第4話 ネモフィラの海と結界魔法

 ときおりウサギや鹿を横目に見つつ、このまま森を通り抜けるべく森の奥を目指して進んでいると、不意に木々の合間から明るい光が差した。


 広大な魔獣の森を抜けるにはまだ早い。不審に思いながらも光の方へと進路をとり、木々が途切れた瞬間————飛び込んできた景色に息を呑んだ。


「まあ……!」


「こりゃあ見事なもんだ……」


 目の前には、真っ青なネモフィラの海が広がっていた。


 大神殿がすっぽりと収まってしまいそうな広さの開けた空間に、一面ネモフィラの青。

 奥に見える美しい湖は、色づきはじめた夕日を映し赤く輝いている。


 ダーナンが馬を止め、私を降ろしてくれる。

 花畑のなかへと進み入ると、ネモフィラの青を全身に浴びるようにくるりと一回転した。


「なんて素敵な場所なのかしら……!」


 手綱を離されたオルガものんびりと花をんでいる。

 魔獣は日の光を嫌うから、この綺麗な景色も荒らされずに済んでいるのだろう。

 こんなに素敵な空間が、魔獣の森深くにあっただなんて。


「そうだわ! いっそここに住むっていうのはどう!?」


 素晴らしい思いつきにダーナンを振り返る。


「このまま西へ向かったとしても、またさっきみたいな刺客が来るかもしれないじゃない? 生きている限りずっと刺客に怯えて暮らさなきゃいけないなんて嫌だもの。その点ここなら、そう易々と刺客を送り込めはしないわ!」


「……システィーナ様は、お命を狙われる理由に心当たりがおありで?」


「んー……よほど私のことが嫌いか、もしくは『聖女は唯一の存在なり』って話を信じているかね。現行の聖女が生きている限り、同等の力を持った新聖女は生まれないという言い伝えがあるの」


 後者だとすれば私を本物の聖女だと認めているようなものだけれど、真意はわからない。


「なるほど……。そんならこの森で命を落としたとでも思っといてもらったほうが安全ですね」


「そうね……——そうよ! 私が張った結界を解除しておかなくっちゃ!」


 特殊な魔導具で維持される王国の結界とは違い、通常は結界の発現者が死ねばその結界も解除される。

 逆に言えば、結界を解除することで私が死んだと思わせることができるかもしれないのだ。


 さっそく手を組み合わせて目を閉じる。


「————よし、全部解除できたわ!」


「そんじゃ、ここに根を張る準備をはじめますか! つっても斧は持参していないんで、剣とナイフだけで家を組むのにゃかなりかかると思いますが」


 ダーナンは笑顔で私の提案を受け入れてくれる。

 先ほどだってそうだ。魔獣の森に入ってほしいという無謀ともいえる要求を呑み、私を信じて真っ直ぐに突っ込んでくれた。

 私のすべてを信じ肯定してくれるダーナンに、今まで何度救われてきたことか。


「家のことなら心配いらないわ。ちょっと待ってね」


 ネモフィラのまばらな一角に目をつけると、座り込んで手を組み、まぶたを閉じてしっかりと祈りを捧げる。


 キッチン……、ダイニング……、それぞれの私室に、寝室……、浴室もいるわね……。


「————できた! どうかしら!?」


「はぁ……。なんかその辺が、うっすら光ってんのは見えますが」


「あっ、透明なままだったわ!」


 慌てて光を通さない結界も足しておく。

 再び目を開ければ、そこには真っ白な一軒家が建っていた。


「どう!?」


「……なんですか、こりゃあ……」


 ダーナンは驚きにあんぐりと口を開けたまま、ふらふらと一軒家に歩み寄る。


「結界魔法よ。独自に改良を重ねたの!」


 ダーナンと私の二人しか通さない結界をベースに、空間を隔てる結界で細かく部屋を区切って、すべての壁に光を通さない効力を重ねた自信作だ。


「結界魔法ってのはこんなことができるんですか……」


「私以外にやっている人を見たことはないけれどね。時間ならたっぷりあったから、結界の可能性について模索していたの。……以前、お城の周囲に『悪意のある人間を通さない結界』を張ったときには、ほとんどの貴族が入城できなくなっちゃってものすごく怒られたわ。改良して張り直したのだけど」


「そいつぁなんとも……」


「さあ、とりあえず中に入ってみましょ!」




 ダーナンと連れだってドアを開ける。

 家の中にも、外観と同じ真っ白な空間が広がっていた。


「……空が見えますね」


「ええ、天井だけは光が入るように透明なまま残したの。目には見えないけれど、ちゃんと風雨や外敵の侵入は防ぐから安心してちょうだい」


 キッチンストーブに、煙突、腐食から守る結界でできた小さなパントリー食料庫

 ダイニングに立って祈りを捧げ、忘れていたテーブルと椅子も作りだす。


 うろうろと室内を見回ったダーナンが、困り顔で声をかけてきた。


「あのー、寝室らしき部屋が一部屋しか見当たらないんですが……」


「『中の空気を守る結界』でダブルベッドを作ってみたの! なかなかいいでしょう?」


「いや、ベッドは立派なもんですが……数の問題が……」


「? 旅のあいだだって、ずっと一緒に寝てたじゃない?」


「それはシスティーナ様の演技のせいでしょう」


「ダンと一緒だと温かいんですもの。一緒に寝たいわ。……どうしてもダメ?」


 手を組んでじっと見つめると、大きく顔をそむけられてしまった。


「あ゙ぁーーー……まあ、細かいことは追い追い考えるとしましょう。今日はもう日が沈んじまう」


「そうね。周りにもいくつか結界を張ったら、今日は休みましょう」


「そんなに連続で結界魔法を使って大丈夫ですか? 魔力切れしてしまうんでは?」


 心配そうにこちらを見つめるダーナンを安心させるため、自信たっぷりに胸を張ってみせる。


「これくらいの家なら、あと十軒は余裕で建てられるわ。それに結界は一度発動してしまえば、維持にはほとんど魔力がかからないの。だから大丈夫よ」


「くれぐれも無茶はしないでくださいよ?」


「ええ、任せてちょうだい!」


「…………」


 オルガが逃げてしまわないための結界と、一定サイズ以上の生き物の立ち入りを防ぐ結界で、大きく周囲を囲う。

 湖の周りは、水を飲みに来る動物たちのため結界の範囲に含めずにおいた。


 綺麗な水があり、道すがらったたくさんの木の実もある。

 狩りをすればきっと肉も手に入るし、たきぎにする枝ならそこら中に落ちている。


「ねえダン、なかなか素敵な生活になりそうだと思わない?」


「ええ、……あなたのお側ならどこでも」

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