第十三話 魔
「おお、あの玉砕した」
バャンの発した言葉は、カトワフの心を、尊敬の念を完膚なきまでに叩き潰した。今まで抱いてきたそれらが、無意味にも感じられるほどに、跡形もなく。
「え…あ、い、いま、今何とおっしゃいましたか」
反射的にカトワフは聞き返す。彼にはまだ裁皇に対する信頼が残っていた。その信頼も人間性が裁皇にはあるという信頼、確信だった。しかし、それすらも裁皇バャンはその口で無に帰させる。
「うむ、朕も驚いた。まさかとは思ったのだが、いや流石と言うべきか、兵達は自らの命を神裁に捧げ、勝利を勝ち取った。素晴らしいことだ」
裁皇には人間がなかった。人間ではあるのだが、その中に人間が住んでいなかった。裁皇を目にすることができないカトワフは頭の中で目の前に座る人物を想像する他なかった。だが、頭の中で浮かび上がったその姿は、死を賛美するその口から血に染まった美辞麗句を
「は…は…は…は…」
カトワフは恐怖に震えた。その恐怖は彼の呼吸を大いに乱した。目の前に、真理、正義、秩序の化身、神裁の代表として至高の座に座っているのは、それらの皮を被った悪魔であったのだ。
「汝の兄は賞賛に値する。継ぐべき家を神裁に預け、それだけでなく、自らの命をも捧げるとは、まさしく信徒の中の信徒」
悪魔はそう言い切ると、途端に静かになった。しばらくすると、枢機卿の一人がカトワフ等に近づき耳打ちして言った。
「聖下よりお許しが出た。退出の後ろ姿だけではあるが、その目にしかと焼き付けよ」
この日の謁見の最後が、丁度カトワフを代表とするハストックハリウとの謁見であったらしい。悪魔が話をやめたのも、夕食の時間が近づいたからだった。そして、例外が適応された。見ることすら許されないのが常である裁皇の姿の拝謁を許可されたのだ。
その理由は無論、カトワフの兄が玉砕したからに他ならない。悪魔はこう言う。これが死に等しい対価だ、と。人1人の死であれば、まだ怒りや呆れを抑えられたかもしれない。しかし、玉砕とは、カトワフの兄のみならず、彼の率いた隊の全滅を意味している。その数130名。
たった1人の人間の姿を、たった2人の生きた人間が目にすることが、130名の死に等しい行為。そんな事を容認できるほど、カトワフの信情は深くない。だが、彼はその事を口に出す事なく、枢機卿の言葉に促されるままに頭を上げた。
魔の住まう人を見るために。
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