第42話 この思い出の全部が

 ニグトダルクは歯ぎしりをひとつ。闇の炎を放出した。

 ガラスのツバメと木の枝のニワトリが前に出て、水と風で押し返す。

 六本足の獣と二頭二尾のムカデが、重力の魔法をもろともせず、昼介と夜々子をかついで運ぶ。

 クラゲをかぶったハチは、二人のすり傷に薬を塗った。


 守り神の加勢により押されだしたニグトダルクは、怒りに吠えた。


「私が負ければ満足か! このまま無意味に! 何もなすことができずただ負けて滅びるのが、私にとって救いだとでもいうのか!」


「ちっげーだろ!!」


 ムカデの背に乗って、昼介が叫び返した。


「何もできてねーってことねーだろ!! おれも夜々子もおまえらが生まれ変わってきたおかげで今があんだよ!! 無意味なわけねーだろ!!」


 獣の背で、夜々子は悩んだ。


「どうしたら、伝わるかな……! ニグトダルクがいたから、今のわたしがあるって……!」


 ふと、夜々子は見上げた。

 走る獣に連れ添うように浮遊する、紫色のガス球体。


「……できる?」


 夜々子の問いかけに答えるように、ガス球体は夜々子の思い出を吸い上げて、この夢の空間で具現化させた。


 思い出の映像が、黒一色だった空間にちりばめられていく。

 初日の教室。公園。いつも魔法の練習をした河原。パズル部の部室。ヨーヨーの競技会の光景や、緑地公園や、プールの水しぶき。

 クラスメートの顔。パズル部の面々。家族の横顔。

 真っ黒な背景にタイルを貼って、彩りを与えていくように。

 パズルのピースが、つながっていくように。


 夜々子も、昼介も、サンハイトとニグトダルクも、それを見上げた。

 昼介は、思わず笑みをこぼした。


「はは。こう見るとマジで、いろいろあったな」


 見上げる先に、夜々子の手を引いて走る昼介の後ろ姿があった。

 夏の日差しを浴びて、プールへと向かう姿。


「あのときおれ、なんて言ったっけ。『おれは今、幸せだー』……だっけか。いや恥ずいな。改めて思い出すと、おれ何言ってんだろ」


 昼介は苦笑して、やがてぐじぐじと、目元をぬぐった。


「ああ。そうだよな。幸せだよ。幸せなんだよ。おれらこんなに、幸せなんだよ……!」


 夜々子もまた、思い出たちを見上げた。


「わたしが魔王で、昼介くんが勇者だったから、教室で真っ先に、昼介くんに気づけた」


 一番最初の、昼介と出会ったときの映像。


「同じときに生まれ変わって、同じ日に生まれたから、同じ学年になって」


 緑地公園で話した、誕生日の話。


「わたしが三月生まれになったから、ゆななんと一緒に中学に通うこともできて」


 夕奈那の誕生会。生まれの奇跡の話をした。


「わたしと昼介くんが出会えたから、それをみんなが応援してくれて、それで仲良くなった人もいて……!」


 終業式の日。昼介が告白してくれた。そこに集まった友人たちの、祝福する顔。


「この思い出の全部、全部……!

 ニグトダルク、あなたが生まれ変わってくれたから、あったことなんだよ……!」


 思い出のパズルは、まだ全部埋まっていない。歯抜けのように、黒い背景が残っている。

 そこにまた、新たな思い出のピースがはまってゆく。

 夜々子の思い出ではない。ニグトダルクの記憶。

 ニグトダルクの半生が、夜々子の思い出の隙間をつなげてゆく。

 夜々子は涙をぼろぼろと流しながら、叫んだ。


「なんにも、無駄になんてならないから!!

 だからもう、戦うのなんてやめようよ、ニグトダルク!!」


 思い出の映像がふくれ上がって、形を変えて、花になった。

 夢の空間を横断するようにパンジーの花壇が生成されて、ニグトダルクの炎をさえぎり、サンハイトの攻め手からも分断した。

 ニグトダルクは舌打ちをひとつ。さらに火力を上げて花壇を吹き飛ばすと、その断片は折り紙に変わって、紙吹雪が散り、紙鉄砲が破裂音を鳴らした。

 狙いを変える。昼介と夜々子へ。ガラスのツバメと木の枝のニワトリの隙間をぬって、闇色の炎を撃ち出す。

 夜々子の足元、思い出の映像から水があふれて渦を巻き、流れるプールになって、炎を防いだ。

 離れた位置から、攻撃を邪魔されたサンハイトが怒鳴った。


「おい! どう収集をつけるつもりだ! ニグトダルクを倒さなければ、俺が勇者の呪いを背負い続けることにもなるんだぞ! 分かっているのか!」


「分かってるよ! だからおれも今考えてるって! なんかいい感じに丸く収まる方法がないか……!」


 昼介が叫び返すのに割り込むように、ニグトダルクはさらに魔法の出力を高めた。

 衝撃波が空間全体を揺らし、立体化した思い出たちが崩され、この場所自体が不安定になって、無重力になったように全員の体が浮いた。

 昼介と夜々子も衝撃波で吹き飛ばされて、守り神の背から振り落とされた。


「夜々子っ!」


「昼介くん……!」


 夜々子の手からヨーヨーが飛び出して、昼介の腕にからみついて引き寄せた。

 二人の体を、ソファのように大きな折り紙の花束が受け止めて、空中をただよわせた。

 サンハイトが動く。浮き石のように散らばった思い出の映像を踏み渡り、ニグトダルクに斬りかかる。

 ニグトダルクはそちらに向き直り、応戦する。昼介たちに背を向ける。

 昼介は見た。ニグトダルクの背中。紫の炎の中。うっすらと見える、不死と鎮魂の魔法陣。

 記憶の中で見た、ニグトダルクが今の状態になった原因。

 昼介はほとんど無意識的に、空間に満ちる思い出の映像たちに目を通した。その中のひとつ。山中での魔法の練習。光の粒子が出る昼介に、夜々子が服従の魔法陣を当てて、魔法陣は割れるように消え――


 昼介ははっとして、叫んだ。


「サンハイトーッ!! 背中だ!! ニグトダルクの背中ーッ!!

 あの魔法陣、おまえの光の力なら、消せるんじゃねえのかーッ!?」

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