第七話 真実か事実か

 月明かりの下、森に囲まれた小さな池の水面に、月光が揺れ動く。そこに映し出される物の輪郭は、本来の物ではない。それは人間とて同じであった。2人の男は歪んだ自らの輪郭を見る。水面に映し出された輪郭はまるで今の彼らの心境そのものであるかのようだった。

「こうはならなかったはずなんだけどな」

「そうですね。ベルガモン卿があの判断を下さなければこんなことにはならなかったでしょう」

 カトワフの言葉にノルティルシュは賛同する。心の底から共感する。そして、故人に対して敬意を示す。

 マールハンセでの戦闘にはノルティルシュも参加していた。龍騎士である彼には専属の騎士団が裁皇から下賜されていたこともあり、傭兵軍とは離れて別動隊として戦場にいた。熟練の猟師でも滅多に立ち入ろうとしないだろう密林の、得体の知れない恐ろしさを彼は鮮明に覚えている。ある1つの衝撃的な出来事と共に。

「あの時、お前も見たんだったな」

「はい…」

 ノルティルシュは騎士団の部下等と共に、味方と敵が入り乱れて戦いを進めているのを梢の隙間から観戦していた。その混乱ぶりが自然な物ではなく、人為的に起こされた、意図した戦略的な物だと気付くのにさほど時間はかからなかった。信頼を置く騎士の1人に騎士団の指揮を任せて、自らはカトワフの下へと急いだ。このことを早くお知らせしなくては。その焦りだけが、この時の彼を動かしていた。

 戦場から少し離れたところに置かれた天幕の前に辿り着いた時、カトワフは既に馬上からその様を観ていた。その唖然とした表情は、ノルティルシュの脳裏から離れることはないだろう。彼は、そんなカトワフを見て、すぐに悟った。

 ーああ…負けたんだなー

 そうと分かっても最善は尽くさなくてはならない。ノルティルシュは来た道をとって返して騎士団に合流すると、騎士団を3つに分けて密林の中に散開させた。恐らく、相手も被害を恐れていくつかに部隊を分けてくるだろう。そうであってほしい。いや、そうでなくては戦術論上成立しない。

 しかし、相手、ベルガモン卿はそんな机上の理論を打ち壊した。彼は、部隊を分けることなく、一塊ひとかたまりの部隊を敵の包囲から突破させたのだ。

 これにはノルティルシュでさえも対処しきれなかった。密林の中で出せうる最大の機動力によって目の前を通り過ぎる敵部隊。ベルガモンの指揮する敵本隊が混戦状態を拡大し、ノルティルシュの騎士団をも巻き込み、その動きを封じた。

 ノルティルシュとカトワフにとって、敵の指揮官と自分との間にある差を見せつけられた瞬間だった。

「彼らが私が狙っていた者たちだと分かったのは、戦いの後だったが…してやられた、そう思った」

 カトワフには怒りはなかった。ただ、落胆だけが存在していた。

 彼が長年に渡って育ててきた計画は完璧だった。そのことは、彼自身とノルティルシュ、顧問団、そして、無二の友人であったゼバリゥーゼが認めていた。

「彼ら…騎士達をこちら側に引き込めないだろう事は以前からわかってはいましたが…」

「それにしても、だ。ラルーニが途中で消されたのが惜しかった」

 ラルーニというのはカトワフがトゥーン自由市の有していたマンドーレ騎士団に潜入させていた騎士の名である。カトワフがたてていた計画では、ラルーニがマンドーレ騎士団の中に同志を作り、戦闘開始と同時に騎士団内部で反乱を起こさせることが前提にあった。彼は騎士団という戦闘専門集団をなるべく傷つく事なく自陣に引き入れることを狙っていた。

 だが、その前提が崩れた。

「ラルーニから最後の鷲便が来たのはいつだったか…」

「ちょうど4ヶ月前です。その後、ゼバリゥーゼ様が計画の再構築を提案され、ご自分で新しい騎士団調査のためにアットンハリウへと向かわれたので…」

「そうか…もうそんなに経つか」

 カトワフには4ヶ月前のことが4年も前のことの様に感じられた。友との最後の会話、最後の喧嘩、最初で最後の喧嘩別れ。

 その時の2人の会話がカトワフに1つの決断をさせた。それが、ゼバリゥーゼの死に直結した事は言うまでもない。策謀が持つ唯一の弊害は対立の否認である。仲間内の対立は極力避けられ、不可避となれば、仲間はすぐさま敵となる。カトワフはその法則に従った。

「もともと、バリューゼル家は抹消対象だった。その時期と、対象者が変わったに過ぎない」

 そう語るカトワフの横顔にノルティルシュは一瞬涙を見た気がした。部下の口から友人の死が報告された時には流れなかった、涙が…。

「カトワフ様…こんなことを言っても何にもなりませんが、あの人が言って欲しいようなので言わせていただきます」

 ノルティルシュは少し間を置いた。少し強い風が吹き、湖面の月が大きく揺らいだのを見て、次の風が吹かないことを祈る時間を作った。単なる願掛けでしかなかった。

「私は騎士に殺された。私は君に生かされていた。君は私を殺したか?」

 ノルティルシュの口から出た言葉は、彼自身の言葉ではなかった。彼の中に残るゼバリゥーゼという人間の残像が彼にそう言わせたのだった。

「ザルツ…」

 カトワフはそのことを理解した。故に、聞きたくない言葉でもあった。彼の中の残像も同じことを言っていた。それが故人の本音でないと、これまで言い聞かせてきた。しかし、故人を知るもう1人の人物が同じことを言う。もはや、認めないわけにはいかなかった。

「真実ではなく、事実こそご自身に問われるべきです。歴史には真実は残らない。そのことをよくご存知のはずです」

 ノルティルシュの本音はこれだった。結果に至る過程や犠牲はその次に影響する。だが、過程の真相、つまり真実はその場限りの消耗品だ。歴史の照明も当たらない。当事者のみに意味を持つ。

「ふざけるな…」

 カトワフの小さく呟かれた言葉は、彼の強い気持ちを含んでいた。彼の気持ちの全てがこの言葉だった。そのことをノルティルシュは分かっていた。だからこそ…。

「カトワフ様ッ」

 聞きたくなかった。

「そんなの…理不尽極まりないッ‼︎お前は私の命に従った!私はお前に殺せと言った!誰を?ゼバリゥーゼを殺せ!そう言った!」

「ヤトゥーシュ・カトワフッ‼︎」

 物事の終わりがある様に、始まりもまた、あるのである。だが、それだけではない。始まりは同時に別の事柄の終わりであり、それにもまた、始まりがある。それを無視して、終始のみに責任を負わせ、始まりに至った裏を、真相を忘却する。それが、死に至ったのちの人間を待っているとしたら、あまりにも残酷である。

 ノルティルシュも理解できる。だが、自分の主人である人間には耐えて欲しかった。

「貴方様に私がお仕えしている理由はなんだとお思いですかッ⁈龍騎士であるこの私が、三百人もの騎士を引き連れ、カトワフ様の屋敷に接吻したのは何故だとッ!何の為だとお思いですかッ‼︎」

 ノルティルシュの怒声に、それを上回る感情を含んだカトワフの声が重なる。

「理解している…理解しているともッ‼︎」

「そうであっても!今一度ご理解いただきたい。私は、カトワフ様と同じ物を同じ所で見て、同じことを思ったのですから」

 ノルティルシュの発した言葉に続く言葉はなかった。訪れた沈黙は、ただ、静かに想起させる。彼らの有する、記憶の深層にある、始まりを…。

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