第40話 こぼれるほどの涙で笑う

 闇が、紫の炎が、夜々子の視界にちらつく。

 記憶の旅が終わり、暗い夢の空間。


「はぁッ、はぁッ、はぁッ……!」


 意識が途切れそうになる。涙が流れている感触だけ、やけにくっきりとしている。


「思い出した……思い出しちゃった……!

 忘れてたなんて……は、あんなに、忘れないって、忘れさせないって、思ってた、のに……!」


 炎が、肌に染み込む。

 ニグトダルクはその様子を、背後から見下ろす。

 夜々子の背中には、不死と墓標の魔法陣がくっきりと浮かび上がり、光をはなっていた。


 終わりだと、ニグトダルクは思った。

 大量の記憶と感情をいちどきに受け入れて、黒井夜々子の精神が、保てるはずがないと。


 ニグトダルクは、両手で夜々子の背に触れた。

 手が沈み込む。溶け込む。一体化していく。

 夜々子はうわごとのように、言葉をこぼし続けた。


「お姉さんが……あんな目に遭った、から……!

 だから、わたしに……? ニグトダルク、愛されない、って……わたし、に、言った……のは……!」


 夜々子の顔が、目が、ニグトダルクを振り向いた。


夜々子わたしを、心配してくれたの?」


 ニグトダルクは、一瞬、けげんな顔をした。

 夜々子は燃え盛りながら、泣いてふるえながら、言葉を吐き出し続けた。


「あなたに、愛されないって言われた意味、考えてた。

 こうやって思い出して、お姉さんのことがあったからだって、分かって……」


 昼介に告白をされた、あの日の前の晩。

 ニグトダルクは夜々子に、愛されるはずがないと言った。

 それを、夜々子に言った、意味は。


「わたしがお姉さんと同じ目に遭ったら、そのとき傷つくのは、わたしだから……!

 あなたはわたしに、傷ついてほしくないって、思ったってことで……!」


「黙れ。都合のいい解釈が過ぎる。私はただ……」


 ニグトダルクは言いよどんだ。

 夜々子に沈めた両手を抜こうとする。抜けない。

 夜々子はしゃべり続けた。


「あのね、ニグトダルク、わたし、ずっと考えてた。

 わたしの前世のあなたに、ずっと、言いたかった……!」


 記憶が、思い出が、とめどなく流れる。

 前世の思い出。今世の思い出。

 姉が生きてと言ったこと。行き着いた果ての、夜々子という来世。

 生まれが予定日からずれた。昼介と出会えた。

 夕奈那と一緒に中学に通えて、みんなでパズル部でいられた。

 全部が、その全部が、つながってゆく。


「わたしは、幸せだよ……!!」


 炎に覆い隠されながら、涙はぼろぼろと流れながら、夜々子はあらがうように、声を高く高く張り上げた。


「わたしは、あなたの生まれ変わりで、よかった……!!」


 ぴしりと、何かにヒビが入った。

 夜々子は泣きながら叫んだ。


「わたしが幸せになるから!!

 あなたのこともお姉さんのことも、全部、全部!!

 無意味になんて、させないから……!!」


 ニグトダルクは身を引いた。

 両手首から先が、夜々子の体に沈んだまま取り残された。

 夜々子の体から、夢の世界から、炎がはがれる。消えてゆく。

 ニグトダルクの体以外から、紫の炎が引いてゆく。

 澄み渡ってゆく空間に、声が響いた。


「夜々子ーッ!!」


 夜々子は声に見上げて、くしゃりと笑った。


「昼介く――」


 言い切るより早く、飛んできた昼介に、夜々子は強く抱きしめられた。


「夜々子!! よかった夜々子!!

 おれっ、外から全部見えてたけど、なんにもできなくてっ……!!

 本当にっ、心配して、もう会えなくなったりしないかって、そう思ったら、怖くてぇっ……!!

 すげーよ夜々子、こんなの、一人でっ、おれは夜々子と一緒だったからやれたのに、こんな、すげーよ夜々子っ……! 本当にっ……! よかったぁ……!!」


 泣きじゃくって、恥も外聞もなく涙を流して、昼介はひたすら夜々子を抱きしめた。

 夜々子はぽかんとして、抱きしめ返して、言葉をつむごうとして、それより早く涙はあふれ続けた。


「そんな、わたしっ、わたしだって、怖かっ、う、うわあぁぁん……!

 怖かったよぉっ、一人で、昼介くんがいなくてぇっ、怖かったぁ……!

 でも頑張らないとっ、本当にもう会えなくなりそうでっ、だから、わたし怖くても、頑張ったっ……!

 うえぇぇん……!! また会えてよかった、うわぁぁん……!!」


「うわああぁぁん……!!」


 二人で、泣いた。

 ぎゅっと抱きしめ合って、もう離れないというくらい強くくっついて、声を上げて泣いた。


 ニグトダルクは、沈黙して二人を見ていた。

 そして手首のない片腕を、二人に向けた。

 その動きに反応して、昼介は夜々子を背中に隠して、涙と鼻水でぐじゅぐじゅの顔でにらみつけた。


「んだよぉっ、やるならおれが相手だニグトダルク……!!

 夜々子を傷つけさせたりなんてっ、絶対させねぇからなっ……!!」


 ニグトダルクは沈黙したまま、突き出した手首に攻撃魔法の魔法陣を生じた。

 その正面に、別の姿が割り込んだ。

 光の粒子、金色の長い髪。


「サンハイト!」


 昼介の呼びかけに、サンハイトはちらりとだけ目を向けた。


「無茶をする。俺に体を預けるなど。

 これまで奪おうとしていたものをこうもあっさりゆだねられて、はっきり言って困惑したぞ。

 ともかく黒井夜々子の炎は消えたし、俺の魔法で体はできる限り治した。

 昼介、おまえの方もな」


 そしてサンハイトは、視線をよそにそらし、うそぶいた。


「俺は別に、昼介と和解したとは思っていない。ただ敵対するのをやめただけだ。

 黒井夜々子にいたっては、なんなら魔王として倒してしまった方が実利がある。邪魔だとすら言ってもいい」


 そしてニグトダルクの方に向き直って、右手に魔法陣がともり、光の剣を呼び出した。


「だが、ニグトダルク。ここで貴様が二人に手を出して、それを不快に思う程度の感情は、俺にもあるぞ」


 ニグトダルクは目を細め。

 夢の空間が、魔力の高まりに鳴動した。


「……何者にも、邪魔はさせぬ。

 私が世界に君臨し、もってニグト族の存在証明とする」

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