第4話 過去回想:六月三日

「会議で決まったんだけどね、君には水海の監視役を引き続きお願いすることになった」

「え」


 日笠がいたのは会議室だった。

 小奇麗な部屋の中央で、机を挟み男性と向かい合って座っている。日笠は真っ黒なつなぎに似た戦闘服を着ていて、男の方は装飾のごてごてついた軍服を着て正装していた。


 男は軍人で、能力犯罪者に対抗する『対異能特殊部隊』の管理担当者。日笠にとって上司にあたる存在だ。

 上司との面談自体はよくあることだった。そのいつもの光景の中に、一つだけ異様なものが混じっている。


 それは日笠の隣の席に座る少女。

 彼女はアイマスクにヘッドホンをつけている。そこまではクイズ番組のようだが、アニメでしか見たことがないようなすっぽり全身を覆う拘束着を着ていた。小柄な少女に対する仕打ちとして可哀そうではと思いそうになるが、口枷をつけていないのが温情であるというのが実情だ。


 身じろぎ一つしないのが逆に恐怖感を煽ってくる。

 拘束されている少女の名前は、水海蛍火。

 名前は三日前に初めて知ったが、日笠は彼女のことを以前から良く知っていた。

 日笠は水海の方にちらっと視線をやってから、上司に質問する。


「えっと……それって、こないだ言ってた、今みたいに俺がずっと一日中監視し続けるって案のままってことですか?」

「そう」


 上司は感情が読み取れない表情でうなづく。何も考えてないのかもしれない、というのはさすがに穿ちすぎか。


「あの、俺が言ったこと報告してもらえましたか……。こいつ――――水海でしたっけ、この人にはもうなんの能力もないですよ。別に、普通の人として拘束してたらそれで十分だと思うんです」


 能力者と呼ばれる、超常能力を持つ人間が発見されたのは今から十年ほど前だという。

 しかし一般にはこれまでその存在は知られていなかった。希少さと危険性から、国家は存在を把握した上で秘匿していたのだ。


 国は秘密裡に能力者を管理していたが、当然反抗者も出る。特に問題なのは能力を使って犯罪を計画する者達だった。最初は軍の保有する戦力だけで対処していたが、中には現代兵器では対応しきれない能力者もいた。そこで軍は、協力的な能力者を集めて組織を形成し、その構成員でもって治安維持を行うことにしたのだ。

 その組織が、日笠も所属している対異能特殊部隊である。


 当初順調に活動は進んだが、バラバラに活動していた者たちが徐々に徒党を組みだしてから争いは激化していく。能力犯罪者チームの鎮圧を進める中で、最大の敵は反抗組織、自称『レジスト』だった。


 レジストとの戦いは軍側が勝利を収めて一件落着――――といけば良かったのだが、戦闘中のある出来事により能力者の存在が広く一般に知れ渡ることになってしまったのだ。


 その原因となったのが、この水海蛍火みずうみけいかだった。

 彼女はレジストの中心人物の一人で、最終戦にも参加していた。それまで厳しい情報統制で隠し通してきた能力者の存在は、そんな彼女が終盤に起こした行動によって世界中に知らしめられたのだった。


 アイマスクにヘッドホン、拘束服と厳重に拘束されているにも関わらず留置所にも送られず会議室なんかに放置されているのは、その危険性から留置所への収容を拒否されたからだ。もう能力は使えないにも関わらず。


 彼女は最終戦の終盤で、ある目的を果たすために無理な能力の使い方をした。その影響なのか能力が崩壊してしまっている。能力を封じる力がある日笠にはそれが良く分かった。

 日笠の感覚では通常、能力は一つのかたまりで臓器のように存在しているイメージである。しかし彼女のそれはもうバラバラの破片のようになっていた。

 もう水海に危険性はない。


「したよ。それに他の能力者にも確認してもらった。彼女にはもう能力は使えない」

「それならどうしてですか……? 別に監視役を引き受けたくないわけじゃないんですけど、ただ毎日一緒にいるのはちょっと……時々交代するくらいだったら全然、しますし」


 もちろんこんな状態になった能力者を見たことがないので今後再生する可能性もあるが、それは定期的に他の能力者に診察してもらえばいい。なにも日笠が四六時中観察している必要はないのだ。


「うん、そうなんだけどね、能力がないと判定されても部隊外の連中は信じてくれなくてね。万が一の時に備えて、彼女に比肩する能力者である日笠君の常時待機が最低条件だとされた」


 抗争中、水海に対抗できるのは日笠くらいだった。他にも高位の能力者はいるがみんな水海とは相性が悪い。

 それでも、もう一回やって必ず勝てるかと言われればかなり怪しい。


「……比肩するっていうか、彼女最後自爆したから勝てたようなもので……俺でも、あいつを抑えられるかは分かんないですよ……てか多分無理です」


 水海に勝った英雄だとか軍内部では言われているらしいが事実とはかなり異なる。

 彼女自身が、過ぎた願いを叶えようとして失敗しただけ。それで彼女が能力をほぼ使えなくなったので、運よく拘束できたのだ。


「拘束能力も、水海の能力が戻ったら効かないですし、俺がいる意味ないです」


 事実、これまで戦闘中に水海へ能力の封印を試したら確実に防御されていた。彼女が能力を使えなくなった後だからこそ出来たことだ。

 彼女の能力が再生したら、日笠がいようとどうにもならない。


「それでもみんな、最善策をとれと言ってくる。我々の最善が君なんだよ」


 彼の言う「みんな」の中に自分は入っていないのだ、と思うと虚しくなってくる。


「それは……分かりますけど」


 気持ちは分かる。あんなことをしでかした奴を何の対策も打たずに放置しておくことはできない、と誰もが思うだろう。だが、分かることと受け入れられることは違う。


「でもじゃあ、俺、こいつとずっと一緒にいなきゃいけないんですか」


 日笠は水海に忌々しく睨む。

 最終戦さえ終われば全てから開放されると思っていた。でも思いがけないタスクが頭上から降ってきてしまった。定時間際に仕事を追加されて残業確定する社会人の気持ちとはこんなものなのだろうか。

 上司は椅子から身を乗り出すようにして、熱を込めて訴えかけてくる。


「ずっと頑張ってきてくれた君にこんなことを頼むのは本当に申し訳ないと思っている。でも、万が一のとき抑え込めるのは君だけなんだ。……彼女がどれだけ恐ろしいか、目の前で見た君が一番知っているだろう」


 それを言われると弱かった。

 日笠は彼女がしでかした所業を、一番近くで見た。もし彼女の能力が復活したらと思うとぞっとする。だから、万全な体制を整えたいというむこうの気持ちは嫌というほどわかった。


「こちらにできるサポートはなんでもするから、頼むよ」


 言い方で分かる。これは断る選択肢がない奴だ。そして日笠からしても、はっきりと突っぱねられない理由があった。水海を止められなかった、という罪悪感が喉につっかえている。誰もが

「君のせいではない」

と口では言ってくれているが、止められるなら止めて欲しかったに決まっているのだ。

 あの時阻止できていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。

 だったらそれの埋め合わせをしなければならない、と思ってしまう。


「……三か月ですよね」


 上司はうなずく。


「そうだ。水海が呪い死ぬと言われている三か月後まで、見張っていてほしい」


 水海は最終戦で呪われた。それは彼女の仲間で、呪いに似た効力を発揮する能力の持ち主によるものだった。

 仲間割れというか、水海が先に裏切ったことに対する報復だ。なのでほぼ自業自得である。術者の命をかけた呪いは強力で、誰にも解くことができないと言われている。

 タイムリミットがあるのはありがたい。だけど、三か月は長すぎる。水海の死亡予定日時は確か八月末日だったはずなので、ひと夏を棒に振ることになる。

 やっと戦いから解放されて自由に暮らせるはずだったのに。


「頼む、君にしかできないことなんだ」


 その言葉は、日笠にとって呪いのようだった。

 何故自分にしかできなかったら、やらなきゃいけないのだろう。


「……わかりました」


 それでもやるというまで誰も引き下がってくれない。何故なら自分にしかできないからだ。

 了承は、終わりなき交渉を終わらせるための唯一の手段だった。 

 これまでもずっとそんな風にして、自分が嫌なことを引き受けてその場をしのいできた。

 一体いつまでこんなことを続ければいいのだろう。

 上司がぱっと顔を明るくして握手を求めてきたので、曖昧に応じる。


「ありがとう、日笠君。生活面で要望があったら何でも言ってくれ。食べたいものとか欲しいものとか。出来る限り用意するから」


 お礼の言葉はむなしく響いた。向こうは心をこめていてくれていても、こちらに届くまでに意味が抜け落ちているので空っぽだ。地面に落ちたそれらを踏みつけたい気持ちになった。

 上司は語彙の限りをつくした謝辞を述べると部屋を出ていき、水海と二人で部屋に残される。

 日笠は再度彼女を見た。

 多分起きているが、どんな感情でいるのかよくわからない。ヘッドホンでこちらの声も聞こえていないはずだ。


 こうして、この少女と三か月間共に過ごすことが決定した。

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