とびっきり甘いパンケーキ

 生まれてこのかた、どういうわけか女の子から悩みの相談を持ちかけられることが多い。僕が親身になって聞くからだと友人に指摘されたことがあるが、残念ながらこちらにそんなつもりはない。だから僕自身もその理由がよくわからない。

 それに、彼女たちの悩みは往々にして、前髪の長さや恋愛のもつれよりもずっと深刻で、極めて個人的なものだった。世界中の悩み畑を尋ねまわっても、同じものは二輪と見つからない。


 大学生になった年の冬、道玄坂の鳥貴族でまたいつものそれが始まった。まるで行きつけの喫茶店に入るなり、無口な店主が何も聞かずにコーヒーを淹れ始めるように。今日のスペシャルティコーヒーは、英語の授業でたまたまペアを組んで発表した同級生のようだ。

「ねえ、ちょっと変な話をしてもいい?」

「いいよ」

 店内は下品な笑い声と煙臭い空気で満たされていて、僕たち二人の席だけが喧騒から隔絶されていた。

「本当はしにたいんだよね」と彼女は小さな声で言った。

「そうなんだ」と僕は静かに答えた。

「ごめんね、いきなりでびっくりしちゃうよね」

 彼女は申し訳なさそうだったが、実をいうと僕はちっともびっくりしてはいなかった。でも僕は何も言わずただ黙っていた。今は彼女のターンなのだ。

 それから彼女はせきを切ったように話し出した。彼女は心から絶望し、混乱し、それでいてどこか他人事のように淡々と語った。彼女の名誉(そして僕の安全)のために、話の内容はもちろん伏せるが、そこにはやはり極めて個人的な事情が含まれていた。たとえば、旅行で訪れたオランダの田舎で大麻をキメて人間の睾丸を食べたときが人生で最も興奮した瞬間であり、それに比べると日常はあまりにも無味乾燥に感じられて、死に接近することでしか生きる快楽を見いだせない、とか。もちろん、これはあくまでたとえばの話だけど。

 話が一段落するまでのあいだ、彼女はビール二杯、レモンサワー二杯、梅酒のロックを次々と胃に流し込み、アルコールと水を原料にして肝臓で生成された言葉たちを、排泄するように僕に向かって垂れ流し続けた。

 僕はリズムゲームをプレイする要領で相槌を打ちながら、初めて食べたチーズ揚げの美味しさに感心していた。これを看板メニューにした鳥貴族の姉妹店にチーズブルジョワがあってもわるくないと思った。

 そして僕のターンが突然やってきた。

 彼女は肘の内側に重たそうな頭をすっぽりとはめたまま、もう一言も口にしなくなった。

「明日はひま?」と僕が聞いた。

 返事はなかった。

「パンケーキでも食べにいかない? とびっきり甘いやつ」

 僕は寒くなると無性にパンケーキを食べたくなるのだ。それもとびっきり甘いパンケーキを。でもやっぱり返事はなかった。


 そのあとの会話はほとんど覚えていない。おそらく酔いすぎたのだろう。そして大学生の交じらいが常々そうであるように、彼女とはそれから二度と顔を合わせていない。

 どうして数年経った今になってこんなことを改めて書いているのかというと、実は先日久々に会った友人に彼女の裏垢の投稿を見せてもらったのだ。ネットの話題に触発されてあの夜を思い出したのか、彼女は当時の思いをとりとめもなく綴っていた。僕への最大限の罵倒とともに。彼女は三つの連なる投稿の中で「最低」という単語を七回使った。

 彼女を傷つけるようなことをしたのかと友人に問われて、はっと思い出したことがある。そういえばあの翌朝に、ずっと気になっていたパンケーキ専門店のリンクを送ったのだが、いよいよ返信は返ってこなかった。あのお店はSNSはおろかホームページさえも運営してない個人経営のお店なので、知る人ぞ知る名店にちがいないはずなのだが、結局行かずじまいになってしまった。

 というわけで彼女はまだ生きているようだし、僕はまだそのとびっきり甘いパンケーキを食べていない。

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