第12話 過去回想:六月(1)

「日笠くん何してんの?」


 水海がそう話しかけてきて、日笠は手を止めた。


 そこは牢屋だった。

 といっても檻などはない。広めの部屋に、鉄製の頑丈な扉と大きな鏡が左側壁についている。鏡はマジックミラーになっていて、隣の部屋で係の人が監視するシステムになっていた。日笠がちょっと集中してみると、鏡の向こうには二人いることが気配で分かる。

 部屋の奥にはベッドが二つ置いてあり、間に机がある。水海は拘束服のまま部屋の端にあるソファーに座っていて、向かい側の椅子に日笠が座っている。

 二人きりの部屋だが、二人とも壁に引っ付くような形でいる。日笠としては、なるべく距離を取りたいという理由だった。水海は普通にあそこに座らされて以降動けないだけ。


「あ、ていうか日笠くんって呼んでいい? それとも監視役さんとかのほうがいいかな」

「……別にいいよ、そのままで」


 水海のことを水海と呼んでいいかと確認するのはなんとなく嫌で言わなかった。


 彼女の監視役を押し付けられてから二日間、最初にいた会議室で過ごしていた。

 なんであんな生活に向かない場所で、とさすがに抗議を入れたがどうも収容場所でかなり揉めて移送まで時間がかかったらしい。


 本来警察の留置所に隔離するべきだが、警察が安全面から難色を示したそうだ。そもそも警察には能力者を収容しておける施設はない。それで色々な折衝があり、今日この部屋へ移動することになった。

 ここは国営軍の所有する施設の地下室で、空いていた部屋を水海収容用に改造したそうだ。元々能力者を収容する施設ともまた違う場所である。

 ここから出ずに一通り生活できるよう、トイレや風呂、簡易キッチンがついている。能力者による協力があったにせよ、突貫工事の割には綺麗でちゃんとしていたので良かった。


「えっと……なにやってるかって、動画見ようかと」


 日笠はスマホとイヤホンをポケットから取り出したところだった。

 ここに来るまで水海はヘッドホンとアイマスクをつけっぱなしだった。取り調べのときやトイレ、食事をするときは外していたので事務的な会話はあったが、まだ介助してくれる人が他にいたので二人っきりになることはなかったのだ。

 だから、これが初めての、雑談らしい雑談だ。


「あのー……図々しいんだけど、一緒に見てもいい? めっちゃ暇で」


 彼女の言葉に、日笠はとても迷った。

 日笠は正直、水海への態度を決めかねていた。

 ここで怒鳴り散らして拒絶して、なんなら多少暴力をふるったとして誰も文句は言わないだろう。そのくらいのことを彼女はした。

 でも、穏やかに話しかけてきた相手を邪険にするのは苦手だった。そもそも人に対して悪意を向けるのが得意ではないので、わざわざ無理をして攻撃するのも精神衛生上よくないだろう。


「…………まぁ、いいよ。画面ちっちゃいけど」


 だからしばし考えた末に了承することにした。


「ありがとー」


 水海はにこにこ笑い、立ち上がろうとしたのかもぞもぞ動く。


「こっちから行くからそこにいて」


 日笠は立ち上がってソファーの方へ行く。そもそも全身をすっぽり覆う拘束着を着ているのだから動くのなんて無理だろう。

 凶悪犯の隣に座ることに、それほど抵抗はなかった。この五日間一緒にいたので慣れてしまったと言ってもいい。

 座って、スマホの電源を入れる。要望を聞いたらなんでもいいというので、適当に映画を見ることにした。この施設のwifiを使えるようにしてもらったので通信容量は気にしなくて良いから助かる。


「あざす」


 水海蛍火に対して怒りがある。

 だが、目の前にいる彼女に対してその怒りが思いのほか結びついていない。


 その理由は、お互いに顔を隠していたからだろう。身元バレ防止のため、両陣営とも認識阻害のできる能力者を雇い、直接対峙するときは顔や声、全体の印象をモザイクでもかかったようにぼんやりしか認識できないようにしていたのだ。その上念を入れてヘルメットのようなものをかぶっていた。


 だから、今横にいる少女が、あの『消滅』だと思えないのだ。

 そして理由はもう一つある。


 彼女は、滅茶苦茶かわいかった。

 バランスのいい目鼻立ちと白くてほんのり赤みがかった肌。今まで見たことがなかったその瞳は、きらきらとした星を抱いているかのように光っていた。美少女といって差支えないだろう。

 あんなことをしでかした奴なのに、実際に見た彼女は、虫一匹殺せなさそうな幼い顔をしていた。


「む」


 見づらいのか、変な声を上げた彼女はもぞもぞと動き、そしてバランスを崩して日笠の方へ倒れこんできた。

 その動作の予兆を感じ取っていたのでそうなるのは分かっていたが、ここで避けて彼女がソファーの上に倒れるとそれを直さなければいけないのは日笠なので、仕方なく受け止める。

 事前に分かっていたのに、それでも肩がくっつくと体がびくっと震えた。


「あ、ごめん。嫌だった?」


 彼女はしゅん、という効果音が似合いそうなほどあからさまに落ち込んだ表情を見せた。


「あ……うん、嫌です」


 ごまかすのも癪に障るので正直に答えた。彼女と接触するのが嫌というより、元々仲良くもない人と触れあうのは苦手なのだ。

 すると水海はきょとんとしたあと、げらげら笑いだした。


「そっか、そうだよね! ほんとごめんだけど、起き上がるの手伝ってくれない?」


 拘束服を着ていると倒れた姿勢を直すのも一苦労らしい。彼女の両肩を掴み、少し押し戻す。


「服、変えてもらえるように交渉してみるよ」

「えっ、いいよそんな」

「そうじゃなくて、俺がなんか……面倒だしさ」


 いちいち介護みたいなことをしなければならないのはしんどい。別に好きな人でも家族でもないのに。給料は貰っているが、しなくていい苦労はしたくなかった。

 第一、こんな拘束は無意味だ。水海に能力がないなら多少反乱を起こされても制圧できるし、能力が戻った場合はこの程度ではなんら意味をなさない。


「あっ、確かに。てか反抗する気とかないからなんもなくてもいいのにねー。能力使えなくなっちゃったし、もう何もできないのにね?」


 そういう彼女はなぜか他人事だった。

 

 水海との生活は微妙な空気感のまま続いた。

 この施設での生活が始まって三日経った昼頃、日笠は勉強をしていた。

 当然ここで暮らしている以上彼も軟禁状態にあるため学校に通うことができない。そこは軍の方が学校と掛け合ってくれたようで、課題をこなして提出すれば出席したのと同じ扱いにしてくれるそうだ。


 最初はテレビ通話でつないで授業を受けられるようにしてくれるっぽかったのだけど、さすがにそこまでしてもらうのは申し訳ないので断った。それに課題の方が楽だし、先生にメールで分からないところを質問できるようにもしてくれるので十分だ。

 とはいえ不便なところもある。


「……ん」


 数学の問題を解いていて、分からない問題に直面したときとか。

 基礎問題は教科書を読めば解き方が理解できるのだけど、応用問題になると分からない部分もある。先生にメールをすればいいのだが、今の時間はちょうど授業中だろう。忙しいのに申し訳ないので、なるべく自分で解決したい。


「日笠くん、なんか詰まってる?」


 正面のソファーに座った水海から声をかけられたのは、しばらく悩んでいた時だった。

 相変わらず拘束着姿で、初日と違うのは膝の上にタブレットを載せて動画を見ているところだ。日笠が暇つぶしに持ってきてもらったものを勉強の時だけ貸与していた。彼女自身では操作ができないのでいちいち日笠が操作しなければならないのが煩わしい。


「……まぁ。わかんない問題が」

「数学だよね? もしよかったら見せてよ、わかるかも」

「俺達、同学年じゃなかったっけ」

「うち進学校だったから授業の進み早いんだよね」


 なるほど、それだったら既にこの範囲を切り抜けているかもしれない。

 犯罪者に頼るのもどうかと思ったが、一人ではどうしようもなさそうだったので聞いてみることにした。ソファーのところまで行って、隣に座り教科書を見せる。


「ここんとこなんだけど」

「あぁはいはい。それはねー」


 水海は一瞬見ただけで、すらすらと解き方を説明してみせた。そしてそれがとても分かりやすかったので、二重に驚く。


「……すごい」


 褒めたくはなかったが自然と感嘆が口から洩れていた。


「えへへ、どうもどうも」


 照れくさそうに笑う彼女は普通の子にしかみえない。


「……何か見返りを求めてる?」


 見返り以外に日笠に親切にする理由が思い浮かばなかった。


「ちがうちがう。強いて言うならタブレットのお礼かな? すっごい暇だから助かるよ、これ」


 水海は顎で膝の上のタブレットを示す。

 思えば先に施しを与えてしまっていたのは日笠だった。

 困っている人がいるとつい何かしなければならない気分になってしまう悪い癖が出ている。

 でもこの悪癖を、果たして今更治せるのだろうか。

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