性は言った。
「佐藤昭雄さんはこいつだよ。」
杉ちゃんがそう言って、佐藤昭雄さんを指差すと、
「妹から聞いていたんですが、こんなに小さい人とは、思いませんでした。ゆかりは、ある楽器の演奏グループに所属していて、音楽性の都合で脱退した過去があるんです。自殺したのは、そういうグループに連れ戻されるのを、防ぐためだそうです。でも、その人は、一生懸命話してくれたので、否定することは、できなかったそうです。それだけを、その人に伝えてくれって、ゆかりは言っていました。本当に最後の幸せを作ってくれてありがとうございました。」
その女性は、昭雄さんに頭を下げた。
昭雄さんは、その女性に向かって、
「いえ、こちらこそありがとうございました。これからも、かんかんのうを続けていきます。」
と言った。
かんかんのう 増田朋美 @masubuchi4996
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