Day?? 最後の日

 真っ白な視界の中、ニールの脳裏にある日の情景が浮かび上がる。


 かつての村を出、人間の国に住居を移してしばらく経った時の――自分が倒れた日の記憶だった。



 その日は青空の青が濃い、澄み切った一日だった。


 空を覆う雲の姿はどこにもなく、太陽の光がまっすぐに地上に降り注ぐ。秋口にもかかわらず、汗ばむほどの暖かさだった。


 そんな中、魔女の村では二人のエルフが広場へ向かっていた。それぞれ大きなかごを背負っている。そこには、村特有の真っ青なリンゴが山盛りだった。


「ほんとにいっぱい採れたねー」


 リタは歩きながらかごを背負い直し、ふうっと息を吐いた。


「保存も利くし、しばらくは困らないかな?」

「そうだな。十分だろ」


 他愛もない会話をしながら、二人は道を行く。


 ニールが道の先を見据えるのに対して、リタの視線はあちこちへと動いた。

 青の濃い空、薄い色の秋の葉、灰色の木の枝、木漏れ日の落ちる土の道。


 その視線が隣へ、そして彼の背負っているかごへと向いた。かごの八割ほどを満たすリンゴが、中でごろりと転がる。


「ニール。りんご、大変じゃない?」

「ああ。お前が重い方持ってくれたからな」


 普段であればリタの負担を減らそうと、彼の方が進んで重いかごを背負う。しかし今日は珍しく、ニールはリタに重い方を持つよう頼んだ。


 ここしばらく、ニールの体調は芳しくない。いつも部屋で寝てばかりで、外に出ることも稀になった。こうしてリタの前に現れたのも三日ぶりである。


 リタにとって、久しぶりにニールと共に過ごせる時間が嬉しかった。体調は気がかりではあるが、安静にしていればきっとよくなる。そう信じていた。


「……リタ。お前、『いいやつ』は見つかったのか?」

「へっ?!」


 突然の問いかけに、リタは素っ頓狂な声を漏らす。


 ニールへの困惑と不安が、一気に浮ついた感情へと書き換えられた。思わずニールの顔をまじまじと見つめるだが、彼はいたって冷静な表情だ。からかっているわけでない。


 つまり、あれだ。いつもの。


「ま、まだそれ聞くの? その、親戚のオバサンみたいなやつ」


 リタは背の下の方で手を組みながら、気を紛らわすようにあちらこちらを見る。


「必要だろ、お前には」


 当たり前のように――心からそう思うニールはそれだけ言い、重い足をなんとか動かした。


 二人がミスルトーへ住み処を移して一年後のある日、ニールはリタに尋ねた。一生添い遂げたいと思えるやつはいるか、と。


 リタはエルフの中でも強い魔力を有している。本国から離れたとはいえ、その事実や情報はあちらにあるはずだ。強い魔力を持つ子を産ませるために、本人の望まない相手との結婚を強いられるかもしれない。


 ニールはその可能性をひどく嫌悪した。また大人の勝手でリタの人生が壊されるかもしれない。

 もうこれ以上、あいつらにリタを傷つけさせるわけにはいかない。彼女は自由であるべきだ。

 だから、彼女が心から選ぶ男を――そして、彼女を守る覚悟のあるやつを見つけなければならない。見極めなければならない。


 ……自分はいずれ死ぬのだから、それまでに、誰かがリタを守ってくれるように。


「私のこと、本当に……、家族くらい大事に思ってくれるのは嬉しいけど……」


 歯切れ悪く返しながら、リタは前髪を耳にかけた。


 ニールの思いをリタは知らない。彼は一度たりとも語りはしなかったし、そもそも自分の魔力のことも伝えてはいなかった。


「どうなんだ?」


 ニールは冷たい声で問いかける。


 もう本当に時間がない。ここにいるエルフは皆、根はいいやつだ。内面をきちんと見極めることができないのは残念だが、村にいると聞けば安心できる。彼にとっては切実だった。


「そんなの……、急に言われても、さ」


 しかしリタにとっては、浮ついた心を煽るようにしか受け取れない。視線を泳がせ、言葉の終わりを濁した。


「……」


 リタを横目で見たニールは、そのまま正面へ視線を移した。どうやら見つからなかったらしい。


 ……仕方ない。が、後はアラキナに任せるしかない。

 あの老婆はとんでもないが、信頼に足る人物であるのは明らかだ。


「も、もう。変なこと言ってないで、早く帰るよ」


 顔を赤くして、リタは小走りで道を行く。二人の間に距離ができた。


 それを追うニールの視界が、ぐらりと歪んだ。とっさに頭を押さえる。その手の感覚が薄いことに気づき、ニールは立ち止まった。


 ……死ぬのか。

 今、ここで。


「ニール? どうかした?」


 道の先を行くリタが、不思議そうに声をかけてくる。声色から察するに、こちらの様子には気づかれていないようだ。


 ……そのままでいい。そのまま、気づかないでくれ。気づくな。


「先に行っててくれ。俺は少し休んでから行く」

「うん……分かった」


 心配そうにこちらを伺うリタだったが、彼女がそれ以上深追いすることはしなかった。


 絵の具が水で溶けるように、目に見える景色の色が歪んでいく。体から徐々に体温が奪われてゆく、日々感じるあの悪寒が強くなる。


 それらを無理矢理押し殺し、平常を装った。


「しっかりやれよ、リタ」


 俺がいなくなっても元気でいられるように。

 そして、いつか大切な人を見つけられるように。


 言外に零し、ニールはリタに背を向けた。


「あはは、ドジして転んだりしないって。待ってるからね」


 いつものよう温かい声を耳に、リタが背を向けた。軽やかな足音が遠ざかり、やがてその音が消えてゆく。


 姿が見えなくなったと同時に、緊張の糸が解けたニールはその場にくずおれた。衝撃は軽い。地面についたはずの土の感触がない。重力も感じない。自分がどんな体勢でいるのかも分からない。痛みさえもなかった。


 指先から熱と魔力が抜けるように消えて、体だけが氷のように冷たくなって。

 視界の色も消え、唯一まともだった聴覚もなくなってゆく。生存本能すらまともに機能せず、冬のような死を受け入れた。受け入れるしかなかった。


 曖昧な意識の中、最後に耳にした声がニールの頭に響く。


 ――待ってるからね。


 待っている、か。


 もうその場に帰ることはできないけれど。

 最後まで隠し通せたことだけは――最後に見たリタの顔が、なんでもない日常の顔でよかった。


 彼は心からそう思えた。

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