第2話 暗殺者と少女

 翌日の昼下がり、俺は依頼主に渡された地図をもとに、ターゲットの下宿先がある区画まで来ていた。

 破格の報酬を積まれた依頼だっただけに今回は念入りに下見をしておく。身分を隠しているだけで他国の要人である可能性は十分にあるからな。

「おっちゃん、この串焼き一本もらうよ」

「まいど、銅貨2枚な」

 俺は露店で何の肉かわからない串焼きを買いながら街の雰囲気を確かめていた。

 要人や貴族が身分を隠して街中にいるというのは珍しい話ではないが、そういう場合は護衛なんかも一緒に動くため必ず街が騒がしくなる。それを確かめるためにこうして下見をしているわけだが

「いたって普通か」

 となるとやはり個人的な怨嗟による依頼だろうか。だとしたら大金貨100枚は馬鹿げていないか。

 俺は大方、依頼主は世間知らずの貴族の娘だったのだろうと結論づけてターゲットの下宿先の建物に向かった。

 

「ここか」

 やはり建物も変な部分はなく、特殊な人物が住み着いている雰囲気もない。ターゲットが他国の要人というのはやはり俺の思い過ごしか。

 下見はもう十分だろう。戻って魔鎌の手入れをして、今夜あたり仕事に入ろう。そう思って街を離れようとすると、近くの露店から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「おう、今日はいつになく羽振りがいいな。誰か客人でも来るのかい?」

「えへへ、わかりますか? そうなんです、実は近々」

「やっぱりな、そんなご機嫌な姿なかなか見かけねえもんな」

「わかりますか〜やっぱり」

 露店の男と会話する女の声に覚えがあって、女の方を見やった。

 やはりだ。あの女が依頼主で間違いない。前会った時と同じローブを目深に被っていて、愉快そうに露店商と話に花を咲かせている。

「いいことがあったみたいで羨ましいよ。はいこれ、ちょいとおまけしてあるから大事に食いなよ」

「わぁ、ありがとうございます」

 『いいこと』というのは十中八九、俺がターゲットを殺すことを指しているのだろう。

 仕事の依頼に来た人間で、ああも清々しい態度でターゲットが死ぬのを心待ちにしている人間は珍しい。大抵、大なり小なり情緒が不安定になるものだが。

 余程肝の太い女なのだろうと思いつつ、俺はその場を後にした。


 夜が更けて人々が寝静まった頃、俺は仕事着の黒いローブに身を包んだ。

 それから夜空より深い色をした大型の鎌——魔鎌を背負って、自分自身に隠密の魔法を付与する。

「『隠密ハイド』」

 更に気配を消し、音を殺して家屋の屋根まで登る。そのまま屋根伝いにターゲットの下宿先まで疾走する。

 今夜は月が出ていない。仕事がやりやすい。

 目的地の近くまで来て、護衛なんかがいないか細心の注意を払いながらその下宿先の建物の屋根上に片膝をついて座る。

 ターゲットの部屋は2階の最奥だ。丁度その真上にあたる位置まで移動して、ターゲットが部屋の中にいるか魔法で確認する。

「『調査サーチ』」

 かざした右手がピリッと痺れるのを感じて、ターゲットが中にいることを確認する。

 ——ここからが死神の、帝都最強の暗殺術だ。

 魔鎌を起動し、身体を黒い霧へと変質させて窓から室内へと滑り込む。

 ありとあらゆる場所に霧となって忍び込み、音も立たず目標を殺す。このやり方で王弟を殺したあたりからだろうか、俺が本格的に死神と呼ばれ始めたのは。

 部屋の中に入り、寝台のすぐそばまで移動して俺自身の身体を再構成する。

 暗がりで顔まではっきりとは確認出来ないが、寝台の上に確かに寝ている人の姿があるのがわかる。

 こいつを殺すのが、今回の仕事だな。

 背負っていた魔鎌を構えて、寝台に横になっている人影の首筋にそっと刃を添える。

 わざわざ魔鎌を使わなくとも、魔法や毒でも殺すこと自体は容易いが、俺は必ず鎌を用いて殺すことにしている。

 言うなれば仕事の流儀というやつだ。『死には敬意を、殺しには礼儀を』俺の育ての親——師匠が口を酸っぱくして言ってた台詞だ。

 そして、それは死に1番近い俺だからこそ忘れてはならないことだ。

 寝台の人影が俺に気づく様子はまるでない。深く眠っている。魔鎌を握る手に力を込め、思い切り手前に引く——つもりだった。

「——え?」

 鎌は、。俺がどれほどの力を込めようと、まるで刃が立たなかった。

 どういうことだ? 魔鎌で切ることができないなんて。『切れないものなどあんまりない』って自信満々に言ってたじゃねぇか師匠!

 しょうがない。流儀に反するがここは魔法で仕留めるか。ゆっくりと手の平に魔力を練り上げ、人影の方に向ける。

「『地獄インフェルノ』」

 寝台を中心にして、炎の渦が唸りを上げる。対象物を概念的に焼き尽くす地獄の炎。これで確実に、跡形も残さず死んだはずだ。

 流儀に反したことを心の中で師匠に詫びていると、炎の中から声が聞こえてきた。

「ふぇえっ? あっ、あつ! 熱い、熱いですぅ〜!」

 間抜けな、そしてどこか聞き覚えのある声の主は慌てて炎の渦の中から飛び出してきた。

 炎によって室内が明るくなったことでターゲットがよく見えるようになったが、やはりというべきか、その姿には火傷の一つすら見つからなかった。

 そしてそのターゲットだった女性は、動揺を隠しきれない俺の姿を瞳にとらえて、

「あっ! 死神さん!」

 と、まるで知り合いかのように親しげに声をかけてきた。

 いや、正確には確かに俺とこいつには面識がある。少女のような背丈にあどけなさの残る鈴のような声音。

 そこにいたのは、まさにこの仕事を俺に寄越してきた依頼主だった。

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