第十六話 中世

 カトワフの裁皇謁見から数えること20年後、ヤトゥーシュ・レ=デヌ・カトワフは異端審判によって火刑に処された。

 享年43。

 『マールハンセの戦い』から裁皇座の派遣した異端審問官によって連行されるまでの8年間、彼はハストックハリウの領域を開戦直前の約6倍に拡大させ、属領をヴィール各地に獲得した。

 即ちヴィール世界が戦乱の渦に巻き込まれのである。

 それにより、ザム帝国崩壊後400年余りに渡ってヴィールを統べてきた旧体制が崩壊した。


 旧体制とは商業都市・自由民都市国家体制のことである。ザム帝国崩壊と同時に帝国各地に徴税官として派遣されていた文官、武官等がその有り余る財力を持ってして自らの商売を始めたことに端を発する。彼らは『マド商人ブルジュ』と呼ばれ、自身の館を中心とした商業都市を形成していった。


 しかし、それらをカトワフが打ち壊したのである。


 カトワフによってそれまで貨幣経済の元に繋がれてきた人と政治が切り離され、新たに土地を介して繋がれるようになった。そんな新しい事態に台頭して来たのが、大地主層であった。彼らは商人として成功を収めることができず、土地を有し、小作人を使って耕作を始めた元徴税官達の末裔であった。

 彼らは商人達と同じ様に国家を形成した。この国家は、商業都市国家の様な多数の同業者同士の『共同体制』とは異なり、領主となった大地主が独裁的に政を司る『領主体制』であった。

 領主は封建体制の下に騎士に土地と小作人を与え、騎士は領主、領地に絶対の忠誠を誓った。商業都市国家体制下にも騎士は存在したが、彼らは商隊の護衛を主な仕事とし、国家との間には"カネ"が存在していた。国家の姿が変わったように、騎士の姿も変容していったのである。

 同時に、裁皇と領主の間にも同様の関係が生じ始める。

 領主は裁皇に対して教会税を支払い、対して裁皇は領主の後ろ盾となり、その地における支配体制の維持に宗教を介して援助した。この時代にあって大義名分は教義以外にはなく、その教義を司る教会が味方につくことは大きな意味を持っていたのである。これにより、領民よりも騎士、騎士よりも領主、領主よりも教会という力関係が形成された。これが教会の勢力拡大をもたらした事は容易に想像できる。


 カトワフの見たであろう景色は、彼の行動によって様変わりしていったのである。彼の望まぬ方向へ。

 後の世にあって封建体制と教会強権体制が持続した時代を一般的に『中世プシノーマ』と呼ぶ。プシノーマの語源は古語の『停滞プシュノーマノ』であった。


 そして、カトワフの引き起こし、彼の没後も続いた戦争を『一三年戦争』と呼ぶ。

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ディシュトゥラーク革命記 藤原朝臣 @9b6d

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