折り返し
折り返しの電話がかかってきたのは三年後だった。三年というのは、一瞬だったと言ってもさしつかえない、最長の歳月ではないかと思う。オリンピックを一度はさんでしまうと、人はいろんなことがどうでもよくなるのだ。
とはいえ、三年ごしの電話を折り返しと称していいのかはいささか疑問が残る。言葉の語義や概念の定義にまで話がおよぶと手に負えないほどややこしくなってしまうが、ひとつだけ自信をもって言えることがある。そのとき僕はたしかに感じた。僕はずっとその折り返しの電話を待っていたのだと。
スマートフォンが鳴ったとき、僕はスパゲッティを茹でていた。日曜日の健康的な昼下がりで、大きく開かれた窓からは初夏の緑色の風が気のおもむくままに部屋に流れこんだ。スパゲッティを茹でているあいだに電話がかかってくるなんてことが本当にあるんだと、僕は初めて副虹を目にしたときのような喜びと驚きをもってスマートフォンを手に取った。
液晶に表示された名前を見ても、僕はまったく平然としていた。
「もしもし」と僕が言った。
「今度は見捨てないのね」と相手が言った。落ち着いた上品な女性の声だった。非難というよりは、映画の感想を述べるような口ぶりだった。
「悪かった」
「いいのよ、いまさら」
「元気?」
「最低よ、あいかわらず」
二人の応答ひとつひとつに数秒もの沈黙を要した。
いまや彼女が僕をどう思っているのかはまったく自信がもてなかった。電話の意図など、考えるだけむだだった。僕はスマートフォンを握るのとは逆の手で、そろそろ茹で上がる頃合いのスパゲッティを鍋の中でかき回し続けていた。
「うそ、冗談よ」と彼女はため息をついて言った。ため息のあとの台詞に特有の真実性がそこにはあった。
「どれが?」と僕はたずねた。
「変わらないね」
「そうかな」
「そう。でも私はちがうわ」
救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。
「私、結婚するのよ」
「おめでとう」と僕は言った。
救急車のサイレンが遠ざかっていき、やがてぷつりと途切れた。
僕はスパゲッティをざるに上げて湯を切り、ジェノベーゼソースと絡めてパルメザンチーズをふった。味見をしてみると、スパゲッティが粘土のように柔らかくなっていた。
僕はフォークを手に持ったまま、一連の会話を頭の中で何度も繰り返した。救急車のサイレンが近づき、遠ざかり、途切れる。
近づき、遠ざかり、途切れる。
自分が口にした言葉に一文字たりとも過ちがないことを確信すると、僕はフォークで皿の中身をすべてごみ箱に流し込んだ。
窓の外では一匹のセミが鳴きはじめていた。
断片 白瀬天洋 @Norfolk
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