第六話 宴の会話

「みんな、よくやってくれた」

 トゥーン市を囲う防御壁の外側に作られた天幕群の一角で、白衣を着た男の周りに十数人の武男が集まっている。白衣を着た男の隣には鉄紺を纏った騎士が1人、控えていた。龍騎士、リューゼバルタルシュの異名を持つ、今世最強の騎士、ザルツ=マラー・ノルティルシュが彼であった。

 ノルティルシュが鋭い眼光を周囲に向けている中、彼の主君は話し続けている。その浮かべる笑みからは死んだ友への感情など微塵も感じ取れない。

「今回、我々の勝ち取った権利と勝利、幸福は君達の奮闘のおかげだ。感謝する」

 そう、彼の言う通り、今回の成果は多大な奮闘と犠牲を伴ったものだった。

 民衆や他国から不審がられることのないように細心の注意をはらって政敵を抹殺し、彼らの有していた土地を精査した。その精査にかかった月日は実に4年に渡る。民衆にも、他国政府にも、騎士団にも、教団にも非難される余地のない事実の形成。そして、世俗の最高権力機関、教皇庁をも騙す外交手腕。それらを整えるために、血が流れ続けた。

「しかし、我々の目の前には我々とは違う旗を掲げている土地が延々と続いている。君達と共にそれらの土地を疾走し、まだ見ぬものを見てみよう」

 そして、彼は言うのである。これで終わったと思うな、と。血は流れた、そして、これからも流れるのだ、と。その持てる欲望の赴くままに、剣を振い、薙ぎ払い、道という道を鮮血で染め上げ、ハストックハリウの名をこの世界に刻みつけるその日まで。

「地平線の彼方に我々の旗を掲げようッ‼︎」

 しかし、誰が思うだろうか。目の前で話すこの男の想いがどこに向けられているのか、誰が疑問に思うだろうか。否、誰も思わない。そして、彼は誰にも思わせない。その為にこそ、彼は友人さえも切り捨てた。子供の頃から、大木の前で見果てぬ夢を語り合った、友を…。

「だが!その過程で多くの苦難が待ち構えていることは君達と同様に、私自身よく理解している!だからこそ、私はこの場で、君達とヤマスに誓おうッ!どんなことがあろうとも、君達と同じ戦場の土を踏むと!」

 ことの真実を知らない者達が、彼の言葉に歓喜する。

 嗚呼、彼こそ我らの大君かな、と。

ー馬鹿かこ奴らはー

 ノルティルシュは呆れるしかなかった。そも、傭兵などという存在に知性を求める方がおかしいのかも知れない。

 一般的な教養や作法は無論のこと、司教座学校の高等部において指南される全ての知識を身につけ、加えて他の知識をも貪欲に吸収していく騎士とは違い、傭兵にはより単純なことしか要求されない。曰く、殺し方と生き方。前者は鋭利な刃物を持ち、相手に殺意を持って切り掛かる。後者は相手の攻撃から身を守る。そこには洗練さや技量、知識などは必要ない。故に、傭兵の界隈では"経験"のみが重視される。ノルティルシュの目の前で盃を飲み交わしている輩は傭兵隊長などと呼ばれているが、技量だけで言えば騎士のひよこにも劣るだろう。しかし、それでも一人前の騎士より高給取りなのは、彼らが支配層にとって騎士よりも扱いやすい存在だからだった。

「やあやあ、騎士様はいつにも増して顰めっ面ですなぁ」

 そう言って盃を片手にノルティルシュに絡んで来たのは数いる傭兵隊長の中でも経験値が高いと目されているバシュ・ラーマンだった。

「穢らわしい口を開くな。斬るぞ」

 ノルティルシュには相手が傭兵である以上は容赦はしない。傭兵という肩書き自体が、その保持者が彼よりも劣っていることの証左であったから。

「…誇り高き龍騎士様はご自分が可愛くて仕方ないようですな。私も可愛がって差し上げましょう」

 怒気を含んだ声でラーマンはそう言うと、剣に手を伸ばした。が、それだけだった。

「ん?何かハエがいたようだったが、気のせいだったか」

 ラーマンの首には目に見えぬ剣が突きつけられていた。人として扱う必要がない、殺意すら込める必要がないと判断した、ハエを殺す時と同じ目が、向けられていただけだった。

「ラーマン卿。君の隊の働きには驚かされたよ」

 張り詰めた空気を容易く亡きものにしたのは白衣の男だった。ノルティルシュも一歩下がって敬服の意を示す。ラーマンは…。

「これはこれは、大君様っ!もったいなきお言葉でございます。我らも大君様の導きあっての勝利と、私をはじめ多くの者が大君様の御力を再確認致しましたぞ」

 一歩前に進み出て杯を目の前にかざす。

「ああ、君達を失望させるわけにはいかないからね。今度も期待していてくれ」

 大君様と呼ばれた側も一歩前に出て持っていた杯をラーマンの杯にぶつける。そこには少しの変化もない。いつもと同じような満面の笑みがそこにはあった。

 しかし、ノルティルシュは知っている。ラーマンが1つ動くたびに自分の主人の表情に軽蔑の色が現れることを。

「ザルツ」

「はッ」

 ラーマンが去った後、ノルティルシュは敬愛する主人の声を聞いた。自分を拾い上げ、世界を見せてくれた恩人。ヤトゥーシュ・レ=デヌ・カトワフ=ボルシュレーヌの心の底から助けを求める声を。

「少し話そうか」

「…」

 怒りと吐き気で、今にも狂ってしまいそうな、壊れかけの笑みを湛えた彼の顔が、押し殺していた本当の声を出す。他の誰にも見せない。自分にだけ見せてくれる本当の姿。それが、ノルティルシュにとっての信頼の証だった。

「…はい、あちらに良い場所がございます」

 2つの影が静かに宴から離れる。そのことに誰も気が付かない。気が付くことなく、宴が続く。そして、離れゆく影に浴びせかけるのだ。耐えることのない、笑い声を。まるで、2人のことを嘲笑うかのように。

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