第四話 理由

 ノルティルシュは避けなかった。ゼバリゥーゼにそれほどの力が残っていると考えていなかったからだろう。石の直撃を受けた左頬からは血が滲み出でいた。剣にかけていた手も、今は力無く垂れ下がっている。先程までの興奮は彼にはなかった。

「本当なら、私は手を汚すことはなかったんですよ。そしたらどうだ。貴方だけ生き残ってしまっている。どうにかしないと…。それに、貴方は先程、ここままだと死んでしまうかのような物言いでしたよね。馬鹿もほどほどにしてください。一般庶民は貴方のような状態になっても鞭に怯えて働くんです。誰のせいで?貴方のせいで、ですよ。いや、正確には貴方達のせいで…」

 ノルティルシュは言葉を飲み込んだ。言おうとしたが、ためらった。しばらく空を見上げていたが、未だに自分を睨みつけるゼバリゥーゼを再認識したのか、口を開いた。

「昔話をしましょう。私には6歳離れた妹がいたんです。可愛かったですよ。幼い頃に両親を亡くしましてね、妹の為に何でもしました。騎士という存在に憧れたのも、死を恐れることなく誰かを守る、そんな姿が自分と重なったからでしょう。私が16の頃、ある商隊の護衛として雇ってもらうことがありました。その商隊と1年近く諸国を回りました。もちろん妹も一緒に。楽しかったですよ。商隊のみんなはとても優しくて、妹のこともよくしてくれました。楽しかった…」

 ノルティルシュはそこまで言うと目にも止まらぬ速さで剣を抜き、ゼバリゥーゼの股下に突き立てた。ゼバリゥーゼがゆっくりと離れようとしていたからだった。

「逃げないでください。まだ話し終わってない」

 ゼバリゥーゼは諦めるしかなかった。なにしろ目の前の死神は10年に一度のリューゼバルトで龍騎勲章を獲得したまさしく騎士の王なのだから。

 ゼバリゥーゼが逃げる意思を失ったのを確認すると、ノルティルシュは剣を収め、再び語り始めた。

「商隊とは帰国前に別れました。大規模な商隊でしたからね、通行税の優遇が効かないんだそうです。妹は商隊の姿が見えなくなるまで手を振って泣いてました。その後でした。その商隊が別の商隊に物資を略奪され、犯罪人として母国に連行されたと人伝に聞いたのは…」

「そ…それがなんだと…」

 軽はずみで呟いたゼバリゥーゼをノルティルシュは睨みつけた。雨が降っているだけでも体温が奪われている中で、ノルティルシュの放った視線はゼバリゥーゼの心をも凍りつかせた。

「この話を耳にしたのは、妹の方が先でした。この時のことを今でも後悔しています。私が先に聞いて、妹に隠しておけばよかった、と。しばらくして妹は喋らなくなり、食べなくなり、寝なくなり…遂には息をしなくなった。それから数年経って騎士となりました。騎士とは、幼い頃に思い描いていた存在とはかけ離れていましたが…。それと、知りたくもないことを知ることになりました。私を雇っていた商隊を貶めた商隊がどこの隊だったのかを」

 数瞬の静寂。ゼバリゥーゼはノルティルシュが聞いて欲しいと言っていることを察した。恐らく、何か企んでいるのであろうことも同時に察しながら。

「どこの隊だったんだ?」

「貴方のお父君の直営商隊ですよ」

 ゼバリゥーゼは息が詰まりかけた。相手の口から、あり得ない言葉が出てきたのだ。

「なん…だと…?お父様が…そんな…」

「お分かりになりましたか?私にとって貴方は妹の仇も同然なのです」

 ゼバリゥーゼの中で、理性の糸が切れた。息子より利益を、幸せより金の満腹感を優先し続けている父の罪が、彼に重くのしかかる。

「お門違いにも程があるッ!父の直営には関わったことはないし、そもそも父と私は経営方針が違う!殺すなら父にしてくれ!そうしてくれた方が私としてもありがたいッ‼︎」

「残念です。私もそうしたかったのですが、カトワフ様がどうしてもとおっしゃるので」

「どう言うことだ…」

「貴方のお父君は既に冥界の住人です」

 父。それ以前に家族である。反面教師の鏡的存在だったが、それでも、誕生日だけは父親らしい父だった。だからこそ…。

「おのれ…よくも父をッ」

 許せなかった。ゼバリゥーゼは動かない足に、応えてくれない足に力を入れて立ちあがろうとした。だがやはり、動かなかった。上半身だけ勢いづけたことで、ゼバリゥーゼは無様にも、汚泥に倒れ込んだ。

「はッ!さっきまで死んで欲しいなんて言ってたくせにいざ死んだと聞いたらこうか?これだからジュルダル共は気に食わないんだ」

 ノルティルシュはそう言うと、足でゼバリゥーゼを蹴飛ばし、彼を仰向けにした。そして、鞘から剣を抜き放ち、笑みに似たものを浮かべ、子供のように呟いた。

「これで、おわり」

 ノルティルシュの振り下ろした剣は正確にゼバリゥーゼの肩を粉砕し、心臓に突き立った。

 口から大量の血を吐きながらも、ゼバリゥーゼは言いたいことを、吐き出した。相手には何の価値もないものとわかっていても。

「ゼ…リヤ…ご…め…」

 1人の人間の魂が現世から離れた瞬間である。

 この空間には生者が1人となった。持つ剣からは精血が滴り落ち、紅色の血溜まりを作っていた。ノルティルシュは布で血を拭き取ると剣に収めた。

「あれ?」

 ノルティルシュは手の甲に水滴が当たったのを感じ取り、顔を上げた。彼の頭上には黒々とした雨雲が広がり、地上に涙とも思える雨を降らせていた。

「晴れないのか…」

 残った者はただ、死を覚え、生を認め、歩みを進める。それが、どんな結果をもたらすとしても、生き残った責任からは、死ぬまで逃れることはできない。死者の持つ静寂は彼の後姿に何を思うのか。それは誰にも分からない。

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