第14話 八月一日

「よし、いくよ」


 日笠は居間の床に座りながら、正面にいる水海に向けて左手でつまんだ十円玉を見せた。右手を振って何も持ってないよアピールをしてから、右手で十円玉をこするような動作をする。

 すると、右手を外した頃には十円玉は消え、五百円玉になっていた。


「えっすご! 日笠くんうまくない? 今練習はじめたばっかだよね?」


 今のはコインマジックだ。ネットでやり方を調べて、動画の真似をしてやってみたのだ。


「おー……綺麗にいくとちょっと楽しい」


 今日のお試し趣味は手品。コインやトランプを使ったものならすぐに出来るし今はやり方の動画がネットにあがっているので始めやすいかも、とのことでやってみた。


「ほんと!? いいねいいねー」


 水海はまるで自分のことのように喜んでくれた。しかし懸念点が一つある。

 これは見てくれる人がいるから楽しい可能性があるかも、というところだ。

 さすがに自分が後ろ向きすぎて嫌になってくる。そこまで考えなくてもいいと思うが、ついつい理想を追い求めて重箱の隅をつつくように欠点を探してしまう。


「日笠くんが何考えてるか当ててあげようか」


 彼女は日笠の顔を覗き込んでから得意げに言う。


「『水海に見てもらってるから楽しいと感じたのかもなぁ、これでちゃんと好きと言えるかな?』でどうだ!」

「あ、あぁ……大正解」


 本当は水海に限定していないが、大筋はあっているので認めておくことにする。

 水海はにこにこしながら腕を組んで胸を張る。


「へへへ、日笠くんの思考回路は大体把握できてきたね! もう私に隠し事できないよ!」

「すごいなー水海は」


 実際には現在進行形で隠し事をしているわけだが、自信満々な水海が面白かったので黙っておいた。


「でも、大技できるようになったら楽しそうだからちょっとずつ練習しようかな」

「うんうん、いいと思う! 私にも見せてね」


 未来を語る彼女は、とてもあともうちょっとで死ぬとは思えなかった。


* * *


「どっかおでかけしたいなぁ」


 昼ごはんを食べおえた後、水海はそう言った。


「あー……具体的には? 川とかなら」

「具体的っていうかーちょっと遠くに散歩程度でいいんだけど。なんかこう、違う景色が見たいなーって」


 日笠たちが歩き回れる範囲は決まっている。

 規則的にはここを中心に十キロの範囲なら好きにしていいと言われているが、一応今まではかなりこの家に近い場所にしか行かないようにしていた。それは不審な行動をとって怪しまれたりしたら面倒だからおとなしくしていよう、という気持ちがあったからだ。


「じゃあ自転車でふらふらしてみる? 俺もこのへんの散歩には飽きたし」


 でも、たまにはいいだろう。ふとそんな気分になった。


「いいねー冒険しよう!」


 さほど景色が変わることはなさそうだが、新しいところに行くのはそれなりにわくわくした。



「風気持ちいいねー! でも暑ーい」

「同感」


 水海を自転車の荷台に乗せて道を進む。

 一応遠出することは各所に伝え、了承は得た。

 風を切るので気持ちよさはあるが、それでも日差しがきつい。


「このへん畑と民家しかないな」

「ねー。でもいいよ」


 誰も住んでいない家と、荒れた畑を眺めながらただ進んでいく。


 ペダルをこぎながら、考えた。

 本当に、水海にケーキをあげたのは気まぐれで、外に出たいと願ったのは自分の本心だったのだろうか。


 それは多分違うと、今なら分かる。

 主体性のない自分にそんなことが願えるわけがない。

 少し思ったとしても多分迷惑がかかるし、と上司に言い出すことも出来なかっただろう。

 それを、面倒臭がられて嫌がられる可能性があっても実行したのは、きっと水海のためだったからだ。

 そして、それは円滑に生活を送りたいなどという打算のためではない。



「あれー、日笠じゃん。なにしてんのー呼んでないよー」


 しばらくして、帆景の拠点とする商店にたどり着いた。帆景はけらけら笑いながら軒先から顔を出す。

 日笠はその目の前で自転車を止める。


「帆景……悪い、なんか飲み物ほしい……」

「あつい……」


 うっかり飲み物を忘れてしまったのだ。考え事に気を取られてうっかりしていた。それでも前回来たときは必要なかったので大丈夫かと思っていたが、ここまで来るのですっかり喉がカラカラになっていた。随分暑さが厳しくなってきた気がする。


「持ってねぇの!? ちょっと待ってな!」


 帆景が奥に引っ込んでいき、麦茶のペットボトルを持って戻ってきた。

 お礼を言ってすぐさま一口飲んだ。冷えたお茶が喉に染みる。


「うま……生き返った」

「大袈裟だなぁ」

「ぜんぜん大袈裟じゃないよ帆景ちゃん……あやうく死ぬとこだった」

「まだはえーよ死ぬには!」


 しばらく店の中で休ませてもらうことにして、お茶を飲みながら帆景としばし雑談した。

 出発しようとしたところで、帆景が自転車の空気入れを持ってきた。


「日笠、それ空気足りてなくない? ここで入れてきなよ」

「え、あぁ……」

「ほらほら」


 確かに二人乗りするとタイヤのへこみが気になったがまぁ入れるほどではないかと思っていた。でもそんなに勧めるなら、と空気を入れることする。


「水海は休んでていいよ。すぐ終わるけど」

「はーい」

「あ、そだ水海ちゃん、なんかおやつ持ってったら? 塩分補給できそうなやつ」

「わーい、ほしいほしい」


 二人はおやつを取りに商店の奥に引っ込んでいき、日笠は空気入れを始めた。


 戻ってきた水海はカリカリ梅を一袋持っていて、それを自転車のかごに放り込んで一緒に自転車に乗る。


「そういや行くとこ決めてんの?」

「いや、あてもなく走ってる」

「じゃーおすすめのとこあるよ。こないだ地図アプリでみてたんだけどさぁ」


 帆景のアドバイスにしたがって走ってみることにした。

 しばらくいくと、背の高い草がたくさん生えているのが遠目に見えた。


「帆景が教えてくれたのってあそこかな。あれ、なんだろうね……とうもろこし?」

「近くで見たい! いい?」

「いいよ、行ってみよう」


 近くまで着いてから自転車を止めて降りる。

 そこには、水海と同じかそれ以上に背の高い草が大量に生えていた。茎が太くて葉も大きく堂々としている。昔レジャーで行ったとうもろこしの迷路のように見えた。でも実がついているように見えないし、微妙に違う気がする。


「これひまわりだ」


 水海は嬉しそうな表情でそれを眺めた。


「つぼみがついてるからあと二週間くらいで咲くかなぁ。ちょっと気温が低いから咲くのが遅いのかも?」


 よく見ると確かにてっぺんに大きな蕾があった。


「へぇ……詳しいな」

「植物好きだから!」


 にこにこ笑っている彼女を見て、ここを教えてくれた帆景に感謝した。

 スマホの地図で調べてみると、ここは個人の人が趣味でやっている花畑らしい。毎年夏には大勢の人が訪れるようで、レビューがたくさん残っていた。

 日笠はスマホから顔を上げる。


「じゃあまた二週間後に来ようか」

「いいの!? ……ありがとう」


 その顔が本当に喜びにあふれていて、こちらも嬉しくなってしまう。


 水海のことが好きだ。


 日笠は、自分が水海のことが好きだと認めることにした。

 彼女は無邪気で可愛くて優しくて、そして自由だ。

 別に特別な理由じゃない。可愛くて、話していると楽しくて、もっと一緒に居たいと思ってしまう、それだけ。崇高な理由や信念があるわけじゃない。

 偶然隣の席になってよく話すようになった同じクラスの子に恋をするようなものだ。


 きっと、もうここに来た時点で好きになっていた。あの時日笠のメンタルは滅茶苦茶で、水海との何気ない日常が、普通の会話が唯一の救いだった。

 だからここで二人暮らせることを、嬉しく思っていた。それはなんでもない夏休みのようで、幸せだった。

 水海は思っていたより普通の、普通の女の子で、だから油断してしまっていたのだ。

 いつの間にか好きになっていた。緑川にもっと早く相談しておけばよかったと心から思う。

 しかし、今から無理に嫌いになることは諦めている。自分の気持ちを否定するのは苦しいと、ここ数年で思い知っていた。

 この気持ちを否定したくない。


 でもそうすると、新たな問題が立ち上る。


「日笠くん、ひまわりの写真撮っていい?」

「……あぁ、いいよ。撮ってあげる」


 水海はあと一か月後、八月三十一日に死ぬ。それは呪いによるものだ。


 その呪いを日笠は解くことができる。


 戦っていた時、あの能力者の呪いを解呪したことはあった。だから成功するだろうという確信があった。

 申し訳ないが上司には嘘をついていた。でもそうしないと、水海の監視方法でますます揉めるだろうと思って、自分なりに気を使ったつもりだったのだ。でもここに来る直前に確認されても嘘をつき続けたのは、水海と一緒にいたかったからだった。


 通常呪いを解くことは罪にはならないし、人助けにすらなる。だから何も考えなかったらそうしてもいい。解呪すれば、もっと水海は長生きできるだろう。


 だが、そうすべきか迷う理由があった。

 日笠はひまわり畑を前に笑う水海を写真に収める。

 ひまわり自体も彼女の要望に従って撮っていき、最後に周囲の景色をまんべんなく写した。


 この一帯には人が一人も住んでいない。それは過疎化による廃村、などではない。

 原因は全て水海にある。

 彼女は最終戦の時、この辺り一帯の人を殺した。


 十万五千二百四十一人。

 それが、彼女の能力によって消滅した被害者の総数だ。

 彼女の目的とは、「人間を可能な限り消し去ること」だった。


 それは果たすことができなかったが、戦場から近かったこの地方の人々が犠牲になってしまった。

 このひまわり畑の持ち主も、恐らく亡くなっているだろう。地図アプリでの最新のレビューは、水海への怨嗟の声で埋まっていた。


 日笠が助かったのは、防衛本能が働いてなのか無意識にその即死技を無効化したからだった。この時死ななかったからこそ、日笠は水海の監視役を任せられたと言ってもいい。


 水海は大量殺人犯だ。

 しかし、彼女はその罪で裁かれることはない。

 現在水海に問われている罪は不法侵入や器物破損などの軽犯罪だけ。

 国営軍は、最終戦まで秘密裡に、能力の存在を公表せず非合法的手段で反抗能力者を取り締まってきた。

 だから能力に関する犯罪について法整備が一切行われていなかったのだ。

 そもそも現代科学では、能力についてまだ解明されていない。

 だから、真に大量殺人を水海が行ったと証明することができなかった。科学で分かるのは、突然多くの人が突如跡形もなく消え失せてしまったことだけ。


 大量に人を殺したのに、それが能力によるものなので罪には問えない。

 これから法律が作られたとして、法の不遡及という原則があるので法が施行する前に行われたことについて遡って法律を適用することはできないらしい。

 だからどう頑張っても、水海を殺人の罪で裁くことは不可能なのだ。

 今は少年院での更生、という名目で彼女を管理している。ここは一応、臨時の少年院扱いだ。

 しでかしたことへの正当な報いを受けることもなく、彼女は逃げおおせてしまう。


 それでも、彼女を助けてしまっていいのだろうか。

 これまで彼女が犯したことについて日笠はあまり意識しないようにしていた。それは、彼女に殺人を許したのは自分の責任だと思ってきたからだ。

 自分が止めることができたら、と何度考えたか分からない。しかしそんなことを考え続けていては精神が限界を迎えてしまうからやめてしまった。

 水海の監視役を引き受けた最終的な理由も、贖罪のためだった。

 これ以上、自分のせいで被害が増えてほしくなかったから。

 だが、思考停止はそろそろやめなければならない。

 考える必要がある。


 水海蛍火を救っていいいのか、を。


 そもそも自分は、なぜ戦い始めたのか。

 日笠は風にゆられるひまわり畑とそこではしゃぐ水海を見ながら、そんなことを訥々と考え始めた。

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