いつか海に行きたい
第20話 八月十六日
ある日の昼下がり、帆景から電話がかかってきた。
日笠はそれに応答する。
「もしもし、どうした帆景」
『うぃーっす日笠。今度の荷物送ろうと思ったんだけど、壊れ物があるからさぁ、あたしが直接持っていくわ』
「取りに行こうか?」
『自転車だと振動で割れそうだからいい。その代わり玄関まで取りに来てくんない? ちょっと話したいことあって』
珍しく真剣な口調だったので驚いた。
「わかった。すぐ来る? 玄関で待ってるよ」
『悪いねー、よろしく』
何かあったのだろうか。居間でだらだらする水海に一応帆景が玄関に来ることを言ってから玄関へ向かう。
それにしても、壊れ物なんて頼んだだろうか?
***
日笠が玄関へ行ったとき、水海は居間でごろごろしていた。
帆景のことは別に嫌いでもないが、わざわざ起き上がって会いにいきたいほどではない。それにあちらだって自分の顔は見たくないだろうという判断だった。
だから、帆景がいつのまにか縁側に立っていた時は純粋にびっくりした。
「あれ? 帆景ちゃん、日笠くんに用があるんじゃないの?」
水海は上半身だけ起こして床に座り首をかしげる。
日笠に中へ通されただけなのかもしれないが、それには彼女の表情に違和感があった。
帆景の顔はほんのすこしこわばっていた。それに、肩に力が入っている気がする。
「ううん、あんたに用があんだよね」
いつもより口調もとげとげしい。
「ふーん……その箱なに?」
水海は帆景が手に持つ白い箱に目を向ける。軽い手土産のお菓子が入っていそうなサイズだが、包装も何もないのが変だ。
「これ? これはねー、プレゼント」
彼女が軽くそれを持ち上げると、激しい痛みが胸のあたりに走った。
下に視線を向ける。
水海は、包丁が自分の胸のあたりに刺さっていることに気付いた。
「……は?」
ぽたぽたと血がそこから流れている。
息がしづらくて咳こむと口から血が吐き出された。
座っているのもしんどくて横にゆっくりと倒れこんだ。それでも痛さは当然軽減されない。こんなに痛いなんて夢みたいだった。
帆景は冷たい表情で近寄ってきて水海を見下ろす。そして手を伸ばしてきた。
とっさに逃げようとするが体がうまく動かない。床の上をみじめに這いずっただけで、あえなく肩に触られ、次の瞬間には地面が堅く冷たくなっていた。
状況を把握するために周囲を見ると、あの帆景がいつも拠点としている商店だった。
どうやら瞬間移動でここまで連れてこられたらしい。
何がしたいのかわけがわからなかった。
いや、多分殺そうとしてきているのだろう。それはわかる。
でも、なんで帆景がわざわざ自分を殺そうとするのかが不明だ。
厳密に言うと殺そうとする理由は山ほどあるが、なぜこのタイミングでわざわざ殺害しようとするのか?
どうせもうすぐ死ぬのに。
「…………ほ、ほかげ、ちゃん、こ、れ……なに?」
口からやっとのことで言葉を絞り出すと、帆景ははっと息を吐く。
「へぇ、死にそうになっても演技やめないんだ。それともそれって素だったの? ウケる」
全然ウケてなさそうなのに、とかこんな場合で考えていることじゃないことばっかり思い浮かぶ。
「あたし、あんたにずっと死んでもらいたかったんだよね」
帆景は持っていた箱を床に投げ捨てた。
「でもまさかこんなラッキーなことが起こるなんてね。突然水海ちゃんの胸に包丁が現れるなんて! マジびっくりしたわーあたし箱もって立ってただけなのに! 箱の中に包丁入ってたけど、まさか手を触れずに水海ちゃんの体に突き刺すなんて、そんなマジックみたいなことあたしができるはずないもんねぇ」
その言葉で、水海は帆景が何をしたのかを理解した。
あの家には監視カメラがついている。そのカメラには、突如として包丁が水海の胸に出現した光景が映っているだろう。そして、帆景はただ箱を持って突っ立っていただけだ。
普通に考えて、箱の中に入った包丁で人を殺すことはできない。
実際には中にあった包丁を帆景が瞬間移動させて水海の胸を突き刺したのだろうが、そんなことは科学では証明できないのだ。
誰も帆景が水海が殺したと証明できない。
水海がこの周辺に住んでいた人を皆殺しにしたのを証明できないのと同じく。
「……なるほど」
意趣返しというわけか。
水海の頭の中では、冷静に関心する気持ちと動揺とがぐちゃぐちゃに混在していた。
死にたくない、このままだと死ぬかも。
でもどうしようもできない。
大変スマートな殺し方だ。彼女は自分と同類なのかも。
能力を使ってみるべきか? でも包丁を消したところで無意味だ。むしろ死ぬ。
痛くて思うように思考できない。
「お前マジでさぁ、いい加減にしてよ」
帆景は床に倒れる水海を見下して吐き捨てた。
「いつまで日笠から時間を奪い続ければ気が済むの? お前が生きてるせいで、日笠はずっとこんなところにいなきゃいけないの。……もしかしたら、この先もずっと」
口の中が鉄臭くて吐き出した血が、コンクリートの床を濡らす。
「日笠は、あたしとか緑川とかと一緒に遊びに行ったり旅行したり美味しいもの食べたり、自分で好きなこと探して好きに生きるはずだったんだよ、お前がいなくても! それができるようになるはずだったのに、お前のせいで、お前のせいでこんなことになってんだからね!?」
それは悲鳴のような怒号だった。
なるほど、彼女は日笠が水海を好きになって呪いを解くかもしれない事実を懸念し、殺害を計画したみたいだ。もしかしたら緑川が何かチクったか、自分で気づいた可能性もある。
優しい彼を解放するため、殺すことを選んだのか。
なら自分と一緒だということに、帆景は気づいているだろうか?
何か道が違っていれば仲良くなれたかもね、と思わないでもないがきっと無理だろう。
さりとて水海としては大人しく殺されるわけにはいかない。
残された手は能力を使うことだ。死ぬ気でやってみるしかない。どうせ死ぬのだから、もうこれ以上壊れたっていいのだ。
イメージを固め、手を伸ばす。狙うのは帆景だ。きっと彼女は油断しているだろう。
ここさえ乗り切れば、きっと、彼は。
「帆景!」
聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。
それは日笠だった。
彼は荒々しく肩で息をしていて、堅い表情で中に入ってきた。
「おー、日笠、早かったじゃん。なんか水海さん怪我しちゃったみたいでさー、今本部に連絡して救急車かなんか呼んでもらうわ。あんまり揺らすとやばいんだよね? ここで一緒に救急車待とうね」
帆景が用意したシナリオ通りの文句らしきものを言う。
その言葉を聞いた日笠は黙って水海に近づいてくるとひざまずいた。
「ちょ、日笠!?」
彼の手が首筋にそっと添えられる。
それから、包丁の柄に手を掛けた。それと連動するように傷口のあたりが光りだす。
彼はゆっくりと包丁を抜いていった。細い光の帯が開いた傷口を縫い合わせ、徐々に閉じていく。
まだ随分痛むが、さっきまでの死にそうな気配はどこかへ消えていくほど、やわらかな暖かさで傷口が包まれていた。
忘れていたが、日笠の能力では怪我の治療も可能だった。ここまで高度なことが出来るとは知らなかったが。
日笠は怪我を治療し、自分を生かそうとしている。
その事実に、水海はうっすら目を細めた。
「……ごめん、帆景」
治療を続けながら、日笠はつぶやく。
帆景は足を震わせながら、日笠の隣に立つと彼に詰め寄った。
「日笠……、そ、そんなにそいつのこと好きなの?」
「ごめん、後でゆっくり話そう。……何も気づけなくてごめん」
帆景は息をのんだ後、震える声で言う。
「謝んなくていい……いいんだよ日笠。こっちこそごめんね、あたしには、日笠の気持ち、なんか……何にもわかってなかった……」
それから帆景はゆっくり床に座り込み、うつむいて泣き始めた。
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