第18話 過去回想:六月


「日笠くん何してんの?」


 話しかけてから、少しフランクすぎたかと反省した。

 人と仲良くなるのは苦手だ。技術的な面ではなく精神的な面で。

 それに失敗してはならないという背水の陣感に緊張してしまっていたのだろう。我ながら気が小さいと己を省みてみる。


「あ、ていうか日笠くんって呼んでいい? それとも監視役さんとかのほうがいいかな」


 でも走り出したからには突っ走らないと変なのでこのまま強行することにした。人格を偽るのに大事なのは一貫性だ。


「……別にいいよ、そのままで」


 案の定彼は眉をひそめていたが、会話を拒否するほどの不快感は与えずに済んだらしい。


「えっと……なにやってるかって、動画見ようかと」


 それどころか、きちんとした受け答えをしてくれる。

 案外いけるんじゃないか?

 それから一緒に動画を見る流れになり、彼はこちらまでわざわざ来てくれた。こちらが拘束されているとはいえ、なんと優しい人だろう。残念ながら水海にはつけ入る隙にしか見えなかった。

 チャンスを生かすため、わざとらしく身体接触を図ってみることにした。女の子に接触されて喜ばない男子はいない、とは異性愛者であることが前提の乱暴な仮定だが。

 スマホの画面が見えなくて体の位置を調整するふりをして、バランスを崩して彼の方に寄りかかってみる。


「あ、ごめん。嫌だった?」


 あざとい感じで落ち込んで謝罪する。この言い方で嫌ですと、普通の人は言えない。


「あ……うん、嫌です」


 言うんかい。

 笑いがこみ上げてきて我慢できず吹き出した。

 よく考えたら自分が大量殺人犯なことを考慮し忘れていた。

 そりゃあ嫌だろう、そんなやつにボディタッチ的なことをされても嫌悪感しか覚えないに決まっている。

 計画は難航しそうだ。

 それに考えていたより、彼は変な人かもしれない、と思った。





 昼食になり、運ばれてきたご飯を二人で食べる。

 この隔離用の部屋に来てから四日経ち、今朝拘束着を脱げることになった。これは水海への配慮ではなく、介護者の精神的負担がでかすぎるからだそうだ。もっと早く気づいてほしい。

 いちいちトイレや食事のとき介助してもらうのは面倒だったので大変ありがたいことだった。でも代わりに脚についた鎖がすごい邪魔なのは何とかしてほしいと思う。日笠もときどき存在を忘れて足をぶつけていたし。

 食事は最初はコンビニ弁当みたいなものだったが、途中から定食的なものになった。

 水海の分は日替わりの油淋鶏定食で、彼も同じだ。

 首をひねる。


「日笠くんてメニュー選べるんじゃなかったっけ? ずっと一緒だね」


 水海の昼ごはんは日替わりで決定だが、彼はメニューを選べるはずだった。多分かわいそうだからだと思う。ちなみに温情なのか夜ごはんはランダム選択で違うメニューになっているのだけど、そっちも二人とも同じメニューだ。


「あぁ、面倒で毎日日替わり選んでるから」


 当初よりも割合スムーズに雑談が成り立つようになった。日笠も最初は水海と話すことに抵抗があったようだが、最近は普通のクラスメイトのように話してくれるようになった。

 多分、彼も寂しいのだ。平たく言ったら暇なのだ。


「…………食にこだわりがない?」

「うん。割となんでも食べる」

「ふーん……」


 人と食べることに喜びを見出さないだけで食には感心があるので、水海としては信じられなかった。これがこの生活が始まって一か月後とかだったら毎日選ぶのに面倒になるのは理解できる。だけど初日からだぞ? そんなことある? タダ飯なのに。なんならステーキ定食とかちょっとお高めのメニューも選び放題なのに。


「よかったら水海、俺の代わりに好きなの選ぶ?」

「えっ!」


 思わぬ提案に、素で喜んでしまった。

 食べるのは本当に好きだ。人間は嫌いだが、食や娯楽の文化を生み出したことだけは感謝している。人間だけいなくなって文化だけ生まれる装置になってくれれば一番いいなと思うくらい。


「上司に聞いてみないとやっていいか分かんないけど」

「う、えっと、じゃあ……お願いしてもいいですか?」

「いいよ」


 訳が分からない。なんで殺人鬼に優しくするんだこいつは。


 日笠の人格を掴むため、色々観察したり質問をしてみることにした。

Q:趣味とかある?

A:特にない。

Q:休みの日は何してる?

A:最近は仕事しかしてなかった

Q:それ以前は何してたの?

A:……友達と遊んだり?

Q:友達と何して遊ぶの?

A:普通にご飯食べたりゲームしたり

Q:じゃあゲームは趣味じゃないの?

A:……そうかな


 いくら話していても全然情報が増えなかった。

 観察してても、結構彼はじっとしている時が多いのであんまり参考にならない。

 勉強、ゲーム、動画見る、軽い筋トレする、あとなんかスマホいじってる。

 彼の行動のパターンはそのくらいだった。いや、閉鎖空間に隔離された現代人が出来ることのバリエーションはこんなものか。後はスマホで何やっているかで心理分析が出来そうだが、そこはガードが堅いので見せてもらえない。


 今、彼がゲームしている後ろ姿をじっとながめている。モニターも買ってもらったようで、携帯機にも据え置き機にもなるゲーム機をつないで遊んでいるようだった。

 何か糸口がないものか、とゲーム画面と一緒に彼のことを観察していると、日笠が振り返った。

 なにを言われるのか、と緊張していると、彼はコントローラをふらふらと振った。


「……あの、ゲームやる?」

「えっ、いいの!?」

「うん。別にいいでしょ」


 迷ったが、暇だしゲームはやりたかったのでありがたく申し出を受けることにした。

 日笠と横並びになってレースゲームをしながら思う。

 いや、なんで一緒にゲームしてんだ?

 本当に分からない。


 カフェテリアのスイーツの話題になった時、彼はこんなことを言い出した。


「水海さ、今度俺、友達にカフェでなんか甘いもの買ってきてもらうから一口どう?」

「えっ!」


 嬉しいと同時に、彼のことがますます理解不能になった。

 一緒に映画を見せてくれる。

 食事の選択権をくれる。

 ゲームをやらせてくれる。

 そしてデザートまで恵んでくれる。

 相手が同僚とか友達だったらわかる。

 でも相手は大量殺人鬼だぞ?

 なんなら日笠のことを殺そうとしてたんだぞ?


 道ですれ違った初対面の人に恵みを与えている人の方がまだ理解できる。

 この誘いに乗ってしまってもいいのか?

 試されている可能性もある。ここは断って謙虚なところを見せるべきなのでは。

 いや絶対食べたいが?


「……日笠くんて、なんでそんな優しくしてくれんの?」


 珍しく演技ではなく本心から尋ねた。マジでわからなかったからだ。

 日笠は困ったように笑って頬をひっかいた。


「えー……あと二か月以上ずっと一緒にいないといけないんだから、少しくらい楽しい方がいいかな、みたいな感じ」

「なるほど」


 理屈では理解できる。

 でもそんなにも完璧に割り切れるものか?

 ここで毎日水海のことを殴っていても、誰も文句は言わないだろう。

 監視されているので、軽蔑されたりあるいは真面目過ぎる人に密告されたら嫌だからと避けるなら分かるが、全部無視していないものとして扱っても全く問題ないのだ。

 それなのにスイーツまで提供しようとしてくれている。

 もしかして、何か彼にも目的があるのか?


「日笠くんは良い人ぶってるんじゃなくて、ちゃんと良い人だよ!」


 スイーツはぜひとも欲しかったので、一応自己肯定感の低い彼にフォローをいれておく。

 そんな適当な言葉にも喜ぶ彼は、とても水海のように腹黒い目的があるようには見えなかったけど。


 ずっと観察してきたことをまとめてみる。


 彼には主体性がない。

 優しいと言うより、求められると応じてしまう性格なのではないか。

 簡単に言うと頼みごとを断れないタイプ。

 そして自分でそれを把握していて、そういった性格を嫌悪しているように見える。

 きっと戦うことも本心ではなかった。


 最強の彼から能力を奪ってしまい、戻すことができなかったか断られたかして、それで逃げることができなくなってしまった、とか。あくまで想像でしかないけど。

 この手の人間は大体、主体性のあるタイプが好きだ。要は振り回されたいみたいな感じ。ないものねだりで隣の芝青くみえちゃう人間は多いし、真逆の人を好きになるというのはあながち外れた分析ではないはずだ。


 主体性のない人は自分で決定することにストレスを感じる傾向にあると踏んでいる。いい具合に振り回してあげたら好かれるかもしれない。

 それから、恐らく彼はそこまで水海のことを嫌ってはいない。

 なんでかは正直全然分からない。

 勿論好いてもいないとは思うが、それほど憎悪の気持ちを向けられたことがない気がする。

 日笠に水海のことを好きになってもらう。

 そしてそこに付け込んで、呪いを解いてもらう。

 計画の方針はこれで確定した。


      ***


 箱に詰められて何時間経っただろうか。

 久しぶりに拘束着を着用し、ヘッドホンとアイマスクをつけてから、そんなに大きくない箱に詰められて蓋をされた。移動というかもはや輸送だ。

 今、水海は新たな隔離施設に移動させられているらしい。少々不安はあるが、箱に詰められる前に見た日笠はちょっとだけ楽しそうにしていたので、そんなに悪いところじゃないだろう。


 がたごとと何度か低いところから落下するような衝撃が定期的にあるのは、多分瞬間移動を使われているからだ。瞬間移動は座標指定が狂うと床にめり込む危険性があるのでちょっと床より高い位置に移動する習慣があるのだ。クッションも何も敷かれていないので尻が痛いし気分が悪くなってきた。


 ようやく箱が開けられる。

 その時降ってきた感覚に、水海は愕然とした。

 この、額にあたる暖かなあたたかな気配は。


「水海、ついたよ」


 日笠の声が聞こえてきて安堵する。

 ヘッドホンとアイマスクが外された。

 見えたのはいつもと変わらぬ彼の顔――――とその背後の青い空。


「そっ……外だ!」


 立ち上がろうとするが拘束着に阻まれた。大分混乱している。

 自分を落ち着かせるため周囲を見回す。

 ここは、古い民家のようだ。畳の部屋に座卓と箪笥があり、奥の続き間に台所が見える。そして反対側には縁側があり、小さな庭とその先に田んぼが広がっていた。


「なっ……なんで!? なんでこんなところに……」

「今日からここで生活することになったんだ。前の施設は近くに住んでる人から苦情がすごかったらしくって」


 事情はアレだが嬉しい誤算だ。


「あ、箱から出すね。拘束着も脱いでいいって」


 日笠が持ち上げて箱から出してくれる。それから拘束着をはずされ、自由の身となった。


「そのかわり拘束させてもらってるから、俺から離れすぎると……こう、紐で引っ張ったみたいにびんっってなるから気を付けて」

「うんうん、わかった!」


 そのくらいなんでもない。足元の鎖もつけなくてよくなったようだし、本当に解放されたみたいだ。

 水海は大きく伸びをして、それから空を見上げた。太陽の光がまぶしくて嬉しい。


「二度と日の光を拝めないかと思ったよ!」


 まさかこのセリフを人生で言うとは思わなかった。


「……俺も外に出られてうれしいよ」


 同じ監禁生活を送ってきた日笠も、久しぶりに穏やかな笑顔を浮かべていた。

 監視カメラがいたるところについているし日笠から拘束されているので逃げやすくなったわけでは全くないが、それでももう一度空を見て日の光を全身に浴びられることが、ただただ喜ばしくてピョンピョンはねた。

 跳ねていると、ふと胃から喉のあたりにかけて不快感が駆け上ってきた。口を押えて立ち止まる。


「…………酔った」

「マジ!? なんで?」


 元から瞬間移動の衝撃とかずっと狭い箱にいて酸欠に近く微妙に気分が悪かったのだが、それを忘れてはしゃいでしまったせいだろう。


「と、とにかく横になったら? 冷たい水と薬探してくる!」


 日笠が慌てた様子で台所に駆け出していったのを横目に、水海は座布団の上に這いつくばった。

 変にはしゃぎすぎたせいで、この家での生活は、休養から始まることになってしまったのだった。


      ***


 二人での生活が始まって一週間経過した。

 日笠との関係は良好だ。

 浮かれて「毎日素麺でもいい!」と言ったら真に受けられたりするトラブルはあったが、おおむね順調な滑り出しといえよう。


「好きなもの作らない?」


 日笠にそう提案したのは、悩みを親身になって考えて一緒に解決してあげたら、自分のことを好きになってくれるんじゃないかと考えたからだ。

 でも彼は悩みを打ち明けてくれるような人ではないので、勝手に悩んでそうなことをでっちあげてみた。


「一緒に探してくれるなら嬉しい」


 思いのほかその目論見は上手くいった。水海が気になっていた彼の無趣味さ、というか自分のなさを、彼自身も気にかかっていたらしい。

 めっちゃラッキーだ。駄目だったら他の方向性でアプローチするだけだったけど、一発目で決まるとは幸先がいい。


「きっと日笠くんは好きの水準が高いんじゃないかな? 私が普通に好き、と思ってるものでも、日笠くんは『そのくらいじゃ好きとは言えない』と思っているとか」


 これはマジで本心だった。もうゲームも映画も好きでいいじゃん。嫌いじゃなくて暇だったら楽しむものは好きでいいだろうが。


「その可能性もあるんだよね。俺が過大評価しすぎなのかも、とは思う」


 本人にも自覚はあった様子だった。でも、分かっていても自分で意識はなかなか変えられない、というのは理解できるのでしょうがないかな、とも思う。

 水海だって「人間が嫌い」だというのを中二病だとか考えすぎだと思おうとしたこともあるが結局変えられなかった。


「でも日笠くん自身が納得できないなら、好きの水準を満たすようなものを見つけるしかないね」

「あるかなぁ……」

「あるって!」


 無きゃ困るからあると信じたくて強く言った。


「マニアックな趣味を楽しんでいる人もいっぱいいるし、なんなら世界で日笠くんしか好きじゃないものを見つけてもいいんだから。好きな事象でも概念でもいいんだよ、あとは――――」


 この先のセリフを思いついていたのだが言うか迷って庭でくるくる回った。

 だが、結局言ってみることにした。


「恋をする、とか」


 この時水海はクソ嫌いな言葉を口にしたせいで嘔吐しそうだった。


 恋とか愛とか幻想だ。

 でも、ここではその幻想を、日笠に信じてもらわなきゃいけない。

 彼女が最も人生で嫌悪していたのは、人間から恋愛対象として見られることだった。

 その忌避感に耐え、日笠と恋愛青春ごっこをするのが、水海にとって夏休みの課題だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る