第3話 思い出話と魔獣の森

 八日間の旅を終え、とうとう国境の西門へとたどり着いた。

 ここを出てしまえば、もう二度とこの国に戻ることはない。


「ダン、やっぱりあなただけでも……」


「何度も言っているでしょう、地の果てまでもお供しますと!」


「だけど……」


「『だけど』もなんありません! 俺の命はあの日から、システィーナ様に捧げると決めてるんです!!」


 聞き分けのない子どもを叱りつけるような声にビクリと首をすくめ……一拍置いて、首を傾げた。


「あの日?」


「あぁー、いや、その………………っはぁぁ。八年前——聖女となり王太子の婚約者となったあなたの、披露パレードの日です」


 観念したように大きくため息をつくと、ダーナンは思い出話を語った。



 唯一の家族であった祖母が重い病に倒れてしばらく、これ以上打てる手はないと、とうとう医者にもさじを投げられた。


 しくもその日は聖女披露パレードの当日。

 聖女の治癒魔法でなら治せるかもしれないと思い立ったダーナンは、病気の祖母を背負ってパレードの沿道へと駆けつけた。

 声を上げ、嘆願し、どうにかして祖母を診てもらおうと。


 しかし大観衆に囲まれ、王太子と並んできらびやかな輿こしに乗った美しい聖女は、あまりにも自分とかけ離れて遠く——遠く。ダーナンは声を張り上げることもできず、呆然と人混みのなかに立ち尽くした。


 ほんの一瞬、目が合った気がした。声援に応えるためかかすかにこちらへ手をかざす素振りをした聖女は、しかし次の瞬間にはもう反対の沿道に向いてしまっていた。

 一言も発せないままのダーナンを残して。


「もう自分にできることはなんもないのかと目の前が暗くなり…………そしたら突然、祖母が背中を叩いてきたんです。『もう元気になったからさっさと下ろしなさい! 自分で立てるわ!』って」


「まあ」


「あのとき聖女様が——システィーナ様が、かざした手から治癒魔法を発動して祖母を助けてくださったんだ。祖母は結局二年前、老衰で眠るようにっちまいましたが……最後の最期までぴんぴんしてましたよ」


 懐かしそうに思いを馳せて笑みを浮かべる。

 その温かな表情に、どれほど幸せな暮らしだったのかが伝わってきてこちらの胸まで温かくなる。


「そっからシスティーナ様にお仕えしたい一心で、猛特訓して騎士団に入ったんです。平民だとさげすまれようと、馬鹿にされようと、かかげた目標の前では屁でもなかった。その後、東との戦で武勲を立て、褒賞をたまわれるというのでシスティーナ様付きを志願したんです。殿下は見目のいい者をシスティーナ様から遠ざけようとしていましたから、俺の申し出はこころよく受け入れられました」


「そこまで私のことを……。とても、とても嬉しいわ! でも、その、言いにくいのだけれど……、私、ダンとおばあ様のことを覚えていないの……」


 しょんぼりと項垂うなだれた頭に、ほがらかな笑い声が注ぐ。


「はっはは、わかってますよ。礼を伝えたくて追っかけたら、あなたはパレードの途中幾度となくいた。ここまでの道中だってそうです。路地裏にうずくまる人影や具合の悪そうな者を見かけるたび、さっと手をかざしてみせる」


「……ばれていたのね」


 王族以外に治癒魔法を使おうとすると王太子が怒るので、ばれないようこっそりと治癒を発動する癖がついてしまったのだ。


「ええ。あなたにとって、治癒魔法で『人を癒すこと』は息をするように自然なことだ。すべては覚えていなくて当然です。そんなあなただからこそ俺はす——……」


「す?」


「いやっ、すっ……そ——尊敬! そんなシスティーナ様を、心から尊敬してんです!!」


「じゃあ、本当に同行をお願いしちゃっていいのね?」


「もちろんです! システィーナ様が離れてくれっつったって、無理にでもお供しますよ!」


 追放されて国を去る瞬間というものは、もっともの寂しく後悔を抱え、孤独の闇に呑み込まれそうな気持ちになるものだと思っていた。


 それが今、こんなにも温かな気分で晴れ晴れとしている。


「……ありがとう、ダン」


 目元に浮かんだ水滴をこっそりとぬぐう。


 門を抜けて見上げた空は、どこまでも青く澄み渡っていた。



  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……妙だな」


 青い空、広々とした街道。

 西の隣国を目指し、目の前に広がる広大な魔獣の森を迂回するため進路を右に取りながら。

 のんびりとした景色とは不似合いの不穏な声に、ダーナンを見上げた。


「どうかしたの?」


「もう国境を出てずいぶんと経つのに、まだ後をつけられてるんです」


「えっ? 今までずっとつけられていたの?」


「はい」


 全然気が付かなかった。

 後方を見れば、見晴らしのいい街道に距離を置いて点々と、五人の騎乗した旅人がいる。

 どの人がなのだろう。


「『国外追放』の完遂を見届けるだけなら、国境の門まででいいはずだ」


「それもそうね」


 独り言のようなダーナンの言葉に相槌あいづちを打つ。


 国境の門を出たのを見届けてなお、未だにつけてくるのはなぜか。

 私の新たな居住地を確認しておくためか、あるいは——。


「——ちっ! 仕掛けてきやがった!」


 吐き捨てるように言って、ダーナンが馬をった。


 舌を噛みそうな揺れに、しかとダーナンにしがみつく。

 ひるがえるマント越しにちらりと後ろを振り返れば、後方にいた五人全員が揃って腰の剣に手をかけ、こちらへと距離を詰めてくるのが見えた。


「来てる! ダーナン、どんどん来てるわ!」


「まずいな、このままじゃ追いつかれる……!」


 ひとたび追いつかれてしまえば、ダーナンは私を庇いながら五人の相手をすることになる。

 戦いのことなんて何もわからなくとも、その状況が圧倒的に不利だということくらいわかる。


 ——それならば。


「魔獣の森に入って!」


「!? っですが、あの森の魔獣は騎士が十人がかりでやっと倒せるかどうかの——」


「このまま追いつかれたって、どうせ命懸けの戦いになるのでしょう!? いいから入って! 私の考えが正しければ、たぶん大丈夫だから!」


「——っはは、わかりましたよ! システィーナ様の『たぶん』を信じるとしましょう!」


 グイと手綱を引いて進路を変えると、そのまま真っ直ぐに森へと突っ込んだ。





 鬱蒼うっそうと生い茂る草木。枝葉にさえぎられた空は遠く、ときおり不気味な獣の鳴き声が聞こえてくる。


「……どう? 追ってきてる?」


 歩調を緩めた馬の上で、ダーナンにしがみついて後方へと目をらす。


「いんや、追っ手は森の入口で馬を止めたようです」


「よかったぁ……」


 へにゃりと力の抜けた身体を、ダーナンががっちりと抱きとめてくれた。


「残る問題は魔獣ですね。今のところ、いやに静かですが……」


「ダン、あなた熊は倒せる?」


「熊? ええ、普通の熊であれば問題なく」


「なら大丈夫ね! 狩猟大会を見学したときに気付いたのだけど、魔獣は私の周りに近づけないみたいなの。聖女の力が関係してるんじゃないかと思うのだけど」


「えっ……、そんならこの森で、魔獣に襲われる心配は……?」


「私と一緒にいる限り、襲われることはないわ。——あっ、でも野生動物は遠ざけられないのよ!? だから、猪や熊にはばっちり襲われるわ!」


「そいつは俺と一緒にいる限り心配無用です」


「じゃあ、二人一緒にいれば怖いものなしね!」


 しっかりと集中して祈りを捧げられれば、魔獣も動物も入れない『結界』を張ることはできるけれど……こう揺れる馬上では難しい芸当だ。

 結界を張るのなら、どこかで腰を据えてかからないと。


 ダーナンは一人馬を降り、手綱を引いて道なき道を行く。

 自分だけ馬上にいるのは申し訳ないのだけれど、運動神経の悪い私では木の根や小石につまずいて三歩に一度は転ぶだろうことが容易に想像できるので、大人しく馬の上で揺られている。

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