第8話 七月二十二日(1)
「というわけで、今日は手芸に挑戦します」
帆景の家を訪問した翌日の午前中、水海はそう高らかに宣言した。
「あ、はい。……手芸?」
「手芸」
そう言って水海が掲げたのは裁縫セット。ボタンが取れたり服がほつれたりしたとき用に貰った簡易的なやつだ。小さいバッグに入っていてかわいいパンダの模様がついている。
「昨日帆景ちゃんから旅行という案をもらいましたが当然実行が不可能です」
「ですね」
何故敬語なんだろうと思いつつなんとなく突っ込みづらいものを感じて流れに乗ってみる。
「なので旅行は後で日笠くんが一人旅とか行ってください」
「うん、そうするよ」
帆景たちとも行く予定だが、一人で行ってみたらまた印象が違うかもしれないので試してみるべきだろう。それもまたこの夏が終わってからの話だ。
「で、ここにあるもので出来そうなことを私なりに探してみたんだけど――――その結論が手芸です」
「確かに裁縫セットがあるからできるね」
いきなり手芸と言われたので何事かと思ったが、そう考えると合理的だ。
「そうそう。で、意外と趣味として手芸をしたことってないんじゃないかと思って。女の子の趣味ってイメージだけど、そんなこと無いと思うんだよ」
「なるほど、確かに先入観があるかもな」
家庭科の授業で多少やったことはある。その時は別に不快ではないもののさほど楽しいとも思わなかったが、それは授業でやらされていたダルさも影響していただろう。あたらめて見直してみるのも悪くない。
水海の案に日笠も同意し、さっそくやってみることにした。
「まずは刺繍とかどうかな。いろんな色の糸があるし」
彼女は裁縫セットを床の上で開いて中身を出す。コンパクトなセットだが思いのほか充実していた。糸の量は少ないが、刺繍するモチーフを工夫すれば問題ないんじゃないかと思う。足りなければ足りないで、途中までやって後日糸を買い足してもいい。
「いいね。……そういえば、布はあったっけ」
「あ」
終わった。
一番重要なものが足りていなかった。
「布の存在を忘れた」
水海は照れくさそうに言う。
「盲点だったみたいだね」
布はさすがにセットの中に入っていない。ハギレでもいいから布があればいいが、日笠は頼んだ憶えがない。軍の方でそろえてくれた日用品の方に入っていればあるかもしれないが、探すのは面倒くさい。
「包帯とかガーゼならあるか……あ、いや、一つ方法があるよ」
「何?」
「ちょっと待ってて」
部屋を後にして、戻ってきた日笠が持っていたのは新品の白いTシャツだった。
「これに刺繍すれば?」
「天才かな? でもいいの、Tシャツ使っちゃって」
「いいよ、いっぱい貰ったから」
服は備品として軍から支給されている。好きに使っていいと言われているので、まぁこのくらいは許されるだろう。後で糸をほどけば元に戻るわけだし。
「そっかー……じゃあやってみよう!」
出来上がりは燦燦たるものだった。
「私クソ下手! ぎゃははっ!!」
水海は自分のやった刺繍を見てげらげら笑って床の上を転げまわった。
Tシャツには、多分歪んだ花のようなものの刺繍が出来上がっていた。とても前衛的である。
「独創的でいいと思うよ……」
「日笠くん上手だね」
一方、日笠のものは市松模様や幾何学模様が割と丁寧に縫われている。
だが褒められた彼の表情は堅い。
「いや……なんか無難に走っちゃったというか、遊び心がゼロっていうか……つまんない仕上がりになっちゃったなと」
これだったら適当にやってもっとひどい出来の方が面白かっただろう。
「そう? いいじゃんこれ」
水海がなんでもなさそうに言ってくれて、なぜかちょっとほっとする。
「思えば初心者キットみたいなの買った方が良かったかもねー……やってて楽しかった?」
「うーん。苦ではなかったかなぁ。無心で出来るのはいいかも、とは思った」
デザインを決めるのが面倒だったが、縫っていく過程自体は楽しかったともいえよう。こつこつ地味にできる作業は割合好きだ。
「ふーむ、でもすごく楽しいわけではない、と」
「そういうことです」
でも明日もやりたいかと言われると別に、という感じだ。
二人の間に沈黙が流れる。
「……おなかすいたのでご飯にしたいな」
水海が神妙な面持ちで言う。見ればもう十一時半を回っていた。
「そうしよう」
二人で台所に並んでいた。
日笠はキャベツを切り、水海は豚バラ肉を切っている。
「日笠くん、嫌いな食べ物はないの?」
「うーん、激辛系は苦手。あとはまぁまぁなんでも食べられるよ」
「えらー。よっしゃ、焼きそばを焼きます!」
水海は切り終わった肉をフライパンに放り込んで炒めていく。
料理は交代制になり、今日の昼ごはんは水海の当番だ。料理をする彼女は楽しそうだった。
「そうだ、俺も一つ思いついたんだよ、趣味になりそうなこと」
「へぇ、何々?」
「写真とかどうかなって。スマホあればできるし」
ネットで調べたときにも写真撮影を挙げるサイトもあったけど、イメージ写真から一眼レフを使ったりと本格的なものを想定していたので出来ないなと思いこんでいた。でも、よく考えればお手軽なカメラが手元にあるのだ。
「そっか、言われてみればそうだね。でも、スマホで写真を撮ったこととかって結構あるんじゃない?」
麺とキャベツ、もやしを投入したあと、菜箸でフライパンの中身をかき混ぜながら水海が言う。
「うん、でも俺が使うのって学校のプリントとか黒板撮ったりとか、あとは友達が撮ってるとなんとなくつられて撮るくらいだったから、意識して楽しんだことないかもって気づいたんだ」
友達とご飯を食べに行くと写真撮影タイムになって便乗したりするが、それは友達の撮影が終わるのをただ待っているのも暇なのでという消極的な理由だ。
「それに、さっきやってたとき思ったんだけど、一回やっただけで好きかどうか決めるのって難しいかもしれない」
「あぁ、何回もやってくうちに意外と好きかも、って分かったりするかもねー」
刺繍はそんなにハマらなかったが、キットを買ってデザインが決まってるやつをやってもっといいのが出来たら楽しいと思えるかもしれない。それに他の手芸ジャンルだったらもっと楽しいと感じる可能性だってある。
「なので、出来そうなことを毎日こつこつやっていこうかと思います」
「いいと思います」
それからさっき思ったのは、もっと自分から積極性を出したほうがいいなということだった。
あんまり楽しそうじゃないかも、本当に好きになれるのか、そんなことばかり考えてしまうが、あまり余計なことを考えずやってみた方がきっといい。
まずは、色んな事を試すこと自体を楽しまなくては、本当は好きになれたはずのことでも嫌いになりそうだ。
早速有言実行するためにスマホを取り出す。せっかくなので作りかけの焼きそばを一枚撮ってみた。するとなぜか水海が不満げな視線を向けてくる。
「焼きそばじゃなくて私を撮ってや」
「あ……すいません」
なんとなく迫力に負けて謝ってしまったが別に焼きそばを撮ったっていいだろう。
一応ご要望にお応えして、調理中の水海を撮る。ちょうど出来上がったので、大皿に焼きそばを移したあとも一枚撮っておく。そっちにも水海は写りたがったので一緒に撮ってやる。
撮ったものを彼女に見せると満足そうにうなずいた。
「うん、よく撮れてるね。さすが今時のスマホは性能がいい」
「撮った俺のこと褒めてよ……」
「うそうそ、日笠くんじょうず」
このくらいなら毎日続けられるし、だんだん上手になっていったら楽しくなってくるかもしれない。風景を撮りに行くのもいいし、料理写真を旨そうに撮れるよう工夫するとかも考えられる。
どうかそのうち楽しくなってくれと願うばかりだ。
出来上がった焼きそばを食卓に並べ、取り分けてから食べ始める。
「焼きそばって昼ごはんのイメージあるよねー。なんでだろ」
「さぁ……すぐ出来るから?」
「美味しいからなんでもいいけどね!」
「仰る通り」
シンプルな具材で作り方も平凡だが焼きそばはとても美味しかった。ソースの匂いが食欲をそそるし、いくらでも食べられそうだ。
そろそろ食べ終わりそうになったとき、遠くから近づいてくる気配に勘付いた。
思わず振り向く。
車、いや多分バイクかそれに準ずるものの排気音と振動がする。
「ん? どうかした?」
「いや……」
水海は気付いていないようで不思議そうに首をひねっていた。それは彼女の能力が失われていることの証拠でもある。
能力には、メインとなる力だけでなく副次的な効果が付随する。身体能力向上や感覚器官の機能向上などが基本的で、一般的には人間としての最大性能の範囲内にとどまるが、強度の高い能力者はそれ自体が軽い超常能力の域に達する。
日笠が今感知した相手は、二百メートルは離れた位置にいるだろう。周りに全く人がいないので、市街地にいるときよりも詳細に探知できる。
気配探知に集中するともっと相手の情報が得られるのでやってみた。このエリアに侵入を許していて何の連絡もない時点で軍関係者なのは間違いないだろうが。
すると、原付かバイクなどの二輪車に乗った人だとわかる。
その人物の気配には憶えがあった。
「あ、知り合いが来た」
「え? どこに」
水海が縁側の方に視線を向ける。
「まだ来るまで時間かかるよ」
「あぁ、能力で分かったのね。ふーん」
水海は興味なさげにつぶやき、焼きそばの消費にいそしんだ。
しばらくしてちょうど二人が食べ終わったころ、原付が庭に到着する。
白いTシャツに派手な柄のアロハシャツ、半ズボンと今にも海に行きそうな恰好の男は、ヘルメットを脱いで叫んだ。
「あっっっつ! 誰だ夏は暑いって決めたやつ!」
中から現れた綺麗な金色の短い髪が太陽できらきら光る。
「誰が決めたんでもないと思う」
どちらかというと暑い季節を夏としたのではないだろうか。
「じゃあ原付のときヘルメット被るって決めたやつ」
「それは法律を作った人だな」
そっちだったら割り出せそうだ。
日笠はサンダルを履いて庭に降り、その男に近づく。
「よく来たな、
「おう。こんな遠くに住んでんじゃねぇ」
そういうと緑川はにっと口をまげて笑った。
「帆景に連れてきてもらえばよかったじゃん」
「人は重いから嫌だって断られたんだよ! あと車で送ってくれっていろんな人に頼んだけど全員に断られた」
帆景は普段から緑川に辛辣なので、拒絶する光景が目に浮かぶようだ。それに、ここに送ってきてくれるような人が存在するとはとても思えない。そもそも緑川がここに来たことさえ驚きだった。
「あぁ……それは大変だったな。原付の免許持ってたんだ?」
「一昨日取った」
取り立てほやほやだった。むしろこのために取ってくれたのかもしれない。
「夏じゃなかったらチャリで来たんだけどな。ここ停めといていい?」
「どうぞ」
緑川は原付を庭の隅に停めると、荷台に載せていた段ボール箱から中身を取り出し、日笠に差し出してきた。
「おら、陣中見舞い」
出てきたのはスイカだった。かなり立派なサイズで、両手で抱えるのがぎりぎりなくらい大きい。
「スイカだ。ありがとう」
「オレが食いたかったからもってきただけだから。ぬるいから冷やしといてくれよ」
「あー……冷蔵庫に入るかな」
冷蔵庫自体はファミリーサイズだが、中身はぎっしり詰め込んでいるのでスイカが入る隙間があったかどうか。
考えながら緑川を招き入れる。水海は足を投げ出すように畳の上に座りながら、家の中に入ってくる緑川を見上げた。
「こんちは。誰?」
ちょっと声は不機嫌そうで、珍しい。これは警戒なのかもしれない。
「どーも、緑川です。水海だよな。お前のツラ、一度拝んでみたかったんだわ」
「緑川は何の人?」
「ああ? 予知だよ、予知能力者」
緑川が自分の頭を指さす。
水海は少しだけ眉間にしわを寄せた。
「……もしかして予知部門の中心だった?」
「そうだよ。いつもお前らの計画を邪魔してやったのはこの俺だ」
水海たちレジスタンスの計画を阻止するのに一番活躍したのが、この緑川が所属する予知部門の一派だ。
あらゆるタイプの予知能力者を総動員して活動の気配を察知し、実行した直後に対応できるよう体制を整えていた。彼らがいなかったら、とっくにレジスタンスは目的を果たしていただろう。
水海は忌々しげに眉をひそめてから笑った。
「うわー、もうほんと邪魔だったよ。こっち来てほしいくらい」
「はははっ、お褒めに預かり恐悦至極」
緑川は高らかに笑って見せる。
笑いながらも二人はばちばち睨みあっているようだった。
日笠はそれを見ながら、なんでわざわざ緑川は来たのかなと思った。喧嘩をするためにわざわざ原付で来たわけでもあるまい。さっき言ってたように、水海のツラを拝みに来たのだろうか。
常識的に考えると友達として日笠の様子を見に来てくれたのではと思うが、それなら電話でも良かっただろうに。
二人は何やら言い合いを続けていたが、ああ見えて緑川は理知的な性格なので水海に手を出すことはないだろうと、一人台所に向かい冷蔵庫を見る。案の定、中にはこのでかいスイカが入る隙間はなかった。
日笠は台所から続き間の居間に向かって叫ぶ。
「緑川ー、やっぱスイカ入んないわ。食べる分だけ切って入れるんでいい?」
「は!? ふざけんなよオレはスイカ割りしに来たんだぞ!?」
スイカ割りしに来ていた。
建前だけでも日笠を心配して来たのだと言ってほしかった。
「……割るんだったらぬるくてよくない? どうせ割る過程でぬるくなるし」
「いやマジでありえないでしょ、ぬるいスイカとか人生舐めてんの?」
水海からも罵倒が飛んでくる。文句はこの小さい冷蔵庫にいってくれ。
「この近く川とかねぇのか。ちょっと行って冷やしてくる」
「あるある。行ったことあるから私、道案内できる」
「よし行こう」
いつのまにか意気投合している。さっきまで一触即発の雰囲気だったのに一体どこへ行ったのか。
勝手に出発しようとする二人を静止する。
「ちょっと待って。俺が行かないと水海は川まで行けないだろ。どうせなら三人で行って、河原でスイカ割りしたらいいじゃん」
川はこの家からそこそこ離れているので、拘束の関係で水海は途中までしか一人で行けないのだ。
「お、それいいな。じゃあブルーシート持ってくか。あ、棒持ってこれなかったんだけどなんかある?」
「ホウキとかならあったかな。納戸探してくる!」
水海が急に元気になって立ち上がったかと思うと納戸に飛んで行った。それに緑川も続く。
急展開にあっけにとられそうになったが、喧嘩になるより仲良くスイカ割りしていた方がずっといいだろうと思いなおし気を取り直す。
日笠は麦茶を水筒に入れてコップを人数分用意し、袋に入れて持っていく。みんなでそれぞれ準備を整え近くの川に向かった。
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