第13話 過去回想:六月(2)

 水海はカーペットの上でごろごろしながら一枚のリーフレットを見ていた。

 それは食堂のメニュー表だ。

 彼女は拘束着ではなく黒いTシャツワンピースを着ていて、しばらくするとぴたっと動きを止める。


「日笠くーん。私ハンバーグ定食がいい」

「おー。注文しとく」


 隣で床に置いたクッションの上に座っていた日笠が、スマホで担当者にハンバーグ定食を注文する。

 それから一時間くらい二人でゲームをしていると、インターホンが押されて昼食が届けられた。

 入口の扉は厳重にも二重構造になっていて、外の扉が開いているうちは内扉は開かないようになっている。日笠が内扉を開けて扉と扉の間の空間に出ると、外の扉が開いて職員の人が岡持のような容器ごと渡してくれる。


 日笠はお礼を言うが、職員は頭をぺこっと下げると逃げるように去って行った。それはそうだ、誰だって水海とこんな近くにいたくはないだろう。

 外扉が閉まったのを確認して内側の扉を開けると、既に水海が折り畳みテーブルを準備して天板を拭いていた。

 日笠が受け取り、その間に水海がテーブルを用意する。この一週間で自然と洗練された流れだ。

 届いたのはハンバーグ定食と日替わりのハムカツ定食。水海にハンバーグ定食を渡し、食事が始まる。


「ハンバーグうまー。ここの食堂って美味しいよね、福利厚生しっかりしててすごい」


 水海はいつも、初めてものを食べたみたいに美味しそうに食べる。それは今日も変わらない。


「美味いよね。カフェテリアもあってさ、そっちはデザート系が充実してる」

「なっ……! なんでそんなひどいことを言うの……。私いけないのに……」


 水海が本気の調子でうなだれるので笑ってしまった。


「同じ建物なんだけどなー」


 水海は頭をぐらぐらさせながら行儀悪く足を持ち上げた。そこには足枷がついており、彼女が足を振るとがしゃがしゃと鎖が音を立てた。鎖の反対側はベッドの脚につながっている。

 拘束服を辞めてもらうよう交渉した後、主張に正当性はあるがやっぱり不安だとの意見が消えず、このような形で拘束することになったそうだ。

 移動する時すごい邪魔なので割と不満だ。時々躓きそうになる。



 * * *



「はー……腹減った」


 少年はマジックミラー越しに食事をする二人を忌々しげに眺めた。横に細長い部屋で、マジックミラーの関係で薄暗い。パイプ椅子が何個も並べられているが、今は二個しか使われていない。


「つーかさぁ……なんであいつ、アレとへらへら笑いながらメシ食えるんだろ」

「あいつとかアレとか何。名前で呼べばいーじゃん」


 隣の椅子に座っていた少女が、不機嫌そうにスマホをいじりながら答える。


「……しかも水海に好きなメニュー選ばせてるし」

「あー……まぁ日笠日替わりしか食わないから」


 少女の言葉に、少年は驚いて少し固まった。


「お前日笠と仲良かったっけ?」

「仲良いと向こうが思ってるかは知んないけど、任務で時々一緒になったし食堂でごはん食べたこともあるよ。……そっか、あんた日笠とあんましゃべったことないんだっけ」

「ねーよ後方支援だし。なんで?」

「いや……多分、これ全部聞こえてるよ。感覚強化やばすぎて超感覚になってっから」


 女はひらひらとマジックミラーの向こうの日笠に向けて手を振った。


「えっ!?」

 


 * * *


 日笠は苦笑いで手を振り返す。


「えっ、どーしたの日笠くん……自分に手ー振ってんの?」

「違うわ。監視役が知り合いだったから」


 彼女・・の言う通り、向こうでの会話は意識しなくても全て聞こえる。聞こえてしまう。

 食事は今、この施設内にある食堂から運んでもらっている。元々小規模な留置施設があって、そこでも食堂から配給してもらっていたのでそれにならったそうだ。

 水海のメニューは本来日替わりのやつ固定で、日笠は上司の配慮で好きなものを選んでいいことになっていた。


 だが日笠は特に食べ物の好みがなく、選ぶのが面倒なので毎回日替わりにしていた。

 水海はちょくちょく文句を漏らしていたので、上司に交渉して日笠の選ぶ権利を水海に譲ることにしたのだ。

 交渉したとき、上司は苦笑いというか、変なものを見る顔をしていたのが印象に残っている。客観的に見れば、日笠は犯罪者に優しくする変な奴に見えただろう。

 監視役の人がいぶかしく思うのも無理はない。


【うわっ! ごめーん、陰口言った! マジすいませんでした日笠君……】

【お前さっき呼び捨てにしてたろーがい】


 監視役の森岡もりおかが愉快そうに笑って男の背中を叩いている。男の方も見たことはあるのだが、申し訳ないが名前が思い出せない。


「あー……気にしないで大丈夫」

「んん? あぁ、壁の向こうの人と話してるの?」

「そう」


 水海がいなければいいのだが、この状況で彼らと話すのはなんか気恥ずかしい。彼女から見れば、一人だけ茶番をやっているようにしか見えないに違いない。


「水海さ、今度俺、友達にカフェで甘いもの買ってきてもらうから一口どう?」

「えっ! ……日笠くんて、なんでそんな優しくしてくれんの?」


 水海の監視役を二週間ほど引き受けていて思ったことがある。

 それは、ずっと一緒に居なきゃいけない人に嫌悪感を持ち続けるのがしんどいということ。

 時折会うだけならなんとかなるかもしれないが、二人っきりで三か月だ。こちらの精神が崩壊してしまう。

 怒りはそんなに持続しない。時折噴出しそうになることはあるけど、ずっと怒り続ける方が日笠にはしんどかった。


「えー……あと二か月以上ずっと一緒にいないといけないんだから、お互い少しくらい楽しい方がいいかな、みたいな感じ」


 だから、もういっそ普通の友達のように接しようと決めた。

 必然的に、どうしようもなく、この三か月彼女とずっと一緒にすごさねばならないのだ。

 向こうも何故か敵意は向けてきていないし、せめて穏やかに過ごしたい。ぴりぴりしながら生活を三か月も送るのは嫌だ。

 そしてそれは、思いのほかうまくいっている。


「あと、俺は元々、なんていうか、良い人ぶりたい性格なんだよね……。だからあえて水海にひどい態度をとるほうが逆につらい」


 そしてもう一つの理由がこれだった。

 やはりこの悪癖を直すことができなかったのだ。無理に辛辣な扱いをする方がよっぽどしんどいと諦めた。


【あー……そういう理由があったんだ。なるほどなー】


 鏡の向こうで監視役の男もうんうん頷いている。


【大変だな、日笠君】


 本当にそうだ、と彼の言葉に心の中で同意する。

 今回の件については二か月半辛抱すればいい。

 でも、そろそろこの気質を変えた方がいいのでは、と思い始めていた。

 良い人ぶっていても心の底からの善人にはなれない。その上、善人のフリをするのも日笠の自己満足でしかないだろう。

 真の善人になれたらどんなにいいことか。しかし一方で、いまいち良い人もフリを辞めるのも難しい。

 中途半端な自分が嫌いだった。


「なるほど……ちゃんと理由があったんだね」


 日笠の思考など当然知りもせず、水海は納得したようにうなずいた。


「でも一つ訂正しておきたいな」

「え? 俺の発言なんだけど……」


 自分の心境に関する発言を他者に訂正されることなどあっていいのだろうか。

 水海は日笠の疑問をスルーして、人差し指を立てて宣言する。


「日笠くんは良い人ぶってるんじゃなくて、ちゃんと良い人だよ!」


 そういうことを言われるのが日笠は一番苦手だった。

 どうせ社交辞令なのに、期待してしまう自分がいる。


「……どうしてそう思うの?」

「食事のメニュー選択権をくれるから!」


 ずっこけてもいいだろうか。

 お世辞にしても、もう少しちゃんとした理由にしてほしかった。


「私が食べるの好きだからって提案してくれてるんでしょ。人がどうやったら喜ぶか考えて実行できるのは、それだけで優しくて良い人だよ」


 しかし、水海が続けていった言葉は思いのほかちゃんとしていた。


【あっ、水海てめぇ、ずるっ! 俺だって日笠君良い人だと思うぜ、怒らなかったし!】

【なに張り合ってんだよ……ウザ】


 監視役の二人の声が遠くから聞こえる。


「……そうだといいね」


 不覚にも嬉しくなってしまった。

 もしここまで考えて発言しているとしたら、水海もまた優しくて良い人になってしまうな、とふと思う。



 一週間後、昼食と一緒に運ばれてきたのはチョコレートケーキだった。

 それを見た水海が唾を飲んだ音が聞こえてきて、ちょっと面白かった。

 彼女は輝く目と震える手でそれを指さす。


「ひ、ひかさくん……これ……」

「良かったら食後にどう? 俺のおごりってことで」


 言ってみると、水海はばっと両手を握りしめて身を乗り出した。


「ほんとに!? 希望を持たせておいて実は食べられません、みたいな拷問じゃなくって!?」

「それは非人道すぎるでしょ」


 国際法で禁止されてほしい拷問だ。

 水海に差し入れをしてやったのはほんの気まぐれだった。

 必要以上に優しくしない方がいいかなと思ったのだが、なにせ話をしていて日笠自身が甘いものを食べたくなってしまったのだ。

 食に興味があるほうではないが、友人の帆景や緑川が甘いもの好きなので付き合ってよく食べていて、懐かしくなってきた。

 上司に聞いてみたら食事と一緒に持ってきてくれるというので、二人分頼んだという経緯だ。

 正直、水海の分はついでというか、一人で食べていたらさすがに可哀そうで味がしなさそうだな、と思ったから。

 ケーキは一旦冷蔵庫に仕舞うことにして、先にご飯を食べる。

 水海は食事中ずっとそわそわしている感じで、我慢したけど耐えきれず笑ってしまったら彼女にそっと睨まれた。

 食事が終わって食後のお茶を淹れ、日笠がケーキを出してくると、より一層水海はそわそわした。


「じゃあ食べようか」

「うん! いただきます!」


 待ってました、とばかりにフォークを手にチョコレートケーキに取り掛かる。

 彼女はすくったフォークの上の一口を、まるで宝石のように眺めた。そして口に入れると目を閉じた。


「あ……美味しい。なんて美味しいケーキなんでしょうかこれは……」


 逆に落ち着いた態度になったのは何故なのだろう。

 水海はそれからも一口一口をいとおしそうに口に運び、最後の一口の前で止まった。


「うう……食べ終わってしまう……食べ物ってなんで食べると無くなっちゃうんだろう……」

「食べてるからだね」


 彼女は最後の一口を大切に食べ、それから日笠に顔を向けた。


「ありがとう日笠くん。ご馳走様でした、とっても美味しかった!」


 その笑顔を見て、買ってきてもらって良かったと日笠も破顔する。

 二人での生活は、当初想定していたより、大分楽しいものだった。

 それを彼は嬉しく思った。




 それから二週間後。

 日笠は死んだ目でディスプレイを見つめていた。隣には水海もいて、同じくコントローラーを握り画面を見ている。

 二人は無言でゲームしていた。


「……ゲーム飽きた」

「だよな……」


 ちょうど対戦の決着がつき、水海が勝利を収める。彼女はコントローラーを床に置いた。


「これ、私達ネット対戦したらかなり上位に行くんじゃない? てくらいやりこんだね」

「いやー……動画で見る人はもっとうまいし」

「それねー。……あの人たち何時間やってんだろ。監禁されてんのかな」

「ははっ……いやマジそういうレベルだよな」


 監視生活が始まって一か月が過ぎた。ずっとこの部屋の中でゲームして、ご飯食べて、出席代わりの学校の課題をやって。ルーティーンワークになりすぎてもう飽き飽きだ。

 時々水海は軍や警察の人と話したりしているが、イレギュラーはその程度。日笠は上司から呼び出されて一瞬だけ外に出られるが、水海の場合は本当にこの部屋から出ていない。


「新しいゲーム頼んでみる」

「ありがとう……眠い」


 水海は床に転がった。


「他になんかやりたいことある? 俺、もう室内で出来ることやりつくした気がする」


 体力落ちそうなので軽い筋トレ器具も買ってもらったし、室内で出来る遊びの類はもう思いつかない。あまり高価なものをぽんぽん買ってもらうのは気がとがめられるし、やれることは限られる。


「……外に出たい」

「室内で出来ることって言ったじゃん……」

「逃げたいとかじゃなくて……外の空気を吸いたい、的な」

「それは俺も」

「私植物とか好きでさぁ……過ぎた望みなのは分かってるけど……」


 水海は床に顔をうずめる。


「地下生活がしんどすぎる」


 その気持ちは大変よく分かった。

 日も差さない場所で一日中過ごすというのがこんなにきついとは思わなかった。ゲームなんかの暇つぶし品は頼めるし何とかなると思っていたのだが完全に気が滅入ってきている。

 そして日笠が一番つらいのは、監視役の気配と話し声だった。

 マジックミラー越しでも日笠には声が聞こえてしまうことを知っている人も多いが、中には知らないで愚痴る人や冷笑的に批判を漏らす人もいる。


 一応気づくと上司を通じて伝えてもらっていたので今はないのだが、その人が監視役に来るとやはり地味に居心地が悪い。口に出さなくなっただけで、きっと同じことを今も思っているのだろうし。

 意外にも、監視生活での一番の敵は味方だった。



* * *



「日笠君、あの部屋での生活はどう? 苦労が多くて悪いが、何か要望があったら言ってくれ」


 定期的に上司とは面談がある。その間だけあの部屋を出ることができて、代わりの監視役に水海を見てもらっている。

 とはいえあまり遠くに行くと水海が反乱を起こすかもしれないと言われているので、二つ隣の部屋だ。なので地下であることに変わりはない。

 日光を浴びたい、とこんなに切に願ったことはなかった。というか骨が弱りそうで嫌だ。


「……あー、そうですね。何度も言って申し訳ないんですけど、やっぱ監視され続けるのはつらいなと……」

「そうだよね……本当に申し訳ない」


 上司の方もそういうしかないだろう。今の監視体制でも色々と不満が出ていて折衝が大変だと前に漏らしていた。


「あとは……その、ずっと地下にいるのがつらいな、と思います。たまにでもいいので、日の当たる場所に行きたいかなー……難しいのは分かってるんですが」


 その願いを口にするとき、水海の顔がちらついた。

 彼女の願いを叶えたい、という訳では全くない。

 しかしずっと一緒に過ごしたせいで、二人の願いは共有されてしまっている。彼女の願いを叶える形になるのは不本意だが、自分の願いであることも確かなのだ。

 それに、叶わない願いなのも分かっている。安全面を考えたら、この場所に引きこもっているのが最善なのだろうことは承知の上で、それでも言っておきたかった。もしかしたら、自分だけでもこういった面談のとき一瞬外を散歩するくらいは許されるかもしれないからだ。


 すぐに謝罪とか柔らかな拒否とかが返ってくるだろうと思っていたので、上司が黙ったときはなにか逆鱗に触れるようなことを言ってしまったか、と身構えた。

 上司は少し声を潜める。


「実は、まだ確定ではないので話半分に聞いてほしいんだが、水海を移動させる案を検討中なんだ」

「えっ……逆になんでですか?」


 わざわざ改装してまで軍施設内に隔離するための部屋を作ったのに、また別の場所に移すとは驚きだ。それともいいところが見つかったのだろうか。彼女が存在することを許される場所なんてどこにもないと思うけど。


「……近隣住民からの苦情がひどくてなんとかしろと上から言われてね。水海がここにいるのはバレてるからいずれはこうなるだろうと思っていたが……ここにいると分からないだろうけど、外は連日ひどい騒ぎなんだよ」

「そうでしょうね……」


 日笠が近隣住民の一人だったら、抗議活動に賛成するに違いない。


「あとは呪いの発動時に何が起こるか分からないから、その対策も必要だという声が出ていてね。呪いの影響は水海一人だろうとこちらでは予測しているんだが……まぁ、爆発のように周囲も巻き込まれたらどうするんだ、と言われたらこちらでも対策を取らねばならない」


 どうみてもあの呪いは水海一人だけを殺害するだけのものだ。確かに周りに被害が及ぶタイプだったらあの地下室で発動させるのはまずいだろうけど、そこまで万が一を考えて対策しないといけないのか。

 上司のことは好きでも嫌いでもないが、これには同情してしまう。


「どこか移れそうな場所があるんですか?」


 周囲への被害だけ考慮すればいいのだったら候補がありそうだが、近隣住民からの苦情はどこへ行ったって避けられないんじゃないだろうか。


「……ある。周りに誰も住んでいない場所が」


 言われて、気付いた。

 あの場所だったら可能かもしれない、と。


「その件で一つ確認したいんだが、日笠くん、君は――――」


 上司から尋ねられた件について、彼は否定で応えた。

 ここでついた嘘によって、の生活は成り立っている。

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