DayX2 己
その声に、ライネの神子は確かに頷いた。
手にした杖を両手で握り、それを天に翳す。翠玉色の宝石が、太陽の光に煌めいた。
「はじめましょう」
いっそう澄んだ声と同時に、二人の足下に魔方陣が現れた。広場全体を覆うほどに大きなものだ。太陽のような激しい光に、彼は身を退きそうになる。
だが。彼は眉を寄せた。一つ不可解なことがあったからだ。この魔方陣が突然現れたにしては、魔力の圧力を感じない。これほどの魔法であれば、周囲を巻き込む威力も馬鹿にはできないはずだ。それなのに……。
彼ははっと目を見張る。
――最初からあったのか、これは。
自分は、この膨大な魔法の中にずっといた。
今までこの魔法が張り巡らされていることに気づかなかっただけで。
どこまで間抜けになったのか。足下の魔方陣へ苦笑を零す。
足下の魔方陣から、ライネの神子の持つ杖へ力が集まってゆく。この力はエルフの生み出す魔力とは異なり、自然の生命力そのもの。どこかぼんやりとした熱を持ち、近くにいるだけで心が安まるような。穏やかで静かな――けれど確かな力。
神子は杖を横に振ると、彼の目を見つめる。
「今から貴方に『己』を返すと共に、治療のためにかけていた魔法を解きます。少々意識が朦朧としますが、そのまま受け入れてください」
彼もまた、その目を見つめ返し、頷くことで返事とした。
神子は再び杖を掲げると、細く小さな声で何事かを呟く。高度な魔法を扱う際の詠唱だ。彼の知らない旧い言葉だった。
やがて、杖の先端から彼へ力が流れ込んでくる。自分のものとは異なる力の中に、どこかなじみのあるものが混ざる。その熱が体を巡ってゆくと、ライネの言葉通り意識が遠のいた。
ここに来て見た夢の記憶から、自分の名を呼ぶ声が幾つも重なる。夢で何度も見た女の子――リタがこちらの名前を呼ぶ声。従兄弟の少年の声に、あの老婆に、知り合い達の声。横暴な奴、子供、年上の女性。様々な声が、彼の頭の中へ響いた。
夢で自分の名前を呼ばれているとは分かっても、その言葉が何であるかは全く覚えていなかった。けれど今は、それをきちんと理解している。認識している。
自分の名前に特別な思い入れはない――が、名前を呼ばれることは、悪くない……そう思った。
神子が断ち切るように杖を振る。
光を放っていた杖の光が、周囲に溶けて消えていく。杖の柄が静かに地面へ触れた時、彼の頭の靄が晴れ、意識がすっと鮮明になった。
夢現に似た感覚は消え、彼は今ここに立っていること、現状、先ほどまでの記憶を取り戻した。
「あなたの名前、教えていただけますか?」
彼は頭の中で自分の名を呟いた。
……覚えている。はっきりと。
あれほどなにもなかったというのに、今は当たり前のように頭に浮かぶ。
「……ニール。ニール・ハイアット」
ライネの神子は頷く。心から嬉しそうに、目を細めて。
杖の柄で地面を叩くと、周囲に広がっていた魔方陣は弾けて消えた。
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