第6話 七月二十一日(2)


 自転車をこぐ日笠の背中に、遠慮がちに水海の手が触れる。その感触がくすぐったくてもどかしかった。


「あ、無理して掴まなくて大丈夫だよ。俺の能力で落ちないように繋いであるから」


 拘束能力の応用だ。そうでなければ危なくて二人乗りなんて提案できない。


「そうなの? でも不安定だからちょっとつかまっててもいい?」

「いいよ」


 水海がTシャツの裾をちょん、とつまんだのが感覚で分かる。本当にちょっとだな、と笑いそうになった。

 自転車は一台しかない。二人乗りは本来違法であるが、私有地みたいなものなので大目に見てくれるだろう。


「付き合わせて悪いね」

「いいって。てか看守なんだから命令してくれていいんだよ? どうせ拘束の関係で離れられないんだし」


 水海を家に置いておくわけにはいかないのは、監視だけが理由ではない。

 日笠は能力によって水海を拘束している。目に見えない糸のようなものを二人の手首につなげているイメージだ。日笠にはぼんやりとした光の帯として視認できるが、水海からは見えないだろう。

 多少は伸び縮みするし壁も貫通するので家の中なら問題なく生活できるが、二百メートル以上は離れられない。それ以上離れようとすると突っ張って跳ね返されるのだ、水海の方が。


「あちー……日があたるとやっぱ暑いねぇ」

「暑いよね……」


 二人ともそれぞれ帽子をかぶっているが日差しのきつさがしんどい。

 ここに来るまでは山奥なので涼しいだろうと思っていた。確かに都会より気温面では大分低いのだけど夏が暑いことにかわりは無かった。特に日を遮るような建物がないので外に出るとつらい。自転車のハンドルを握る手が、じりじり焼かれているように感じた。


「漕いでもらって悪いねー。交代しようか?」

「いいよ、進まないし」

「そうだった、私、もう身体強化効かないんだったわ」


 水海はけらけら笑う。

 能力者は固有の能力のほかに身体能力にも補正を受けている。日笠は超人的な身体能力を発揮できるが、水海はもう普通の人間レベルの身体能力しか持っていない。

 そう思うと、なにか物悲しいようなよくわからない感情が沸き上がってきた。


「もっと早く漕いでもいい?」

「いいよ!」


 それを吹っ切るように、日笠は自転車が壊れない範囲で思い切り漕ぎだした。

 風を切る。服の中に風が入ってきて、少しだけさわやかな気持ちになった。道の左右にある田んぼにぼうぼうと生えた草たちがただの緑色に見えてきて、前に続くアスファルトの黒だけがくっきりと視界に浮かび上がってくる。


「ぎゃー!! 風すごっ! きもちいー!!」


 水海はジェットコースター気分で叫んでいる。

 それを聞いているとおかしくなってきて、日笠も笑いながらペダルを漕いだ。


 たどり着いたのは小さな商店だった。木造平屋建ての古ぼけた家で、横開きのガラス戸が常に開かれており、入ってすぐは駄菓子屋さんのようになっている。左奥にスーパーとかコンビニにありそうな商品棚のもっと古そうなやつが並んでいるがほとんど空っぽで、代わりに通路へ段ボールが置かれている。今ここは日笠たちの家に輸送する荷物の一時保管場所でしかないので、商店としては機能していないのだ。


 駄菓子屋スペースの奥にレジがあり、そこに帆景がいた。

 長い髪を二つに結んでいて、目のぱっちりしたかわいらしい顔立ちなのになぜかいつも一人だと不機嫌そうな顔をしている。耳にピアスを大量につけているのも見慣れた光景だ。


 レジカウンターに頬杖をつきながらスマホをいじっていた彼女は、日笠が来たのに気づくと顔を上げてにっと笑った。


「やーやー日笠、わざわざありがとねー」

「こんにちは帆景。こちらこそいつもありがとう」


 ここでの生活が成り立っているのは彼女のおかげだ。


「いやいや、給料出てんだから普通っしょ。あ、冷たいジュースでもどうよ」


 帆景は立ち上がると、小型の扉がガラスな冷蔵庫からサイダーを二本取り出す。


「貰う。ありがとう」

「おーい、『消滅』……じゃないや、水海ちゃんも炭酸飲まない?」


 帆景は外にいた水海に声を掛ける。外で路上に落ちていた石を蹴っていた水海が、戸口から中に入ってくる。


「えっ……いいの?」

「は? いいに決まってんじゃん。ほら」


 帆景がそう言うと、彼女の手元にあったサイダーのうち一本が消えた。そして水海の目の前にサイダーが一本出現する。水海は慌ててそれを受け止めた。

 帆景が彼女の能力である瞬間移動を使い、サイダーの位置を移動させたのだ。


 それは少し意外な光景だった。

 帆景は戦っているとき水海のことをものすごく嫌っていた。それは当然で、あの組織で水海のことを好きだった奴なんていなかっただろうし、今はもっと憎まれているに違いない。

 でも今、帆景は水海にも親切にしている。


「あ、ありがとう!」


 意外だったのは水海も同じだったようで、彼女は動揺したようにお礼を言った。

 そして受け取ったサイダーを開けて飲もうとすると、炭酸が噴出して中の液体が水海の顔面に直撃する。


「うわっ」


 慌てた水海はペットボトルごと床に落とした。


「あ、ごめ。飛ばしたらシェイクされちゃったー」


 飄々と言ってのける帆景を見ると、やっぱりまだ恨んでいるんじゃないかと思う。


 水海が表の水道を借りて手を洗いに行ったので、日笠たちは床の掃除をした。幸いにも商店の床はコンクリだったので、水を撒いてからブラシで水を外に掃き出すだけで終わった。

 水海が帰ってくるまでサイダーを飲んで待つことにし、椅子を持ってきてカウンターの近くに日笠も座る。


「暑いねー。田舎だから涼しいかと思ったけどさぁ、ここクーラーないから結局微妙ー」


 気温については帆景も同じ感想を抱いていたようだ。


「だよな……悪いね、帆景まで巻き込んで」

「は? 日笠のせいじゃねーじゃん」


 帆景は怒っているっぽい言い方をすることがあるけど、大抵怒っていない。だから多分今も怒ってはいないのだろう。

 しかし本当に、帆景は水海のことをどう思っているのだろう。

 彼女はこれまで、水海に対してずっと悪態をついていた。なのに今は水海にサイダーをあげたりしている。炭酸あふれさせたのが故意だった場合には完全な善意ではないかもしれないが、これまで、少なくとも表面上は普通に水海に接している。罵倒することもなく。


「え何? なんか言いたいことある感じ?」

「いや、別に」

「ぜってー嘘。日笠マジあたしには言いたいことなんでも言っていいって。なんも気にしないから!」


 こういう時ごまかすと帆景は滅茶苦茶機嫌が悪くなるので、日笠は正直に言うことにした。


「帆景、水海のこと嫌いだったのに、なんか割と……優しいなって」

「あーそこね。別にあえて優しくしてるわけじゃないよ。元々あたしが優しいだけー」


 帆景は腕を組んで誇らしげにする。


「それはそうだけど。でもあいつは敵だったわけで……戦ってる時は、当然嫌ってたじゃん?」

「えー、それは日笠も一緒じゃん!」


 言われてみればそれはそうだ。

 敵だった。以前は嫌っていた。条件は一緒だ。


「前は敵だったし、あいつがしたことは許せないけどさぁ。……今はもう脅威でもないし、そんないちいち怒ったり憎んだりすんのも疲れるっつーか?」


 帆景はサイダーを煽ってから言葉を続ける。


「それに、もうすぐいなくなってくれると思うと、少しは優しくできるよねぇ」


 満面の笑みを浮かべながら。


「……そうだな」


 しばらくして水海が戻ってきた。


「あーごめんね『消滅』……えーと、本名なんだっけ?」


 帆景が改めて冷蔵庫からサイダーを取り出して水海に差し出す。水海が近づいて行って今度は手渡しで受け取った。


「水海。水海蛍火です」

「そう、水海ちゃん。さっきまで憶えてたのになーごめんね!」

「ううん、通称の方がなじみ深いでしょ。そっちで呼んでもいいよ?」


 逮捕する前まで、軍は彼女の本名を把握していなかった。水海たちの組織内でも身元バレ対策のために能力からつけた通称を使っており、軍の方でも通称を識別名として採用していた。

 水海の通称は『消滅annihilation』。向こうの組織内での通称は大体漢字二文字で、英語に訳した方で呼んでいたらしいが日笠たちは普通に消滅しょうめつと読んでいた。覚えられないので。


「そういやまともに話すの初めて? 帆景でーすよろしくー」

「よろしく、帆景さん」


 椅子を持ってきて三人でカウンター付近に顔を寄せる。今度のサイダーは問題なく、水海はそれを飲んで「おいしい」と言った。

 それからようやく、忘れそうになっていた本題に入る。


「帆景ってなんか好きなことある? 趣味とかさ」

「あー旅行?」

「やっぱり? けっこういろんなとこ行ってたよな」


 戦況が激化するまでは割とスケジュールに余裕があったので、帆景はよく旅行してはお土産を買ってきてみんなに配ってくれていた。だから趣味といえば旅行だろうと思っていたが、それが当たって少々嬉しい。


「初めてのとこ行くのとか景色がいいとこ行くの好きなんだよねー。でもなんで?」


 帆景が当然の疑問を口にしたので、日笠は事情を説明した。

 状況を理解すると、帆景は歓喜の声をあげた。


「へぇ! 好きなこと探しかぁ、いいじゃんいいじゃん。でもあたしで参考になるかね?」

「勿論。色んな意見を集めたいから」

「そう? えーと、カラオケとかーぎゃーぎゃー騒げるのも好きかなー……でも日笠ぜってー好きじゃないよね」

「いや……うん、まぁ。楽しそうな人を見てるのは好きだけどね」

「日笠ほんとは静かな感じだもんね」

「そうだね、のんびりしてるほうが性に合ってるかな」


 友達と騒ぐのもたまには楽しいが、ずっとだと疲れてくる。特に、メンタルがしんどいときはつらい。


「ふーん……前から思ってたんだけど、日笠くんて戦ってるときもっとテンション高くなかった?」

「ぐっ」


 水海の言葉で嫌な記憶を思い出しそうになり、堪えようとしたら変な声が出てしまった。


「あはは、日笠、戦う時は頑張って熱血人格入れてたもんねー」

「がん、がんばってましたね……」


 帆景は軽く笑い飛ばすが彼にとっては笑いごとではない。


「わざとやってたの? てっきり私といるからテンション低いのかなぁと思ってた」

「いや、今のこのくらいが普通の俺」

「なんでそんなことしてたの?」


 水海は興味津々といったていで身を乗り出してくる。

 正直あまり言いたくなかったが、頑なに話さないのもガチっぽくて嫌なのでざっくり伝えることにした。


「……俺、バトル向きの性格じゃないから、なにかを演じてないとしんどかったんだよね」


 相手が怖かったり強そうだったら逃げたくなる。仲間を守れればいいなとは思うけど、自分が傷ついてまで守ろうとはあんまり思えない。仲間が傷ついたら怖気づいてしまう。

 そんな本来の自分ではとても最前線で戦えなかった。

 だから自分を偽った。


「そういうわけで、身近で強くて尊敬してる人の真似を……」

「水海ちゃんも憶えてない? こっちの最強さん」

「……あぁ、切断系能力者の。そっちの呼び方だと、『さい』さん、だっけ」


 水海は目を伏せる。水海と彼は何度も戦ったことがあるので何か思い出しているのだろう。

 日笠が組織に加入したとき、一番強くて頼られていたのが『裁』、出雲井いずもいだった。

 彼のことを思い出すと、日笠は喉に何か詰まったような気持ちになる。落ち着かなくて、それをサイダーで流し込んだ。


「日笠くんは、そこまでしてなんで戦ってたの?」


 水海から発せられたのは、日笠の核心を突く質問だった

 理由は一つ。

 彼から、最強・・を奪ってしまったから。

 まっすぐに投げかけられる彼女の視線に耐えかね、目をそらしサイダーの泡を見ながら答える。


「本当は後方支援が良かったんだけど……一番強くなっちゃったら、戦わなきゃいけないだろ?」


 強くなったからには逃げるわけにはいかなかった。

 逃げないために性格まで無理矢理変えて、嫌いな暴力を振りかざして仲間のために戦った。それが本当に仲間のためなのか、誰のためなのかもよくわからなくなりながら。


「んなことないって! あたし辞めろってめっちゃ言ったじゃん!」


 帆景はこぶしを握りながら叫んで立ち上がる。


「うん、そうなんだろうけど。でも、俺的にはね、そう思ったんだ」


 数少ない友人の帆景と緑川は辞めていいと何度も言ってくれた。やばかった精神状態を支えてくれたのは間違いなく彼女たちだ。

 制度的にも離脱することは十分可能だった。だから辞めてはいけないというのは、日笠の思い込みなのだ。それは当時もわかっていて、でも実行はできなかった。

 帆景は不満そうながらも椅子に座りなおす。


「まーすごいよ、それでやり切っちゃったんだから」

「ふーん、大変だったんだね日笠くん。……いやごめん、私のせいなんだけど」


 水海はけろっとした感じで言ったあと、ふと気づいたように申し訳なそうに斜め下を向いた。

 そうだ、と日笠はやっと気づく。戦わねばならない状況を生み出した一因は水海にもあるのだ。敵がいなければそもそも戦う必要もないのだから。そんなことを、本人に言われるまですっかり忘れていた。


「そーだぞ水海ぃ! 日笠はあたしらみたいな頭のイカれた戦闘大好き野郎とは違うんだからもっと反省しろ!」


 帆景は茶化すように水海に言う。


「すいません……戦闘大好き野郎で」


 水海はぺこっと頭を下げた。意外とノリが良い、というか良すぎる。

 彼女が本当のところどう思っているのか、その横顔からは全く読み取れなくて怖かった。


「まーもう終わったことだしどうでもいいよ。本当に良かった、終わって」


 厳密にいうとまだ彼女が死ぬまで終わってないし、水海が死ぬまで終わらないのだが、帆景は心底すっきりしたような顔で言う。


「もうこれ終わったら引退するんでしょ?」

「そうしたいねー……」


 超能力の存在が明るみになったことでどう社会が変わっていくのか分からないが、既に所属していた対異能特殊部隊は解体されている。これから新たに能力犯罪者に対応するための組織を作っているところだと話には聞いているが、出来ればそっちとは関わりたくなかった。


「あ、引退するから好きなこと探してんのか」

「それもあるよ。あぁ、そういえば、辞めたら旅行とか行こうって言ってたな」


 仕事の合間に愚痴を言いながらやりたいことを帆景たちと話していた時間は、唯一の心休まる瞬間だったのでよく憶えている。


「言ってたね。いこーよマジで。温泉とか景色いいとこ行ったりさぁ、のんびりしてーっすわ」

「いいね……たまには騒がしくしていいよ」

「そっ、そんな、あたしだってちゃんと落ち着きをもって遊べるからね!?」


 帆景の動揺の仕方が面白くて笑ってしまった。

 日笠が吹き出したのを見てか、帆景もやわらかく笑う。


「じゃあ、日笠くんも旅行好きってことでいいんじゃない?」


 いつの間にか逸れまくった話題を水海が戻してくれる。彼女は空になったペットボトルを手の中でもてあそんでいた。


「あぁ、そういえば俺、修学旅行以外で旅行って行ったことないわ」

「マジ?」


 家族旅行に行くような家ではなかった。もっと幼い頃は行っていたかもしれないけど、一切記憶には残っていない。修学旅行は楽しかったけど、趣味の旅行とはまた違う気がする。


「行ってみないと本当に好きか分かんないけど……私が生きてる間はいけないねーごめんね?」


 水海は全然申し訳なさそうじゃない感じで謝った。別に申し訳なくする義理は彼女にはないだろうしどうでもいいけれど。


「ほんとだわ! はやく旅行いきたいなー」

「なー……まぁ、あとちょっとだよ」


 こんな会話をするのもなんだか水海に申し訳なく思ってしまった。

 まるで彼女が死ぬのを心待ちにしているみたいじゃないか。

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