第五話 事実
ルキウス暦1092年7月34日。ハストックハリウ連邦共和国大老官の1人、ゼバリゥーゼ=ヤサム・ビィン・バリューゼルの死亡が確認された。これより3日前にはバリューゼル商会の本店が労働者等によって放火され、一族が焼死もしくは惨殺された。
ハストックハリウ政府はバリューゼル家の悲劇を悲しんだ。対して、国民はどうとも思わなかった。何故なら、数年前から徐々に政府高官や商業富裕者が死亡していっており、司教座からは"神裁が下り、悪行が正されたのだ"との説明があったからだ。
この事実には続きがある。
翌月の15日。ハストックハリウ政府の傭兵軍約八千が隣国であるトゥーン自由市の保有している狩猟森林、マールハンセに侵入、管理官の邸宅を襲撃し、一帯を掌握した。
この暴挙に対してトゥーンは直ちに撤退するようハストックハリウに要請した。しかし、聞き入られることはなく、逆にハストックハリウ側から裁皇府を介してこう訴えられることになった。
『先日亡くなったバリューゼル家一族と縁のある某系が管理していた当該地域をトゥーン政府がバリューゼル家の承諾なしに他者の管理下に置き、その収益を国庫に収めていたことが確認された。当事者の了解無しに行われたあらゆる事案は、ハストックハリウ政府として有している尊厳と義務を著しく害するものである。そして、教皇庁の認可の下、バリューゼル家の有していたものの全てをハストックハリウ政府が代行管理を行うこととなった。すなわち、貴国の犯したことはバリューゼル家に対する冒涜であると同時に、我が国に対する挑発と挑戦として受け止められる。故に、我国は以下に示す地域の領有権を主張し、貴国の速やかな当該地域からの撤退を望む』
この主文に続いて示された地域はトゥーン自由市の領域のうち、7割強を占めていた。
この内容の記された文書がトゥーン政府最高機関である市議会常務委員会に届けられた時、議長であるサトラム=タヤ・レ・ギュジュレは書簡を握りつぶして叫んだ。
「盗人猛々しいにも程があるッ‼︎」
常務委員会の構成員も口々に怒声を挙げた。
「裁皇聖下は何を考えておられるのか⁉︎」
「おのれ…ッ!即刻部外者をこの国から追い出せ!」
トゥーン政府は直ちに義勇兵の徴収と編成を行い、周辺村落の自警団をハストックハリウとの国境付近に集結させた。その数歩兵三千弱、騎兵三百騎。
対してハストックハリウ側は、歩兵四千強、騎兵七百騎あまり。
双方がマールハンセにおいて初めて刃を交えたのは、秋の深まった10月下旬のことである。
トゥーンは敗北した。
原因は義勇兵にあった。
家を離れて遥々国境付近まで来ても、戦闘開始までに2ヶ月近く待たされ、挙句収穫期に入った事で凱旋気分が高まり、脱走兵が続出した。それによって開戦時には歩兵戦力が激減していたのである。
トゥーン軍指揮官に着任していたベルガモン商会の御曹司、ヤーザム・ベルガモンは悪化し続ける状況を打開するため、軍の一旦退却と再編成を再三に渡って常務委員会に打診した。しかし、良い回答は得られず、ベルガモンは側近にこうぼやいた。
「如何に負けるかを考えないとな」
ベルガモンには既に敗北の二文字がトゥーンの歴史に刻まれる未来が見えていた。ただ負けるだけでは家の名に泥を塗る。そう考えた彼は残った戦力の中から精鋭部隊と若年者を抜き出し別働隊を組織した。そして、開戦と同時に本隊が敵軍との間に混戦状態を作り出し、混乱に乗じて別働隊に密林の中を突破させ、友好国ランドゥーンに逃れさせる計画を立てた。
計画は成功した。
トゥーンはこの『マールハンセの戦い』に敗れるが、ハストックハリウ側は敵の主力に損害を与えることができなかったという、とても勝利したとは言えない結果に終わった。
ランドゥーン政府は亡命軍を歓迎し、独自の連隊を創設する許可を出した。しかし、母国トゥーンは亡命した彼らを売国奴、国逆犯だと避難し、指揮官ベルガモンを解任させた。ベルガモンは戦死していたが、この解任通達によって指揮官に任じられていた事実が抹消され、戦闘における彼の下した一切の指示は無効および非公認の行動だとされたのである。
もしもこの時トゥーン政府がベルガモンの指示を尊重し、ランドゥーン側と協調していたなら、この後の歴史が変わっていただろう。しかし、実際はその逆を行った。ハストックハリウは戦わずして敵の主力を国外に追い出すことに成功したのである。
運が味方した。
ハストックハリウ軍は年が明けるまでに要求領域を掌握し、支配権の確立に邁進した。
そして、ルキウス歴1093年1月23日、トゥーン自由市はハストックハリウ連邦共和国との間に和平条約を締結した。締結の要因となった森林地帯の名をとって『マールハンセの和条』と通称されるこの条約は事実上のトゥーン自由市のハストックハリウへの従属を確定させた。
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