第16話 八月十五日
ぼんやり午後の時間を過ごしていると、帆景から電話が来た。
『荷物届けたよー。かくにんよろー』
「分かった。今からチェックする」
日笠は通話を続けながら、玄関脇にある物置に向かう。
八畳ほどある広めの物置はがらんとしていて、いくつか真新しい段ボールが部屋の隅に置かれているのみである。この家を使わせてもらうにあたり、家具以外は処分して新規に持ち込んだ。
ここは元々身寄りのない人が住んでいたそうで、その人が水海によって殺されて国の所有物となったため、使わせてもらっている。
このあたりにある他の家の持ち主には家族がいたり、あるいはたまたま遠出していて助かった人もいて、ここで水海を監視するのには随分抗議が出たそうだ。今も抗議活動が続いているらしいが、当然だと思う。
がらんとした物置の一角が赤いテープで四角く囲われている部分があり、そこに段ボールがいくつか行儀よく並んでいた。テープの内側に、帆景が瞬間移動を使って物を運搬してくれる手筈になっている。今回もちゃんと届いているようだ。
「届いてるよ、ありがとう」
『当然よ。……あのさぁ、日笠、水海との生活、どう?』
「え?」
普段そんなことを聞かれないので、思わず聞き返した。
『いや、なんか不便とか嫌とかない? だいじょーぶかなって、急に思ってさ』
煮え切らないような態度が珍しくて気にかかったが、雑談の範囲内かなと判断して率直に答えた。
「帆景が荷物届けてくれるから何不自由ないよ。楽しくやってるし、大丈夫」
『そっか』
「……なんならずっと続けてたいくらい楽しいよ」
このまま夏が終わらなければどんなにいいだろうかと思ってしまう。そうしたら何も決めずに済むのに。
『偽物なのに?』
「……ん」
帆景は急にとげとげしい口調になった。
『水海が楽しそうにしてるのなんて嘘でしょ、絶対。なんか目論んでるに決まってるよ』
「帆景、なにかあったのか?」
『別になにもないよ。じゃあね、またなんかあったら言って』
帆景が電話を切る。
「荷物届いたの?」
水海は裸足でぺたぺた廊下を歩いてきて、入口から中を覗いてきた。
帆景の態度は気になったが、あとで改めて連絡する方がいいだろう。
日笠は先に作業をしておくことにした。段ボールたちを速やかに赤いテープの枠の中から出し、他の場所に置く。
帆景が探知能力で物がないか確認してから送ってくれているはずだが、瞬間移動で事故ると悲惨なことになる。この場所にはなるべく物を置かないようにしておく決まりだった。
移動させてから中身を確認していく。同時に荷物のリストを事前にスマホへ送ってもらっているので照合しつつ、すぐ必要なものを取り出したりして整理する。
その一つを開けた時、日笠は小さく呟いた。
「……届いた」
「何か買ったの?」
水海が後ろからのぞき込んでくるので、中身を取り出して見せた。
「ブロッコリースプラウト? の種。簡単に育てられるらしいから、植物栽培やってみようかなーと思って。これまでやってこなかったし」
日笠が頼んだのは栽培キットだった。
水海はそれを見て、少しだけ顔を曇らせる。
「……真夏はちょっと育てにくい、かも」
「えっ、ほんと?」
室内でも育てられる簡単なやつ、とネットで見たので注文したのだが、季節が影響するとは思わなかった。というか水海に聞いてから買えばよかったかもと今更後悔する。
「水が腐らないように気を付けてれば多分大丈夫! あとで調べてみよ」
日笠が少し落ち込みそうになったのを見てか、彼女は励ますようにそう言った。
プラスチックの容器にキッチンペーパーを敷いて、少しだけ水を入れる。
その上に種をまいた。
最初は日が当たらない場所に置いておくらしく、日のあんまり当たらない部屋の棚の上に置いておく。
水海は種をじっと眺めている。
白いペーパーの上に黒い種が並んでいるさまは、見てもあんまりおもしろくないんじゃないだろうか、と思う。
「なんで急に育ててみようって思ったの?」
種を見つめながら水海はそんなことを聞いてきた。
「……水海が言ってたじゃん、植物育てるの趣味だって。それだったらここでも出来るし、俺も趣味にできないか試してみたいなって思って」
「そっかー。私も楽しいし、いいね」
ひまわり畑に行ってから二週間が経過した。
その間、様々なことを考えてみた。
昔のこと、部隊に入った時、逃げられなくなった時、最終戦の時、そして水海のこと。
真剣に考えてみると、余計に考えることが増える始末だった。
彼女を愛するには色々な問題がある。
そもそも、日笠が好きになったのは彼女のほんの一面だ。日常に垣間見れる彼女の一面を好きになっただけ。
それも、全て嘘かもしれない。さっき帆景が言っていたことは、まさしくこの二週間日笠の考えてきたことだった。
彼女が何を思っているか、何が本当なのか全く分からない。
以前、彼女は二人の関係は看守と囚人と表現したが、看守にただこびへつらって隙を伺う囚人のように、日笠と友好的な関係を築こうとしているだけなのかもしれない。
勿論それは普通の人間関係でも言えることだ。好意的なことを言っていても全て嘘かもしれないし、そんなことはいくらでもあるし日笠だって嘘をつくことがあるので人のことはいえない。通常の恋愛関係においても、ある程度の嘘は含まれるものだろう。
でも、もし水海が、全くひとかけらも日笠に好意を抱いていないとしたら?
そして日笠は、彼女と彼女が犯した罪を分離して考えている。
事実として承知していても、彼女が大量殺人者だというのがどうしても結びつかないのだ。それは、ずっと彼女の顔を見てこなかったことも影響していると思う。
嘘まみれで罪を犯した彼女のことを、本当に好きと言えるのか?
そして、好きだったら彼女の呪いを解いて生かすのか?
日笠は心を決めた。
ひまわり畑をもう一度見に行くとき、彼女に思いを伝えよう。
しかし、自分が決心したとして、依然として水海の心は不透明なままである。
はたして彼女は、どう思っているのだろうか。
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