第6話 死神と切なる願い

 間違いない。この水には、ごく少量だが俺が作ったものと同じ毒薬が含まれている。

 俺の場合はミリア専用にかなり濃度の高いものを使っていたが、一般人をじわじわと弱らせて殺す——さながら病のように人を殺すには、この程度の濃度で十分だ。

 だがそれよりも重要なことは、これが毒であるということだ。自然物じゃない、あくまで人工物——それはこの毒をヴェールダムの水にばら撒いた誰かがいるということを意味している。

「厄介なことに足を突っ込んでしまったかもな」

 宿に戻ってから、俺は自分にしか聞こえない大きさでそう呟いた。

 いや、正確に言えば知らないふりをして帝都にとんぼ返りすることもできないわけじゃない。

 だが、俺をこの街からタダで帰らせてくれない存在がすぐそばにあるのだ。

「浮かない顔だな、ミリア」

「えっ、いえ……」

 そう、あれから宿に戻るまでミリアの表情はずっと曇りきっていた。

 誰かの悪意によって、この街では人死が起きている。その事実を前にして、笑えとは言わないがそんな表情をされても困る。

 俺だって暗殺者だ。同じ殺しである以上、ミリアに責められているように感じてしまう。

 いや、事実彼女は俺のことを責めているはずだ。ミリアなら、いたずらに誰かの命を奪う人間を肯定したりしない。

 きっとそれは、ミリアが1番多くの死を見てきたからだろう。俺より、ずっと多くの死を。

 どこかそわそわした様子のミリアに、俺は思い切って声をかけた。

「街の様子が気になるのか?」

「あっ、えっと……まあ、その。知ってしまった以上、やっぱり気になっちゃいます。やめさせなくちゃいけないって思います」

 ミリアは俺に気を使っているのか、どこか濁したような返事をした。

「もし、それが可能だとしたら?」

「え、それって——」

「——俺に、その依頼を引き受けさせてくれるか?」

 ミリアは、静かに首を縦に振った。


 夜が更けてから、俺は黒いローブに手を通した。コイツを着るのも少し久しぶりな気がするな。

 それから魔鎌を手に取り、黒い霧となって街の中を駆け抜けていく。

 街に毒をばら撒いた犯人については、既にある程度絞り込めている。

 というのも、この街は近くの大河から水を引き入れていて、その管理は祝音教が行っている。

 街中の水に毒を撒けるのはあそこだけだ。つまり、犯人は教会の人間でほぼ間違いない。

「さあ、仕事の時間だ」


 教会の中は暗く静まり返っていて、か弱い月明かりだけが冷たく室内を照らしていた。

 全員寝ていると見て問題ないだろう。仕事がしやすくて助かるな。

 音を殺しつつ、一部屋ずつ荷物をひっくり返していく。

 街中に影響を及ぼすような毒を撒くのだ。この教会にはとびきり濃度の高い原液があるはずだ。

 端から一部屋ずつ捜索して2階の突き当たりの部屋に入った時、微かに他の部屋とは違う臭いを感じた。

 ——ここだ。

 臭いを頼りにして鍵付きの収納を開ける。

「ゔぉえっ」

 扉を開けた瞬間、強烈な臭いが鼻を通り抜けて、吐き気が襲いかかってきた。

 これは、強烈すぎるな。

 収納の中には3割ほど液体の入った瓶が禍々しく鎮座していた。

「処分しきれていなかったのか」

 明らかに見覚えのあるそれは、俺が以前作ったものと全く同じだった。

 こういう物の取り扱いに慣れている人間に処分を依頼したのだが、どうやら横流しにされたらしい。

 中の液体がこぼれないように厳重に栓をして瓶を回収しようとすると、突然後ろから怒鳴り声を浴びせられた。

「誰だ!」

 教会内の人間は全員寝ているはずだったのだが起きてしまったか。

 まあ、この強烈な臭いを振り撒いてしまったのだから当然と言えば当然だ。

「この醜いコソ泥が。ここで何をしている」

「コソ泥とは心外だな。先に人の物を使ったのはそっちだろう?」

「貴様っ」

 振り返りながら、手にしていた瓶を見せびらかすと相手の男は忌々しそうな声をあげた。

 その様子は明らかにこの瓶が何か知っているようだ。つまり、犯人が自ら出てきてくれたわけか。

 そこまで考えを巡らせた時点で、俺は男の背後まで回り込んで首筋に魔鎌の刃を当てた。

「コイツをばら撒いたのはお前か?」

「なっ、いつの間に」

「答えろ。質問をしているのは俺で、お前じゃない」

「……ああ、そうだ。それを水に混ぜたのは俺だ」

「他に協力者は?」

「いっ、いない。俺1人だ」

「本当か?」

 魔鎌をグッと近づけて男を脅す。

「ほっ、本当だ。本当に俺1人だ!」

「そうか。何故こんなことをした? 無差別殺人など、君らが言うところの神が許すとは思えんが?」

「五月蝿いっ! 貴様ごときが神を語ることこそ許されないのだ。そもそも神は祝福を持つ者のみを人として認めるはずだ、聖書にもそう記されている! 私は何も持たぬ家畜同然の人間と、穢れた呪い持ちを浄化して」

 男がそこまで話した時点で、俺はそいつの首を刈り取っていた。

 こいつが何を考えていようと本来なら興味はないが、今は無性に腹立たしい。

「……穢れてなどいない」

 誰に聞かせるわけでもなく、自然と言葉が溢れた。

 帰ろう。

 早く依頼完了の報告をミリアにしなければ。

 

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