死神と死なない少女
座敷アラジン
第1話 暗殺者と依頼
「いたぞ! あいつが旦那様を殺した侵入者だ、追え!」
チッ、もう見つかったのか。案外気づくのがはやい。
満月が高く登った空の下、俺はグランカール伯爵邸の敷地内を疾走していた。姿勢を低くして、地を這うように屋敷の外に向かって走る。
「——『
自分自身に速度上昇の魔法を付与し、一気に加速して追いかけてくる騎士を振り払う。
目前に
大人の身長を優に超える高さのある塀だが、足に力を込めて飛び上がる。そのまま塀の上部を片手で掴んで乗り越える。
「——っと。後は街中に紛れれば」
「そうはいかんぞ、暗殺者め」
俺が着地した塀の外側には、既に多くの兵士が待機していた。なるほど。俺はまんまと嵌められたわけか。
「闇家に紛れる黒いローブに、命を刈り取るという大型の
「如何にも。俺が帝都最強の暗殺者——死神だよ」
「よくも旦那様をっ!」
「悪いが仕事でね」
言葉を交わしながら魔鎌を構える。戦闘は避けられないだろうな。
「兵士ども! 奴を捕えろ、殺してかまわん!」
甲冑に身を包んだ兵士が、手にしたロングソードで切り掛かってくる。
「短気な奴らだ」
魔鎌を発動する。魔鎌が一瞬、自身の周囲に黒い稲妻を放った。この瞬間、俺は『死神』になる。
「デヤァ! なっ、いない⁈」
ロングソードが俺に到達した瞬間、俺の体は黒い霧となり、兵士たちの背後まで高速で移動する。そして再び俺の姿を構築した。
ここなら兵士達を確認できるな。兵士たちの数は——指揮官風の男を含めて13人か。
「なっ、貴様いつの間に」
「はぁ。殺しは仕事でしかやらないんだがな」
「こんのぉ!」
兵士たちがもう一度切り掛かってくる。
だが、その刃が俺に触れることはない。兵士たちの攻撃を掻い潜りながら、1人ずつ首筋に手刀を喰らわせて気絶させる。
1人、また1人と地面に伏す兵士の数が増えていく。
11、12、——後はあの指揮官だけだな。
「ひいっ。なん、何なんだお前は!」
「暗殺者だよ。最強のな」
言いながら、首筋に手刀を打ち込む。
指揮官が気絶して、俺の方に倒れ込んできたので地面に寝かせてやる。
「安心しろ。
それだけ言い残して、俺は街中へと姿を消した。
——アガトラム帝国、初代皇帝が大魔法を用いて魔獣ひしめく土地を開墾したという伝説が残る、大陸屈指の国家である。
その帝都ともなれば規模と人口は凄まじく、魔法の光によって永遠に灯りの絶えない街は、不夜の都と呼ばれる程だ。
だが、それは決して治安がいいことを意味しない。むしろ一度見失えば2度と同じ人物とは会えないこの帝都は、そこらの田舎町と比べれば治安は悪い方と言える。
そんな闇の潜む街で、俺は暗殺家業を営んでいた。商人の娘から王族まで、あらゆる人物を手にかける、まさしく死神だ。
——カランカランッ。重い扉が押し開けられて、ドアベルの音が酒屋の中に響く。誰かが酒場に入ってきた合図だ。
「いらっしゃい」
店の親父がそっけない挨拶を投げかける。
ここは俺がいつも依頼を受ける酒場だ。帝都の外れの方にある酒場で、店内が妙に薄暗い。
ここを拠点にしているのは目立たないから——という訳ではなく、単に料理がうまいからだ。特に肉料理は焼き加減が絶妙だ。まあ、今は関係ないか。
死神への依頼は店員にステーキと白ワインを頼むのが合図だ。その際、『新鮮なステーキ』とわざわざ言わなければならない。それで、店の裏に死神、つまり俺が現れるわけだ。
先ほど入ってきた客に注意し、耳をすませる。注文を聞き逃したら依頼は受けられないからな。
「……新鮮なステーキと…白ワイン」
「はいよ」
来た、依頼だ。鈴の音のような澄んだ声音だった。多分女だろう。
ちびちびと酒を舐めながら依頼をしてきた人物を見る。灰色のローブを目深に被っていて、あれじゃ顔までは見えないな。
そいつは不味そうに肉とワインをたいらげて早々に店を出た。
焼いただけの肉に白ワインを合わせるんだから当然と言えば当然だが、すまん。俺のお気に入りの店に客が増えては困るんだ。仕事に使えなくなる。
灰色のローブ姿が外に出ていくのを確認してから、俺も続けて店を出る。
そのまま適当な場所まで歩いて仕事着の黒いローブを身に纏って酒場の裏に戻ると、案の定そこに依頼主がいた。
「仕事か?」
「えっ」
声をかけられるまでそいつは俺に気が付かなかったようで、間抜けな声をだした。だが、すぐに気を取り直したようで
「そ、そうです。お仕事です」
「そうか。誰を殺せばいい?」
言いながら、俺はそいつの側まで近づいた。
近くに寄ると、そいつは思ったより幾分か背も低くて、声と合わせても間違いなく女だとわかった。
「え…えと、ここで下宿してる人を、殺してください」
そう言って、女は俺に地図を渡してきた。
地図は商人、それも下働きなんかが住んでる区画のもので、決してそれなりの身分を持つ人が住むような場所ではなかった。
貴族や商人の派閥争いじゃなさそうだな。ということは、男絡みか。
「金は?」
まあ、こういう仕事はあんま金にならないんだが——
「…大金貨100枚、でどうでしょう」
「はぁ?!」
大金貨100枚だと? 平民が生涯稼ぐ金が大金貨3枚だぞ?
「…足りないでしょうか」
「いや、十分だ。というかこういう仕事の相場は大体、大金貨20枚やそこらとかだぞ」
「そうなんですか、あんまり詳しくなくて…でも、やっぱり100枚で! 難しい仕事だと思うので」
コイツ、何者なんだよ。俺はこれから一体誰を殺すんだよ。いや、俺は王族すら殺した最強の暗殺者、死神だ。
「あ、あぁ。ならそれでいい。…それで、依頼金の半分は前払いなんだが」
「あっはい。どうぞ」
そう言って依頼主は俺の方に布袋を渡してきた。ずいぶんと気軽に。
「——『
魔法で、袋の中身を確認する。
間違いない、確かに大金貨50枚入っている。コイツ、本当に何者なんだ。他国の王女様とかじゃないだろうな。
「か、確認した。仕事を引き受けよう。一週間以内に殺す」
「やったあ! それじゃお願いしますね、死神さん」
依頼主は、まるで誕生日を迎えた子供のようにはしゃいで、スキップでもしそうな心地で夜の街に消えていった。
本当に何なんだ、あれは。
それは、俺が初めて『仕事』に失敗する、そのほんの少し前の出来事だった。
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