第25話 八月二十七日
ブロッコリースプラウトは収穫時期を迎えていた。
細長い真っ白な茎に、小さな緑色の葉っぱがついていてかわいらしい。毎日育成状況を見てきたから余計かもしれない。
「かわいいかわいい。よく育ったねー」
水海も嬉しそうに頷きながらスプラウトを上から横から覗き込んでいる。
「で、これどうするの?」
「ん? 何が」
「食べるの?」
返答に詰まったのは、全く想定していなかったからだ。
「た……食べられるんだっけ」
「えっ、知らなかったの? かいわれ大根みたいな感じのやつだよ、これ」
「そうなんだ……へー」
よく考えたらブロッコリーって名前についてるじゃん。
改めてネットで調べると、以前見た栽培方法を紹介しているサイトにもちゃんと収穫まで書かれていた。ネタバレっぽくなるのが嫌で途中までしか見ていなかったのだ。水海の指示が的確だったので、サイトを見返す必要がなかったため気づかなかった。
「なんだぁ、食べてみたいのかと思ってた。だったら土に植えればよかったかな……」
日笠はもう一度ブロッコリースプラウトに目を向ける。横からみるとひょろひょろした茎たちがぎっしり詰まっていて歯ブラシみたいだ。
毎日ちょっとずつ伸びていくのを眺めるのが楽しかったっけ、なんて思い出す。
「水海は食べるの、嫌じゃない?」
「はい? うん、嫌じゃないよ。毎日野菜食べてるじゃん」
言われてみれば確かにそうだ。
自分で育てたから可哀そう、と思うのはエゴの一種だろう。
農家の人たちが育てて収穫してくれた野菜は罪悪感を抱かず食せるのに、種から育てた植物の収穫に躊躇うのは、距離感と思い入れの問題か。
「……食べる」
「よし、ハサミもってくる!」
「あっ、ハサミで……切るんだ? うん、はい……」
ハサミを取りにいく水海の後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。
サラダにしたブロッコリースプラウトは大変美味しかった。
「ごちそうさまでした……」
この挨拶にこんなに実感がこもっていたことがこれまであっただろうか。
「美味しかったねー」
「うん……」
「植物栽培、楽しかった?」
「……楽しかった」
生育状況を見るのは日々の楽しみになっていた。ブロッコリースプラウトの成長が早い、というのもあっただろうけど。忘れていたけど小学生のとき朝顔を育てたのも楽しかった気がする。
「よかったじゃーん」
水海は畳の上で足をばたばたさせた。
「好きなもの探し、途中になっちゃってたけどこれで完遂ってことでいいかな?」
ひまわり畑に行った日以来、何かやって好きかどうか試す、という日課はやらなくなっていた。水海は落ち込んでいるようだったし、とても日笠からは再開しようと言い出せなかった。
「……そうだね、いいと思う」
一つ問題なのは、これは水海が好きなことだから好きになろうとしている可能性があることだ。
でもそれは今後も続けていけば分かることだし、ここはひとまず「好き」でいいだろう。
見つかったのは嬉しいが、ほんの少し寂しかった。
「良かったー! いちお再開しようかと思ったんだけどマジでネタ切れだったんだよねー。でも私も達成感味わえたしほんとラッキーだわぁ」
「……うん」
寂しさがどこかへ飛んで行ったので、彼女の物言いは逆にありがたくもあった。
「でも次に育てるなら食用じゃないやつがいいんじゃない?」
「そうします」
彼女はその後で、初心者にお勧めの観葉植物や花を教えてくれた。
なんでもう目的も関係ないのに優しくしてくれるのだろう。
疑問を覚えたが、そこはきっとまだ諦めていないのだと解釈することにした。
そう思わないと苦しい。
話していると夜も更けて、そろそろ風呂に入って寝るかと思ったところで、水海がこんなことを言いだした。
「はーい、夜の散歩がしたいです」
「散歩? いいけど、街灯ないから危ないよ?」
このあたりは元から街灯が少なく、今は必要がないので消灯されているためガチの真っ暗だ。
「日笠くんがいるから大丈夫でしょ」
「まぁね」
能力によって視覚が強化されているため暗くても問題なく見通せる。
「さすがに私も田んぼとか用水路に落ちて死にたくないから気を付けるし」
わざわざ自分で寿命を縮めることをしない、という言い分は納得できた。
だが一つ確認しておきたいことがある。
「ちなみになんで夜なの?」
「星とか見てエモい気分になりたいからに決まってるじゃん」
「……いいね、エモそう」
理由が面白かったので了承することにした。
懐中電灯を探し、二人で散歩に繰り出す。
「暗っ、怖っ、星すごっ!」
水海は暗い道が怖いのか、ぎゃんぎゃん大声をあげながら歩いていく。
彼女の言う通り道は真っ暗で、その代わり星がすごかった。
「すごいな。家からも良く見えるなと思ってたけど……」
縁側から見るのとは見えている星の数が倍くらい違った。きっと蛍光灯の光が影響していたのだろう。日笠は暗視が出来るようなものなので、屋内だろうが外だろうが大差ないかと思っていたが思い込みだったようだ。
「懐中電灯消したらもっとすごいんじゃないか? 消してみようよ」
「おい見えてるからって調子乗りすぎ!」
水海はそうたしなめつつも、広い道で立ち止まってるときだけなら、と了承してくれた。
ちょうどいい場所に到達すると、彼女は渋々と言った様子で懐中電灯のスイッチを切る。
しばらく目を慣らして、息をのんだ。
「……すごい」
空には、無数の星が瞬いていた。几帳面な人が散りばめたみたいに、びっちり空を埋め尽くしているみたいに見える。それに周りが真っ暗なので、足元まで空が続いているようだった。
陳腐な表現だが、まるで空の中にいるような没入感があった。
「……怖」
水海がぽつりと呟いて我に返る。
「あ、電気つけていいよ」
彼女が懐中電灯のスイッチを入れると、その科学的な光に現実世界へ引き戻される。
でも残念というより、ちょっとほっとした気分になった。
「星、エモくてよかったね……引き込まれちゃいそうでヤバかった」
水海は懐中電灯をふらふら振り回して周囲を照らしながら言う。
「わかる。そろそろ帰ろっか?」
水海に先導されながら、帰り道を行く。
「しまった、写真撮り忘れてた」
せっかくの絶景なのにうっかりしていた。
「今から撮れば? つっても星空ってスマホでうまく撮れないよね」
チャレンジしてみたが、水海の言ったようにスマホでは真っ暗にしか写らなかった。あんなに輝いている月でさえ、肉眼の半分も美しさが出ていない。
「そうか……こういうの撮るとき一眼レフがあれば……」
「あはは、道具って案外大事だよねぇ」
写真撮るなんてカメラマンでもない限りスマホで十分だろう、と不思議だったが高いカメラを買う人達にはこんな理由があったのか。
日笠は諦めてスマホをポケットにしまう。
「写真もけっこう楽しんでるじゃん」
「うん……最近気づいたけど俺はずっと、自分は楽しんじゃいけない、と思い込んでたのかも」
幼い頃に両親を亡くし、伯母の家で育ててもらった。伯母は悪い人ではないけれど、他人の子供にも平等に愛を注げるほど博愛の人でもなかった。だからというか、その家の本当の子供よりも、楽しんではいけないと思っていたのだろう。常に自分は一番下でないといけなかった。
その意識が抜けず、恐らく何事もさほど楽しまないようにしていたのだ。
「でも、楽しんでみようって思ったら……案外なんでも楽しいね」
「良かったね、日笠くん」
水海は後ろで手を組んで小さく口元を緩めた後、ふと真顔になる。
「でもさ、私って何も残しちゃいけないんだよね? その写真、けっこう私写っちゃってるけど、どうするの?」
「あ」
盲点だった。
「……消すよ。全部終わったら」
「私が死んだらってちゃんと言え」
彼女は意地悪な響きをもって言う。
「水海が死んだら全部消す」
自分が吐いた言葉は寂しく響いた。
「よろしい。じゃあ帰りましょう」
水海は満足したように頷いたあと、再び帰り道をたどりだした。
「そういえば日笠くんは、私が死んだ後どうすんの?」
死という単語にはいつまで経っても慣れそうになく、いちいち胸にちくちく突き刺さった。
「どうすんの、とは……」
意味が大体わかっているのに、時間を稼ぎたくて聞き返す。
「監視の仕事終わっても、お仕事続けるの?」
「んー……そもそも部隊はもう解体されてるんだよね……多分再編されるけど」
対異能特殊部隊は、秘密裡に取り締まりを行っていたのが外部から問題視されて解体になった。現在水海の管理を担っているのは最終戦後に結成された臨時部隊だが、大体元の部隊と同じメンバーである。あんまり意味はないように見えるが、書類上での意味はあるそうだ。
今後所属が軍になるのか警察になるのかなど詳細は詰めている最中だが、能力犯罪者に対処する能力者の組織は作られる予定のようだ。メインは武力ではなく予知や分析系能力を中心として捜査を補助する方向性になりそうだが、ぜひ協力してほしいとメールや通話で最近上司から言われるようになった。日笠は切断能力の応用で能力を打ち消したりできるので、戦闘補助をしてもらえたら助かるそうだ。
「絶対勧誘されてるでしょ」
「うん。迷ってる」
以前水海が言ってくれたように、戦いから逃げたかったと同時に逃げたくない気持ちもあった。
でも今後はどうするのか。
ひとまず対異能特殊部隊の一員としての役割は果たしたと思う。それにきっと大規模な組織になるだろうから、一人いなくなっても何とかなる気がする。というか一人が欠けるとどうにも回らない組織はやばいだろう。それに能力者が戦闘のメインになることは少なくなりそうだ。
それでも居続けることを選ぶのか?
「……でも、結局は引き受ける、かな」
「なんで?」
「能力がある限りは、背負いたいって気持ちもあるから」
出雲井から受け取った能力を最大限活かしたいという思いも嘘ではない。というか、嘘にしたくなかった。
それに戦闘が減れば以前よりつらいことはないだろう。
「じゃあ能力が無かったらどうするの?」
「それは……考えても仕方なくない?」
今能力がこの手にあるのは事実なのだ。いつか無くなるかもしれないが、それはその時になって考えた方がいい。
「ふーん……」
水海は、どういう感情がこめられているのか判別できない相槌をうった。
それからしばらく黙って歩いていたとき、彼女はこう切り出してきた。
「ねぇ、日笠くん。海がみたいな」
「……ここからじゃ見えないね、山の中だし」
海沿いの山なら望みがあるが、かなり内陸なのでちらっと見ることも出来ない。
「連れ出してよ。帆景ちゃんに頼んでさぁ、みんなで海、見に行かない?」
確かに帆景に頼めば不可能ではない話だ。彼女の瞬間移動ならどこへだって行けるし、日笠がいれば誰が立ちふさがろうとも切り抜けられる。
「……無理だよ」
でもそれはできない。
「その願いを叶えたら俺は解任されるし……そうしたら、最後まで一緒にいられない」
たとえ大人しくここに帰ってきたとしても、監視役としては失格だ。人が少ないからとここに幽閉されているのだし、許可が出るはずもない。
「えぇ……別に日笠くんと一緒にいなくてもいいし」
水海の返答は大変正直なものだったので、少々傷ついた。
最後まで一緒にいてほしい、なんて彼女が思う訳もないので至極当然なのだが実際聞くと悲しさがある。
「うそうそ。しょーがないなぁ、我慢してあげます」
水海は背中を向けていたので、それがどんな表情で発せられた言葉なのかはわからなかった。
「日笠くんは海すき?」
「あんまり。小学生のとき行って、溺れかけたことあるから」
臨海学校で初めて海に入ったとき、脚がつりかけてヤバかったところを先生に助けてもらったことを思い出す。
天候が良くなかったせいもあってか海は灰色に濁って汚くて、顔をつけるとしょっぱいどころの騒ぎではなく塩っ辛く、総合的に見てもあまり好きにはなれなかった。
「そうなんだ。私も泳ぐのは苦手かなー」
「あれ、海に行きたいんじゃなかったっけ?」
「いやいや、見たいって言っただけだよ。遠くから見る海と波の音が好きなの」
てっきり海が好きというと泳ぎたいとかサーフィンやダイビングなどのレジャーが好きなのだと思い込んでいたので、それは盲点だった。
「なるほどね。それは俺も好きかも」
「でしょ? 今度行ってみなよ」
それは言外に、「私が死んだら」という意味を含んでいるように聞こえた。
「……海の動画とかネットにあがってそうだけどね」
悲しさを退けるために茶化す。
「ちょっ、日笠くん、それはちがくない!?」
「水族館とかって海の生き物のために海水作ってるよね。ああいうのを風呂に入れたら?」
「全然違う! 日笠くんマジわかってない! 最悪!!」
水海はひとしきり怒ったあと、げらげら笑った。
二人で過ごす、夏の終わり。
それは思っていたより、ずっと幸せな二週間だった。
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