第2話 出立と迫真の演技

 翌朝。まだ日も昇らぬうちに、二人を乗せた馬は城門をくぐった。


 丸太のようなダーナンの腕に横抱きでがっちりと支えられつつ、二度と戻ることのない王城をしばし見送ってマントフードを目深まぶかに被る。


「まさか馬車の一つも用意されないとは」


「罪人に馬車を贈るなんて酔狂すいきょうな真似、アルバート様がするわけがないわ」


「しかし仮にも八年間婚約者であったシスティーナ様に対し……っ!」


「まあまあ、荷物も少ないのだし構わないわよ。この子はあなたの愛馬なのでしょう? 以前見たときも思ったけれど、とても綺麗な黒馬ね」


「…………はい。オルガと言います」


「よろしくね、オルガ」


 首の横を撫でると、ぶるんっと鼻息で返事があった。


「ねえダーナン、王都を出る前に少し街の様子を覗いていってもいいかしら?」


「ええ、もちろん」


 カポカポと軽妙な音を立てながら、石畳の街路を進む。

 過ぎ去っていく懐かしい街並みは、もう二度と目にすることのない景色。


 通り掛かった市場では、店主たちが仕入れの荷を受け取ったり店先に陳列台を出したりと、早くから開店準備に精を出していた。

 荷馬車や荷車の行き交うなか、フードを目深に被って馬に乗る二人を見咎みとがめる者はいない。



「なあ、聖女様の話聞いたか? なんでも偽物だったらしいぜ」


「ああ、聞いた聞いた。王太子殿下の寵愛を得たいってんで、妹の力を自分の手柄に仕立てて王家をだましてたんだろ? まったく、色恋沙汰で国を引っ掻きまわされちゃたまんねぇよ」



「あたしゃ最初から偽物だと思ってたね! あんなにこりともしやしない娘。手を振ったらこっちを睨んできたのよ!」


「そうそう、聖女様ってのはもっとにこーっと慈愛に満ちた笑みを浮かべてるもんだろうに」



 血の冷えていくような心地に、マントの襟元をきつく握りしめる。


 愛想も愛嬌も、おおよそ人に好かれるような要素の足りていない自覚はあった。

 表情のとぼしいことだって、家庭環境のせいにしてみたところで解決するわけではない。人並みに感情があるということさえ、周囲からは忘れられてしまったようだ。


 一生を共にするはずの王太子には偽物の烙印らくいんを押され、平和を祈っていた民からはうとまれ。

 自分の聖女としての年月は、一体なんのためのものだったのか……。


「きゃっ!?」


 不意に頭を抱き寄せられ、ダーナンの胸にドンと突っ伏した。


「なんも聞く必要ありません。システィーナ様は俺の心音でも聞いててください」


「心音って……」


 おかしな言い様に苦笑しつつ、言われた通りぶ厚い胸板に触れた耳に意識をやってみる。


 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ


「あら? ずいぶん鼓動が速いわ?」


「……やっぱしあんま聞かないでもらえますか」


「なによそれ」


 クスクス笑いがおさまる頃には、市場はすっかり彼方へと過ぎ去っていた。



  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 王都を出て、広い街道を行く。

 小休憩を挟みながら進み、すっかり日も暮れて。


 野宿をする覚悟はできていたのだけれど、ちょうど町に差し掛かったので宿屋に泊まることになった。

 大衆食堂で遅い夕食をとりながら、このあとのことを打ち合わせる。


「宿に泊まるにしても、男女の二人旅なんて怪しまれてしまうわよね……。そうね、私たちは『夫婦』という設定にしましょう!」


「いや、そのまんま『ご令嬢と護衛』でいいんじゃないですかね……」


「あなたはもう従者ではないのよ? どちらが上だとか、そういった関係ではないの!」


 まったく、ちゃんと対等な関係だという自覚を持ってほしい。

 もう何かを命じることはないし、私を守って自分を犠牲にする必要もないのだから。


「夫でもないんですが……」


「え? 何か言った?」


「いえ、なんも……」


 蓋をするように料理を突っ込んでもごもごとしゃべるダーナンを、いぶかしんで見つめる。

 対等なのだから、発言を遠慮する必要だってないのに。


「——まあいいわ。夫婦を演じるなら、ちゃんとそれらしく呼ぶべきよね、?」


「ぶふぉっ!!!」


「きゃあ!」


 ダーナンが盛大に料理を噴き出した。

 とっさに顔をそむけてくれていなければ、今頃私の顔面が牛煮込みにいろどられていたはずだ。

 ……店の床については、あとで店員に謝っておこう。


「どうしたの? 突然」


「ゲホッ、それはこっちのッゴホッ、台詞で……ッ」


 慌ててコップの水を差し出すと、ダーナンは一息にぐいと飲み干した。


「大丈夫?」


「ええ、まあ……」


「じゃあ、ダンも呼んでみてちょうだい? シス……スティ…………そうね、なんてどう?」


「そっ、そりゃあいくらなんでも甘すぎやしませんかね……」


「そう? それじゃあは?」


「そんくらいなら、まあ」


「じゃあほら、言ってみて!」


 左耳に手を添えて、対面に座るダーナンへ向ける。


「…………………………ィナ」


「んもう、全然聞こえないわ! いつもの大声はどうしたのよ!」


 ダーナンがこんなことでは、私が頑張って夫婦を演じきるしかなさそうだ。





「一つの部屋になってしまったわ……」


「ですねえ……」


「ベッドも一つだわ……」


「ですねえ……」


 こぢんまりとした質素な室内は、でーんと鎮座するダブルベッドでほとんど埋まってしまっている。


「なんでこうなったのかしら……」


「システィーナ様がラブラブ新婚夫婦を熱演されたからでしょうよ」


 なんということだろう。まさか私に、演劇の才能があっただなんて。

 ——と、そんなことより。


「ダン? 二人のときでもちゃんとティナって呼んでちょうだい? これから国を出るまでずっと夫婦のふりをしておくのだから、慣らしておかないと思わぬところでボロが出てしまうわ」


「いや、そう言われましても……」


「そういえば、『夫婦』なのに敬語というのも変よね?」


「——っと、風呂!! そうそう、風呂は九の刻の鐘が鳴るまでに入ってくれと言われましたよね!? 早く入らなくては!」


「まあ、そうだったわ! 急ぎましょう!」


 慌ただしく荷を漁り、男女別にしつらえられた浴場へと急いだ。





 風呂上がり。床で寝ると言って聞かないダーナンをどうにかベッドに上がらせて、ベッドの上で向かい合って座る。


「ダン、あなたって薄着になったほうが暑そうに見えるのね?」


「すみません、お見苦しいものを……」


 ダーナンは申し訳なさそうに熊のような巨体を縮こめる。全然小さくなってはいないけれど。


 大きく開いたシャツの襟ぐりからはもっさりとした胸毛が盛大にあふれ、短い袖の下から覗く太い腕もびっしりと毛に覆われている。

 短袖の涼しげな格好のはずなのに、生地の厚い長袖の騎士服を着込んでいたときよりも暑そうに見えるのが不思議だ。


「別に見苦しくなんてないわよ? 体毛は熊さんみたいでいいと思うわ」


「熊さん……」


「みんなアルバート様のように線の細い中性的な殿方が好きなようだったけれど、本当は私、ダンみたいなガッシリと男らしい殿方のほうが好きなの。何事にも揺るがない安心感のようなものを感じるのよね」


「好き…………」


「だからダンも、もっと自信を持——」


 ドサッ


「え、ダン? ダーナン? ……寝てしまったの?」


 よほど疲れていたのだろう。赤い顔をしてどさりと倒れ込んでしまったダーナンにブランケットをかけてやり、自分も隣に潜り込んで枕元の明かりを消す。


「おやすみなさい。また明日もよろしくね」

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