第15話 過去回想:一年前
「検査の結果、君には高い能力適正があると分かりました」
「……ん?」
男の言葉に、日笠は首を傾げた。
「えっと……あの、怪我がないか検査してくれた奴の結果を教えてくれるんじゃないんですか……?」
休日、友達と遊んだ帰り道に知らない人に話しかけられた。
内容はよくわからない部分が多かったが、怪しい組織への勧誘のようだったので逃げようとしたら、他の人が割って入ってきて乱闘騒ぎになってしまったのだ。
しかもその人達の周りでは勝手に物が宙を浮いたり変なものがどこかから現れたり、まるで超能力でも使っているかのような現象が起こっていて、さらに訳が分からなくなり呆然と見守ることしかできなかった。
そのうち駆けつけてきた人たちの仲間がやってきて、日笠を保護してくれた。救護すると言われていたのに来たのが救急車ではなかったので面食らったが、軍用車だったので信用してついていったらこの状態だ。
「あ、そっちまだ聞いてなかったんですね。何の問題もないですよ。それで能力の件なんですけど」
すごい簡単に流された。
軍人だと名乗った男はするりと次の話題に入っていく。
そもそも外傷がないのに怪我を検査するとしつこかったのは、どうやら別の目的があったらしい。
胡散臭いのはどっちも変わらなかったな、と思いつつ気になるので話は聞いてみることにした。
「能力って……なんですか?」
もしかして、というのはある。さっきの人達が戦う時に使っていたっぽいものだ。
「超能力、といった方がイメージしやすいですかね。こちらでの正式名称は『異能力』なんですけど」
彼は能力について説明をし始めた。
異能力とは、脳内でのイメージを具現化する効果を持つ特殊能力である。
超能力といえば手を触れずに物体を動かす念動力や、何もないところから火を生み出す発火能力などが漫画や映画などの創作物ではポピュラーだが、異能力でも似たような事象を引き起こすことが可能だ。
大筋は一般的なイメージの超能力だと思っておけばいいが、一つ違うのはその拡張性の高さ。
基礎的な能力から、想像力によっていくらでも能力を応用的に発展させることができるのだ。
しかしどんなに訓練を積んでも能力拡張できない者もいるため、基本的な能力自体の性能に個人差があると言われている。
能力の性能は拡張性・使用容量・発動規模などによって決定されるが、人の能力を鑑定できる能力者によると日笠の能力には将来性があるらしい。
「君には異能力への高い適正があります。君が勧誘されたのもその理由でしょう。そしてこれからも犯罪組織からしつこく勧誘されるかも」
「えぇ……」
今日のようなことが繰り返し起こるというのか。それはとても困る。
日笠の困惑を見てか、男はテーブルから身を乗り出す勢いで話を続ける。
「そこで提案なのですが、こちらの組織に協力してもらえませんか?」
話題は組織の概略に移った。
国営軍の部隊の一つ、『対異能特殊部隊』。
主に能力者の管理や、能力犯罪者に対抗するための部隊だそうだ。
能力者の一部は、その能力を生かして犯罪を行っている。その犯罪者へ対処するために結成されており、超能力を使った犯罪者の取り締まりに協力するのが主な業務であるという。
「え、あの、俺、高校生なんですけど」
「もちろん正式な軍人になるわけではありません。あくまで一時的な協力者、みたいなかたちですかね。能力者はほとんど子供なんで、高校生の協力者も多いですよ」
今まで軍で捕捉した能力者は全て高校生以下だそうだ。どうも幼いうちに能力に目覚めないと、大人になってから使えるようになるのは困難らしい。軍人たちにも訓練を施したそうだが上手くいかなかったそうだ。
どうも協力者というのは建前というか苦肉の策っぽく聞こえた。
「こちらは国営軍を母体とする組織で、安心ですよ。君の身を守ることにも繋がるし……一緒に、犯罪者の確保に尽力しませんか?」
日笠はその後も細かい話を聞き、しばし考えてから答えを出した。
「ええと……分かりました、入ります」
日笠の保護者である伯母は、最初家を訪れた軍人の話に胡散臭そうに相槌を打っていたが、報酬の話になって急に機嫌が良くなり、最後には日笠の加入を容認してくれた。
「お国のために頑張ってね!」
という言葉が空虚に聞こえたのは多分日笠だけではなかっただろう。
ともあれ、日笠は晴れて組織の一員となった。
***
「はよーっす。えーっと、ひかさくん、日笠くんだっけ? 能力訓練担当の帆景でーす。何歳? マジ? タメじゃんよろしくー」
初日の勤務は簡単な施設案内とこれからのスケジュールの確認で終わった。
そして二日目からいよいよ能力訓練が始まる。
昨日案内された訓練所で待っていると、現れたのは同い年の少女だった。
耳にじゃらじゃらピアスがついていて、派手な柄のオーバーサイズTシャツとショートパンツというスタイル。ギャルっぽかったので一瞬気圧されそうになったが、気を取り直して挨拶する。
「よろしくお願いします」
「いやタメだから敬語じゃなくていいって」
一応先輩なので敬語にしてみたが、帆景は不機嫌そうに眉を曲げた。
「あ、ほんとに? だって先輩じゃん」
初対面の人にタメ口きくのは苦手だが、ここは相手の要望を取り入れることにする。
「うち年功序列とかじゃないから大丈夫よ。あたし先輩にもタメ口だもん」
「それはそれであれな気がするけど……けっこうみんな仲良いの?」
「仲良しだよー。チームワークも大切だし!」
割と学生同士は緩い雰囲気のようでほっとした。それに、帆景も第一印象より親しみやすいノリだった。
「軍の人忙しいらしいからさー、暇な奴が新人訓練担当することになったんの。ちゃんとした奴じゃなくてごめんねーでも能力訓練とか専門家とかいないし誰がやっても多分一緒だから!」
帆景はクリップボードをひらひらさせながら言う。
「マニュアルどーりに進めていきまーす。最初は具現化の訓練ね」
「具現化……」
「能力が一番得意なのは、何かを形作ることなの。なんか箱を何もないところから生み出したりとか、水とか土とか火とかもイメージしやすいからそういうのも多いっぽいね。説明してもわかんねーと思うからまずあたしがやってみせるねー」
そういう帆景が手のひらを上に向けて日笠に差し出すと、その手のひらの上に透明な立方体が出現した。
「えっ、すご……手品じゃなく?」
「違いまーす。ほら、何個でも出せるよ? この部屋埋め尽くしてみせよっか?」
ぽろぽろと小さいサイズの立方体がどんどん生み出されていく。
「まぁ時間が経つと消えますけど」
帆景が指をパチン、と鳴らすとその立方体は一斉に消えた。
まるで魔法のような光景に心が弾んだと言わなかったら嘘になる。だが変に浮かれているのがバレるのは恥ずかしいので平静を装う。
「へー……じゃあ帆景さんのは立方体を生み出す能力……なの?」
使いどころがないように思える。いずれ消えてしまうのだし。
「ううん、瞬間移動」
「……ん?」
帆景は得意げに人差し指を日笠の鼻先につきつけてくる。
「能力で大切なのは連想ゲームなの。あたしはこの立方体を見て空間をイメージした。だから空間操作系の能力に拡張できた。最初になんかの物体を生み出す訓練するのは、連想ゲームの方向性を決めるため、みたいな。全く得意じゃない方に能力を拡張していくのはムリゲーだから、最初に具現化をするってわけ」
「……なるほど」
あんまりよくわからなかったけど、高い発想力が能力にかなり影響しそうだなというのは理解できた。そういうのはあまり得意ではないので、もしかしたら駄目かもしれない。
「ま、やってみよ!」
その通りだ、と思ったので日笠は頷く。
「わかった。何かコツとかある?」
「えーと、気合!」
明らかに教育係の人選が間違っている。
一時間後、帆景からアドバイスをもらいつつ訓練し続け、やっとのことで具現化に成功した。結局一番重要なのは気合だったので帆景は正しかった。
だが、手の中に出来上がっていたのは、白くて長い紐というか鉢巻のようなものだった。
「……これ何?」
横からのぞき込んできた帆景も首をかしげている。
「何だろう……」
両手でつまんでピンと張ったり緩めたりしてみる。あんまり伸びない。
作り出した本人にも何なのか判断がつかなかった。
「まーここからイメージを広げて応用してくんだけど、結構最初に出来たのからは遠ざかることも多いから。あたしとかもめっちゃ違うでしょ? だから分かんなくても大丈夫よ」
帆景は励ましてくれたが、どうも微妙な感じらしい。
「マジで? じゃあこれから頑張る」
強がって明るくそう言ってみたものの気分は暗い。
手の中の頼りない布が、自分の心の弱さとか、そういうことを表しているようでなんだか気が滅入ってきた。
***
「『
帆景が日笠に向かって叫んでくる。
「了解」
帆景が敵をこちらに瞬間移動で飛ばしてくるので、日笠は手元の紐を操り、現れた敵を拘束する。敵は暴れて拘束から逃れようとするが、能力で生成した紐は、何をしてもちぎれることはない。
確保した敵を気絶させると、それを軍の人が回収していく。
そこでやっと緊張がとけた。何度やっても実戦は慣れない。変に慣れない方がいいだろうが。
帆景がてこてこ近寄ってきて手を挙げた。日笠はハイタッチに応じる。
「いえーい。うちらマジいいチームじゃん?」
「帆景のおかげだよ」
「なに韻踏んでんのー、ウケる」
帆景は愉快そうに笑う。
結局、日笠の能力は拘束方面へ拡張することになった。ちぎれない紐を生み出し、それを自在に操る。応用で拘束している人を気絶させる機能もつけた。
人を傷つけるのはあまり得意ではないし、犯罪者を確保するのに重宝するので部隊からもありがたがられているので良かった。
「あ、でも駄目だよ名前で呼んだら。能力名で呼ぶ決まりだから」
「そうだった。ごめん、『
「……やっぱ名前として違和感あるよね。ダサいし。音読み組はいいなー」
個人情報保護のため、仕事中は能力名で呼ぶ決まりだ。
日笠が貰った名前は『繋』。帆景は『移』。
こちらの組織では、能力名は漢字一文字だ。読み方は基本音読みだが、そうすると帆景は「い」になってしまって呼びづらいので訓読みになっている。
能力名で呼ぶのはコードネーム感があって少々気恥ずかしい。
日笠は顔につけた仮面が蒸れて気になり、手を中に突っ込んで顔を掻いた。
「あー、これマジかゆいよねー。蒸れる」
帆景もうんざりしたように言う。
戦闘する時の恰好だけが唯一の懸念点だ。
真っ黒で簡素な軍服に似た服とごついブーツは慣れれば動きやすかったが、身元を隠すために顔に白い面をつけなければならないのがネックだった。
他の能力者が印象を曖昧にする能力を使ってくれているのだが、それを看破された時に備えてのことで、「いらない」とはとても言えない。
「これでもう終わり?」
「まだっぽいけど、あたしらが頑張んなくてもだいじょーぶでしょ。あの人いるし」
その時轟音がして、部屋の外の廊下で何かが吹っ飛んでいくのが見えた。
飛んで行った物体が壁にぶち当たった音が続く。
それから、一人の少年が歩いてくる。彼は日笠たちと同じ服を着ていて、同じく面をつけていた。
「あ、日笠、拘束頼んでもいいか?」
その人、
「はい、了解です」
走って廊下に出ると、吹っ飛んで行った何かが人であったことが分かる。そいつ――――犯罪組織の一人は、突きあたりの壁にもたれかかって座っていた。自分の意思で座っていたのではなく既に気絶していたので、さくっと拘束することができた。
紐で縛って持っていこうとすると、出雲井が歩み寄ってくる。
「ありがとう、良い能力だな」
「……そうですか? 先輩ほどじゃないですよー」
彼の能力は、部隊内でも随一と呼ばれるものだった。
「そうかぁ? 色んな人に褒めてはもらえるけど、やりすぎないようにするのが大変なんだよなぁ」
そういって彼は手に持った刀を振る。
彼の能力は『
「今も怪我させちゃうから普通に殴っただけだし」
「……身体強化やばいですね」
彼がすごいのは能力強度の高さだ。能力は訓練を積むごとにレベルアップするというのか、能力の効果範囲や性能、それから身体強化のレベルがあがっていく。
しかし最初から素質の違いがあり、彼の素質は組織でもダントツだった。切断能力自体は使う場面を選ぶが、足場を一部切断して相手の体勢を崩すなど繊細な応用技も得意で、使い方が上手い。
「そうか? でも、お前の能力の方が絶対いいって! 人を傷つけないしさ」
彼は多分本気でそれを言っていた。
日笠はまぶしいような、少しだけ誇らしい気持ちになった。
実際には拘束した跡が残るし、気絶させるは傷つけているうちに入るんじゃないかと思ったけど、彼の気持ちが嬉しかったので細かい突っ込みはやめておくことにする。
拘束し終えた犯罪者を引き渡すと今日の仕事は終了で、帰りの車に乗せられた。
同じ車の隣の席に帆景がいて、仮面を外しつつ話しかけてくる。
「拠点帰ったらご飯食べてから帰ろーよ」
「いいね、行こう」
大変そうだと思っていた仕事も、慣れてきたら案外楽しい面もあるなと感じていた。
そんな矢先だった。日笠に転換点が訪れたのは。
***
「……悪い。俺のことは置いて逃げていい」
出雲井は床に横たわり、荒い息をしながら日笠に言った。
その横で日笠は座り込む。
「そんな、置いていけないですよ、お、俺が戦いますから」
自分の声が揺れているのが分かる。戦えるわけがない。最強と呼ばれる彼が負けたのだ、まして日笠には戦闘能力がほとんどない。
敵はかつてないほど強力な使い手だった。能力の強度も高く、身体強化もうまい。能力の無効化も使えるのが厄介だ。なにより相手を必要以上に傷つけたくないという出雲井の心理を利用して戦況を操ってくる。切断能力を発動したところであえて突っ込んできたりするので、出雲井は相当やりにくそうだった。
最近反抗勢力が組織だって活動していて、能力の使い方を学んできている。
敵はどんどん強くなっていくだろう。彼がいなくなったら、この先どうなるか。いや、そもそもこの場がどうにもならない。
自分が、なんとかしなければ。
「いいよいいよ……お前が助かってくれた方が俺は嬉しい。つかまぁ、俺もこの後どうにかして逃げるからさ」
そういう彼の腹からは血があふれていて、さっきから圧迫止血しているのに止まらない。
話が違う、と叫びだしたい気分だった。反抗組織であるレジストは対話を求めていて、だから殺したり過度にこちらを傷つけてきたりはしないと聞いていたのだ。
だが今、明らかに敵は出雲井を仕留めにきている。
通信が通じなくなっていて、他に助けは呼べそうになかった。
このままでは、彼は死んでしまう。
出雲井は日笠の手を握ってきた。その手は硬く冷たい。
「日笠、後のことは頼んだ」
言葉を聞いて、心臓のあたりがひどく苦しくなった。
そんなことを言わないでほしい。
頼まれたってどうにもできない、こんなちっぽけな能力では、彼のようにはなれないだろう。
拘束するだけの能力で喜んでいた自分を恥じた。
力がないせいで、彼を失おうとしている。
なぜ自分には力がないのか。それは、現状で満足してきたからだ。拘束能力が重宝されるからと、これならあんまり危険なことをしなくていいからと、足を止めていた。
「……やめてください。俺が……俺が、助けます」
でもこれからはやめるから。
だから力が欲しいと願った。
この場を切り抜けるだけ、いや、二人で逃げられるだけでいい。
そうしたら次は、もっと多くの人を救える人になるから。
後は頼んだと言われて、任せてくださいと跡を継げる、そんな人に。
その時、力が湧きがあるのを感じた。
これまでとは全く違う感覚に「あれ?」と思っているうちに、手のひらのあたりにぽかぽかとした暖かさが宿る。
何かが増えた、となぜかわかった。
その増えたものを行使しようとしてみると、日笠の前に刀が顕現する。
神々しい光を放ちながら宙に浮くそれは、出雲井がいつも具現化させているものと全く一緒だった。
「…………え」
その時の、彼の、驚いたような呆然としたような声が、ずっと頭の中で反響している。
***
「あー日笠! やっと見つけた」
その声が後ろから聞こえてきたとき、思わず肩が硬直した。
あまりに大きな声だったのでまさか聞こえなかったフリをするわけにもいかず、立ち止まって振り返る。
廊下の向こうから、出雲井が大きな荷物を抱えてやってきているところだった。
逃げ出したい気持ちを押さえて、その場にとどまる。
「出雲井さん……」
「今日で俺、正式に退職でさー、もう来れなくなるから挨拶したかったんだ。いてよかったぁ」
日笠はまともに彼の顔を見ることができなかった。顎のあたりをぼんやりとみることで誤魔化しつつ、謝罪する。
「すいません……俺のせいで」
「え? あぁ、お前まだ気にしてたの? 気にしなくていいって言ったじゃん、本当にいいんだよ。お前のせいじゃないし」
日笠はあの時、彼の能力を奪ってしまった。彼の能力はあの土壇場で、これまでと違う方向に変化したのだ。何かを繋ぎ、受け継ぐ能力へ。それは紐というより襷とかそういうイメージだっただろう。
日笠は、勝手に彼から能力を受け継いだ。その際能力の強度も加算されるようで、能力の効果範囲や身体強化が各段に向上したのと、あとは元々敵にはかなり出雲井がダメージを入れてくれていたおかげで、戦闘が下手くそでもギリギリ撤退まで追い込めたのだ。
結果的に出雲井を助けられたのは良かったのだが、後で彼に能力を戻そうとしたが上手くいかなかった。
そして彼は能力を失ったため退職することになってしまった。
これまで何度も謝罪してきて、そのたび彼は「全然いいよ!」とずっと言ってくれたが申し訳なさしかない。
「つーか俺、正直しんどかったら辞められて助かってる」
そんなわけない。彼は仲間と戦えることを誇りに思っている、と以前言っていた。
それに能力はもはや体の一部だ。目覚める前ならいざ知らず、自分の一部を奪い取られた気持ちになるだろう。逆の立場だったら、きっと日笠は多少恨んでいたと思う。
「いやー……あのさ、あの時ふつーに死ぬと思ってたから、かっこつけた遺言残そうとしちゃってさぁ……恥ずかしいから忘れてくれよ?」
おどけたようなことを言ってくれるが、本気にはとれない。
「後は任せたとか言ったと思うけど本当に忘れていいからな。日笠、つらくなったらいつでも辞めていいんだよ」
ぽん、と肩に置かれた手が重く感じた。
彼が救うはずだった人は救われなくなった。日笠も辞めて戦力が落ち込めば、仲間が困ることになる。本来出雲井がいれば大丈夫だった場面も切り抜けられなくなるかもしれない。
逃げられない。
この力を、彼が振るうはずだった力を、彼の代わりに行使しないといけない。
「……頑張ります、俺」
しんどさを押しのけてなんとか口に出す。
受け取ったものが重すぎた。それは日笠が欲しがったわけでもないけど、彼だって望んで明け渡したわけでもない。
でも、奪ってしまって返せないのなら、他の形で返すしかない。
「そうかぁ……でも、ほどほどでいいんだからな? つらいときあったらいつでも相談してくれていいし、周りの人にもちゃんと言えよ」
「はい、ありがとうございます」
英雄になるしかない。そう思った。
***
日笠は廊下を走っていた。
『繋くん、なんとか消滅をそこで食い止めてくれ……君だけが頼りなんだ』
耳につけた通信機から聞こえてくる上官が悲痛な声を上げる。
「……っ、わかりました。やります、やりますよ……」
『消滅』という能力名で呼称される少女――――のちに水海という名前を知ることになる少女は、既に軍施設内に侵入してきていた。
他の能力者が攻め込んできたので対処をみんなでしていたら、いつの間にか全く別方面から侵入していたのだ。向こうも人が減ると押し負けるので、日笠だけで対応するしかない。
それに『消滅』の能力を打ち消せるのは日笠だけだった。彼女の能力によって既に何度か重傷者が出ている。むやみに人手を増やしても事故が起こるだけだ。
走っていると、その行く先の壁の一部が長方形に消えた。出来た穴から、フルフェイスヘルメットをかぶった少女が顔を出す。白いパーカーワンピースにスニーカーとラフな恰好にごついヘルメットがまったく似合わなかった。シールドの部分が黒く光っていて顔はわからない。
向こうもこちらの姿を認めて、肩をすくめたように見えた。
日笠は刀を顕現させて構える。
彼女らの目的はこの先の情報室だ。その奥にいる、人の記憶を操作できる能力者を狙っている。
「……ここは通さない。お前だけは、絶対に!!」
絞り出すように言ったその言葉は、ただ声が大きいだけで誰が聞いてもなんの迫力もなかっただろう。
日笠はバリアを展開する。触れれば昏倒するような、攻撃的な防御能力だ。
これは日笠の能力でもなければ出雲井のものでもない。他の能力者から貰ったものだ。
攻撃性の高い能力者は軍に捕捉されると管理される。それを厭い、日笠に能力を奪ってほしいと言う能力者が味方からぽろぽろと出た。最初は断ったが何度も言われると無下にしづらく、結局何人かは引き受けてしまった。
自分から申し出たのに「後は頼んだ」とか「役立てて」とか、みんな託すようなことを言ってくる。
人に押し付けているくせに、なぜこちらが背負わなければならないのだろう。
なんでこんな力を手に入れてしまったのか。自業自得なのに、そんな思いが頭をついて離れない。
でも、戦いたくなんてなかった。
目の前の少女をきつくにらむ。仮面をつけているので相手には分からないだろうけど、睨まずにはいられなかった。
こいつらさえいなければ、こんなことにならなくて済んだのに。
***
「作戦を前に一つ言っておくことがある。現状の法律には、超能力に関する規定がない」
最後になるであろう戦いを前にした作戦会議の終わりに、上司はそう言い出した。
それは何度も聞かされてきたことだ。だから秘密裡に能力者を確保し処理してきた。
「科学では能力の存在を証明できておらず、こちらでも話し合いを進めてはいるが長い時間がかかるだろう」
上司は周りを見回した。会議室には、いつものように作戦の中心となる能力者たちが集められている。
「逆に言えば、君たちが相手を傷つけてしまっても、それが能力によるものであれば罪には問えないから安心してほしい。勿論不必要に痛めつけるのは君たちのためにも避けた方が良いが……君たちの命が脅かされることがあれば、遠慮なく力をふるってくれ。どんなことがあっても、我々は全力で君たちのことを守る」
それから日笠の方に視線を向けた。
日笠は水海を相手にすることが決まっている。
どんなことがあっても。
つまり、水海を殺してほしいんじゃないか、と彼は解釈した。
上司が先日教えてくれたことだが、水海は組織の活動とは別に、能力で人を殺して回っているかもしれないそうだ。一体どんな目的でそんなことをしているかは不明だが、看過できない問題だ。なので今回の作戦でも、水海は瞬間移動で山奥まで飛ばしてもらって日笠が一対一で相手をする予定になっている。このために土地を軍で購入したほどの気合の入れようだ。
彼女がこれからどんなことをするとしても、罪に問えるのは不法侵入などの軽度な犯罪だけ。たぶん彼女は未成年なので、すぐに少年院から出てきてしまう。
法律が追い付くまでにはきっとあと何年もかかるだろう。その間、彼女は野放しになる。
さらなる被害を食い止めるためには、ここで息の根を止めてしまうのが最善だ。それは日笠にも理解できる。ただ。
膝の上でこぶしを握る。手のひらが熱い。
なんで自分がそんなことをしないといけないのだろう。
力があるからってやらなきゃいけないのか? 悪人に死んでほしいというのはわかる。でも、いくら悪い人だからって人殺しになるのは嫌だ。
そんなの誰だってそうだろうに、人に押し付けるのか。
でもその気持ちもよくわかった。
日笠も、人にその役目を押し付けたくて仕方がないから。
数日後、彼は作戦開始を前にして装備を整える。
いつもの服に着替えて、仮面をかぶる。
仮面があってよかった。
中でどんな顔をしていても、誰にも分からないから。
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