Day10 日常へ
視界を覆う白い光がすっと溶けてゆく。
ニールはひとり、森の入り口に立っていた。傍らにはツタの絡まる古びた一枚の看板。雨風にさらされたせいで文字は読みづらいが、彼はそこに何が記されているかを知っていた。
この先は私有地につき立ち入り禁止――彼が今住む村、ミスルトーへの入り口を示すものだ。
魔女の村ミスルトー。
村長のアラキナが各所からかき集めた、生きづらさを抱えた、あるいは居場所のないエルフの――言うなれば「はみ出し者」の村だ。ここで暮らす者は皆、それぞれになんらかの影を背負っている。
ニールのように浮いた魔力を持っていても、リタのように居場所がなくとも、異端者だと扱われることはない。帰る家のない者や、混血の者もいる。
伝統や規律を重んじる本国では受け入れられないものを受け止めるだけの器がある。そんな場所だった。
事件の日以降、生まれ故郷の村に戻ったことは一度もない。戻る気もなかった。
ニールは看板を一瞥し、ため息をついた。
「こんなに古くなってたのか」
看板の根元には落ち着いた色の苔や、黄色や赤の色鮮やかなキノコが生えている。看板に絡むツタが文字を覆い隠すのも時間の問題だろう。
文字が見えなければ看板としての意味はない。妙な色のキノコは人間を避ける程度の意味はありそうだが……。
どちらにしても、村の誰かに相談した方がいいだろうか。
話が通りやすそうな人物の顔を次々と思い浮かべる中、脳内に神子の声がふっと浮かんでくる。
――あの日から、およそ二年が経っています。
二年。
体感としては十日と少しのことだが、どうやら現実はずいぶんと異なるらしい。
自分がいなくなる前とどう変わった?
治安は?
今も安全だと言えるのか?
今になって不安がよぎる。
自分がいない間も、リタは以前と変わらずに暮らしているだろうか。
彼女にとって、今でもここは安心して過ごせる場所であるだろうか。
村長があのアラキナである以上、ひどい事態には陥っていないだろうが……。
自分の魔力がすべて抜け、ついに死ぬと思ったあの日――リタを守る役目は終わったのだと思っていた。しかし自分はこうして生きている。
ニールは森の先の先、木々の緑の闇を見据えた。
湿気を多く含んだぬるい風が、背後から森へ抜けてゆく。
木の葉の揺れる音を耳にしながら、彼は一歩踏み出す。
――生きているのなら、まだ成せることがある。
乾いた土を踏みしめ、ニールは二年ぶりの故郷へと向かった。
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