第八話 路を行く
湿気の高さ故に、髪の毛は丸まりが強まっている。照りつく日光は乞い願う地面から水分を奪い去る。そんな環境の下、数世紀前に整備されたまま使われ続けている街道を2騎の影が通り過ぎる。彼らの視界には裁皇パルトゥラーニ2世の像を取り囲んで踊っている農夫達がいた。昨日降った雨が2ヶ月ぶりの降水だというのだから、致し方ないのだろう。後方を行く1騎が前方に語りかける。
「まったく、ここまで酷いとパルトゥラーニ2世が用水の聖人だということが嘘のように思えるな」
「ヤトゥーシュ様、思っても言わない方がよろしいかと…。ここはヴェバルカスですよ」
そう答えるラルーニにヤトゥーシュ・カトワフは驚きの表情を向けた。
「なに?もうか?」
ヴェバルカスとは裁皇府の直轄領の中で最大にして最重要地域の名称である。その領域は楕円形を少し崩した形をしており、その中央部に裁皇府の入る大聖堂ザルギュランデ宮がある。彼らは今、そこを目指していた。
「はい。境界石からすでに5バルス離れました」
カトワフはそう言われ、少し思案する様子を見せると、辺りを見渡し始めた。
なだらかな丘陵が波のように続いている。丘陵の頂上部分には森があった。まるで背鰭を持った巨大な蛇が横たわっているかのような景色である。森から下は地面が剥き出しており、何層にも築かれた木垣が延々と続いている。今は何も生えていないが、雨季にもなれば金色に輝く麦や米の草原になる。
「まったく、わざわざ乾季に謁見日を指定してくるとはな…。バャン猊下はよほど我が父を嫌っていると見える」
殺伐とした景色からは裁皇の思いが嫌というほど伝わってくる。カトワフにはそう思えた。
「ははっ、それはどうでしょう?」
前方で先導するラルーニが振り返って笑いかける。その目には美しいものを見る光が灯っていた。
「というと?」
「ダンジャル様はこの時期がお気に入りでいらっしゃます。乾き切った土の出す音が耳に心地よいのだとか」
「…初耳だなそれは」
あまり多くを語らない父親が脳裏に浮かぶ。今回のヴェバルカス行きも出発の10日前になってようやく知らされた。息子の初めての外交使節としての派遣だと言うのに、その口から出た言葉は、『長居するなよ』ただこれだけだった。不器用と言えばそうなのかもしれない。だが、カトワフにとってその態度は、母亡き後の心の空白を埋め合わせるには、足りないものだった。故に、家族であってもその想いがよくわからないまま、これまでの日々を過ごして来た。
「ふっ父が、な…。はははっ」
だからだろうか。自分の知らない父が、景色を通して語りかけてくれている気がした。
"どうだ、なかなかいいだろう"
父も今の自分がそうであるように、誰かと話しながら、微笑みながら、この景色を見ていたのだ。あの仏頂面を無理やり崩したような、不器用な笑顔を見せていたかもしれない。
そんなことを考えながら、時折笑っていると、ラルーニが馬を並べて来た。
「ヤトゥーシュ様。前方をご覧ください。見えて来ましたよ」
カトワフがラルーニにそう言われ、彼の指差す先に目をやる。そこにあったものは、カトワフの口から吐息混じりの感嘆の言葉を自然と言わせるほどのものだった。
「ああ…やっぱり凄いな」
時に、ルキウス暦1081年7月の終わり。ヤトゥーシュ・カトワフと護衛騎士ラルーニ・ジュダは大聖堂ザルギュランデ宮の大尖塔を視野に入れる。土色剥き出す世界にあって、白色に照り輝く大尖塔はその存在感を存分に主張していた。
この日の夕刻、2人は大聖堂のあるザム市を囲む『聖ノフリューリの大城壁』に穿たれた西方の大門、ザバリュア門を潜る。聖皇謁見まで、まだ半月の猶予があった。
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