第3話 少女と死なない呪い

「あっ、死神さん!」

 まるで知り合いかのように親しげに声をかけてきた彼女は、俺に仕事を持ち込んできた依頼主その人だった。

 慣れた手つきで部屋の明かりをつける彼女を横目に、俺は今たまに状況を飲み込めないままでいた。

「……お前、依頼主か? 何故ここにいる」

「なぜって、ここは私の家ですし?」

「お前は俺にここの住人を殺すよう依頼した。そうだな?」

「はい、そうですが?」

「ここはお前の自宅なのか?」

「だからそう言ったじゃないですか」

「他に同居人は?」

「いないですけど」

「つまりどういうことだ? 何故わざわざ俺を自宅に呼び寄せた。俺に誰を殺して欲しいんだ?」

 そう尋ねると、彼女はおもむろに両手を広げて立ち

「死神さんに殺して欲しいのは——私ですよ」

 そう言ってにこやかに笑って見せた。

「……つまり俺はお前自身の依頼でお前を殺せばいいのか」

「そう、その通りです。あっ、あと『お前』って言うのやめてください。感じ悪いですよ、そういうの。私にはちゃんとミリアって名前があるんですから」

「あぁ、気をつけよう」

 暗殺者に感じのいいも悪いもないと思うのだが。

「それより早く殺してください。いつまで両手広げてるの疲れるんです」

 そう言って彼女——ミリアは広げたままの両手をブンブンと振って催促してきた。

 調子の狂う奴だな。

「わかった。それじゃあ行くぞミ、ミリア」

 言い慣れない名前を呼びながら、俺は魔鎌を構えた。

「さあ、いつでも来てください」

「ハァッ!」

 構えた魔鎌は弧を描くような軌道でミリアの細い首筋を狙う。刃はそのまま彼女の柔肌を喰い破りその身体を袈裟斬りに——しなかった。

「「あっ」」

 鎌が彼女の肌に触れた途端にキンッという甲高い音が室内に響き、それに呼応するように俺とミリアの声がハモった。

 状況が突飛すぎてすっかり忘れていたが、俺の攻撃は全てミリアに傷ひとつつけることができないでいたのだ。

「はあ、やっぱり死神さんでもダメでしたか。もしかしたらと思ったんですけどね」

 ミリアは諦めたようにそう呟いて広げていた両手を下ろす。

 彼女の反応はまるでこうなることに予測がついていたかのようだ。

「どっ、どういうことだ。俺の斬撃を受けて傷一つないだと? ミリア、さては何か隠しているな。そうだ、そうに違いない」

「いや、まあ隠しているというか何というか」

「なんだ、言ってみろ!」

「——私、死なない呪いをかけられているんです」

 

 この世界には『呪い』と『祝福』が存在する。

 どちらも特定の人智を超越した現象を引き起こし得るものだが、神から授かった場合を祝福、悪魔から授かった場合を呪いと呼ぶ。

 選ばれた人間しか授かることはできず、仮に手にすることができたならば人生を約束されるとまで言われる代物だ。

 世の中には祝福を授かるために神に祈りを捧げる宗教もあるというが

「まさか実在したとはな、呪い持ちが」

 ミリアの右手の甲の紋章を見ながら、俺は驚きの声を漏らした。

 祝福や呪いを持つ人間は、当然のことながら限りなく少ない。ましてや死なない呪いだなんて。

「へへん。すごいでしょう」

 ミリアは慎ましやかな胸を目一杯張って得意げな顔をした。

「あぁ。だがなぜ俺に殺してもらおうなどと考えたんだ?」

 生きとし生けるものならば避けることのできない根源的な恐怖。命の終焉。

 この世界でただ1人その死から逃れることができる存在が自らを殺してほしいなど、俺には到底理解の及ばない考えだ。

 ミリアは俺の問いかけに答える代わりに真面目な声で問いかけてきた。

「……その、私って何歳ぐらいに見えますか?」

 唐突な質問で一瞬動揺する。

 何歳に見えるか、か。

 改めて彼女の容姿を詳しく見てみる。目鼻立ちは整っているし、セミロングの髪も良く手入れされている。背丈は周りの女性と比べても若干低く胸は慎ましい。

「……16かそこらか?」

 俺は容姿からミリアの年齢を推測する。確信はないがそう外れてもいないはずだ。

 俺の回答を聞いたミリアはそれが心底おかしいかのような声色で

「ざっとその10倍です」

 と、言い切った。

「10倍? 10倍って言ったらひゃくろ——」

「あわわわ、それ以上言っちゃいけません。乙女の権利侵害です」

 ミリアに止められてしまったが、つまり彼女は人間の身でありながら160年程度生きているってことか。

「死なない呪い、か」

「そうです。お陰で老いることも傷を負うこともできないんですよ、私の体は」

 ミリアは自分の体に視線を落としながら恨めしそうにそう呟いた。

 そのまま彼女は言葉を続ける。

「私は、もう変わることができないんです。呪いを受けてからずっと。親が死んで、兄弟が死んで、親戚も友人もみんないなくなって。街並みさえずっとおんなじではいてくれない。私だけ、私だけが変わらないんです。だから」

「だから、俺に殺してほしいと?」

「そうです。帝都最強って噂の死神さんなら、もしかしてって思って。幸い、長い人生で貯金だけはありましたから」

 ミリアはそう言って力なく笑って見せた。

「でも、死神さんでも私は殺せませんでした。しょうがないです。悪魔の呪いですもん」

 彼女は自分自身に言い聞かせるように言葉を連ねて

「今日はありがとうございました。私のために。変な苦労をかけてごめんなさい。前払いの報酬はそのまま持って行ってもらって結構ですから、どうぞお元気で。死神さん」

 そう、俺に別れを告げてきた。

 本来なら、依頼主からもういいと言われたのだから、大人しく帰るべきなのだろう。だが、俺はなぜだかそういう風に思えなかった。

 多分これは暗殺者としての、死神としての意地だと思う。

 報酬とかそんなこと関係なく、今の俺はただ無性に彼女を殺してやりたくて仕方がない。

「——俺が殺す」

「へ?」

 その場を立ち去ろうとしていたミリアが振り返る。

「俺がミリアを、必ず、殺してやる」

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